クセ強な読書
本を読むとき
最初のページから読み進めれば
作者が推敲に推敲を重ねた
物語の世界に引き込まれ、
作者の意図する
起・承・転・結へ。
こうなるはずだ。
受け止め方や思うところは人それぞれ。
だけれど構成、流れは変わらない。
はずなのに…
変えてしまう私。
今まで賛同を得られたことは
ほとんどない。
でもちょびっとは、ある。
短編集以外でよくやる読み方…
起・結・承・転・結。
特にやってはいけない推理小説で
やりがち。
まず始まりを読み、結論を読む。
なるほど、そうか。そうだったのか。
で、転じる物語を楽しみ、
盛り上がったところで
再び結論へと着地する。
あー、おもしろかった!
あー、感動した!
大満足。
…いやいや、そうはならないでしょ、と
この話をすると大体そう言われる。
なんで犯人見てから読めるの?
とか
なんでどうなるか知ってから読むの?
とかとか。
たまには順当に読むけれど。
私は大体この読み方をしてしまう。
なんなら映画も
結果を先に知ってから観たい。
原作があれば
まず原作を読んでから観たい。
原作と映画で異なっていても構わない。
その違いを感じるのも楽しい。
観ようと思っていた映画を
すでに観てきた人がいたら
最後どうなった?
聞いちゃう。
小説も映画も、最後どうなるのか
知った上で安心して読みたい、観たい。
何が楽しいのかともよく聞かれる。
結論がわかっていると
そこに至るまでの物語の描写を
あ、これはこういう意図があるの?
とか
なるほど、そういう意味があったのか。
とかとか。
細かなところを見落とすことなく、
さらにそこに自分なりの考察を入れて
読むことができる。
2回読めばいいじゃん。
だめ!一度目にそう読みたいの。
二度目もあるよ、あるけれども。
一度目から見落とさずにいきたい。
なんなら
結・起・承・転・結。
これもある。
クセ強な私の読書。
人には決して薦めない。
わかってもらえなくても構わない。
ただ…
最後どうなった?
こう私が聞いたときには
ためらわず物語の最後を教えてほしい。
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