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虹の橋を渡ったサラちゃん、ありがとう

8月8日、宮崎に震度6弱の地震発生。
私の住む宮崎市は震度5強。
私は仕事の終業前で会社の机に座り、同僚と話をしていたときだった。
とっさに机の下に潜った。
その時、何か夢心地でふわふわしていた。ビルが壊れたらどうしようと、少し頭によぎった。
揺れのあと乗り物酔いのような気分になった。生まれて初めての強い揺れだった。
帰り道、市内の中心街は何事もなかったかのような日常だったので、こんなものなのと、そのことに驚いた。
次の日、日南市の方では被害が大きいことと、宮崎市の被害の様子もニュース等で知った。

幸いなことに会社も自宅もあまり被害がなく、電気、水道、ガスも止まることはなかった。

20年前に建てた家は耐震構造なので、被害といえば頭の重いサンセベリアの鉢が玄関に倒れて砂を撒き散らしていたのと、エンジェルの置物が棚から落ちて、割れたくらいぐらいだった。

サンセベリアの葉っぱが乱れたので手作りの鉢カバーで包んでいる。




今は瞬間接着剤で修復

サラちゃんも籠の中で無事に息をしていた。サラちゃんの兄弟猫、モックンはちょっとパニック起こして隠れていた。

怖がりなモックン

あとの猫たちは至って普段通り。

ピンキー8キロの巨漢
サラちゃん大好き
ヌートバー
エンジェル 
10年前に公園で保護
その5日後我が家で4匹出産。
子どもたちは新しい家族へ
甘えん坊 のんちゃん
エンジェルと相性が悪い
我が家の最年長16

いつもと変わりない生活ができていることは国、行政、そして様々な職業をされている方々のおかげであると感謝の気持ちが膨らんだ。

8月10日、お寺のお施餓鬼供養のため、車で45分ほど離れた高鍋町のお寺に夫婦で行くため、サラちゃんを涼しいところにおいて外出した。前日から水少量しか飲めていなかったけれど、今回も待っててくれると信じて。

3時過ぎに帰ってきて、息をしているサラちゃんを見てホッとした。体を寝返りさせて顔を撫でて、鼻の周りをきれいにしてあげた。
のどが渇いていると思い、水を数滴口に流した。ゴクンと飲み込んだと同時に口を大きく開けて喘ぎとした。呼吸ができていない。
外にいるお父さんをよんだ。
あんなに生命力が強かったのに、あっけなく逝ってしまった。
サラは最後の力を振り絞って私たちを待っててくれたのだ。

帰宅して10分ぐらいの出来事だった。
そのとき、私は水を喉に詰まらせたのかと、とっさに抱き上げて背中をトントン、名前を呼びながらたたいた。今回は今までの見送りとは違っていた。なぜか、水だけでもこの子はずっと傍らで息をしていると思い込んでいた。

夫は水が飲めてよかったよ。
もういっぱいいっぱいだったから仕方ないと私を慰めた。

瞳孔がひらききった目を私は優しく閉じた。20分間抑えてくださいと、最初の猫を安楽死で見送ったとき先生に言われてからずっと旅立った子の目を押さえることが私の習慣になっている。そして、目を閉じたままの穏やかな顔になる。
夫はすぐにドライアイスを買いに行った。エコクリーンセンターはネットで調べたら、12日の午前中に受け入れてくれる。2泊3日、我が家で最後の時間を過ごすためにはドライアイスは必要だ。
いつものように淡々と箱に詰める。
今回はリンパ腫という病気でどう進行して悲惨な最期を迎えるのではないか、不安といえば不安だった。
しかし、最期の3日は本当に穏やかで痙攣もなく鼻呼吸もできていた。
だから、まだまだ生きてくれていると思っていた。8月に入り、痙攣を繰り返していた時は、干潮の時間を確認していたのに、ここ3日ぐらいはしていなかった。
後で旅立った時間を確認してみたら、一番大きな干潮のときだった。
闘病が長かったため、悲しみよりも無事に見送れたことにほっとした気持ちが大きかった。

虹の橋を渡ったサラの顔は本当に穏やかできれいだった。
近くに住んでいる3歳の孫たちが花を箱に詰めてくれ冷たくなった体を撫でてくれた。
荼毘に付すまで、みんなで集まって庭で七輪を囲み食事をしたり、その後に花火をしたり、賑やかな時間が過ぎた。サラもたぶん一緒に楽しい時間を過ごしただろう。

サラちゃん、ありがとう


お母さんはまた、あなたから勇気と生きる力を学びました。

私が元気で長生きできれば、あと5回は猫たちを見送ることになる。
そのたびに、私は死と向き合い、永遠ではない自分時間をいろんなことに感謝をしながら楽しく過ごしたいと再確認することだろう。

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