「光る君へ」のための平安準備情報㉒

「光る君へ」盛り上がっておりますね。
毎回毎回新しい展開で、楽しく見ております。

さて、久しぶりに書こうかなと思ったのが、彰子の「裳着」が描かれたからです。
裳着とは、女性の成人儀礼で、社会的なお披露目の意味がありました。
たとえば『竹取物語』のかぐや姫は、竹の中から3ヶ月で裳着まで成長し、翁は裳着を行ったうえで、名付けを行い、宴会を行います。「男はうけきらず招び集へて」(新編日本古典文学全集『竹取物語』19頁)とありますので、とても簡単に言えば嫁入り市場に名乗りをあげた、ということになります。(そのあたりのことは原作にはあまり書かれていませんが、スタジオジブリの「かぐや姫の物語」に、自分が「見世物」「売り物」となる姫の抱える苦悩、屈辱、悲しみ、怒りが余すところなく描かれています)
かぐや姫の例は、うちに良い娘がいますのでどなたかいかがですか?の例ですが、一方で、裳着には「光る君へ」のように実際に決まった結婚のために行う、結婚することを公にする役割を果たす例もありました。

たとえば『源氏物語』では、光源氏の娘、明石の姫君の裳着が非常に盛大に描かれています。裳着、そして来るべき入内のために、光源氏と紫の上が秘伝の調合法で香を作るなど、総力をあげた準備が描かれます。そして「光る君へ」では裳着の紐を結ぶ「腰結(こしゆい)」役を詮子が行っていましたが、明石の姫君の腰結は、六条御息所の娘であり、光源氏が父親がわりとして面倒を見ている冷泉帝の后、秋好中宮(あきこのむちゅうぐう)がつとめました。
時間はなんと子の刻!午前一時頃でした。

腰結は、一族の長老や格式の最も高い人が行います。腰結いの人が誰か、というのは裳着を行う姫君の格ともつながります。
まひろの場合は、宣孝がつとめていました。一族の中では出世頭だったから、ということでしょう(史実の紫式部の裳着については記録がないのでわかりません)。
それでいえば帝の后のなかでも、唯一の人である「中宮」である秋好中宮は格式も高く、また、今後入内が予定されている明石の姫君にとって最もあやかりたい人、となり腰結の適任となります。
ちなみに帝の后たちの状況については以下に書きました。

その点で詮子は、道長の姉ということで一族の長老格、そして帝の皇子を産んで国母となった点で、入内をひかえた彰子にとって最もあやかるべき人であったため、詮子が腰結を行ったということになります。

また、光源氏の妻である紫の上は、裳着の前に実質的に光源氏と結ばれるという大変イレギュラーな経過をたどります。結婚後に裳着を行い、その裳着の腰結は実の父兵部卿宮がつとめたと考えられます。父の元に引き取られる直前に光源氏に略奪されたといっていい紫の上が、久々に父に対面したのが裳着の場であり、夫により裳着をアレンジされるというイレギュラーさが、後の紫の上に大きく影を落とすことになります。

その影とは、光源氏と女三の宮の結婚でした。光源氏の妻となることが決定したうえでの女三の宮の裳着の腰結は、臣下の最高位である太政大臣がつとめています。唐土(もろこし)の后をも思わせる贅を尽くした品々をとりそろえた裳着、そして物理的にも父から多くの財産分与を受けた女三の宮。そうした盛大な裳着を経て、光源氏の妻として女三の宮は光源氏と紫の上の住まいであった六条院に迎え入れられるのです。
裳着の段階から紫の上と女三の宮は決定的な差があったのでした。

以上のように、女性にとって裳着とは非常に重要なものでした。

さて、、
石山寺で道長とまひろが出会ってしまったところで終わった前回。
私はのんきに、ああ、石山寺で源氏物語構想の啓示を得たという伝説を使うのねー、と見ていたのに、突然道長が現れて「?????」となりました。
その後SNSを見ていて、光源氏と藤壺の密通、罪の子冷泉帝を、道長とまひろ、まひろの娘賢子でやるのでは?と見て、ひえーーーー全然思いつかなかったーーーとなりました。
確かに『源氏物語』には密通が描かれています。しかし、特に藤壺は、その露見を非常に恐れ、出家までしています。
それを思えば自分から密通を匂わせる、、ではすまない、、密通を報告するような物語を描くかしら、、そう思わせて宣孝の子なのでは?と思いますが
真相はいかに…。

この展開で次は再来週!なわけですが、楽しみに待ちたいと思います。






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