薪能のはなし
原井戸13階のメンバーで一度、薪能を観ることにしました。今回は事前に薪能についての印象の話や動画を観てどう思ったかを話し合います。
▲ちなみに今回観に行く薪能です。
▲今回見た動画です!
非日常な火
坂本 「まずこれを見た感想として、感覚的にいろんな揺らぎを感じました。かっこよく言うと、炎の上昇気流によって空気が揺れて、そのレンズから演者をのぞく、そんな非日常的な光景が印象に残ってます。
河原 「火を扱う空間でしか味わえない体験ですよね。そもそも今の時代において、暖炉や竈(かま)がありませんから、火を直で見守る状況がレアですからね。火を神聖なものとして敬い崇める時代から、食などの生活のためとしてコントロールしようと試行錯誤した時代に移って、今や火を用いらずとも、電気などに置き換えられているような時代になったので、「火」自体が人間の集落や生活の中心からずれてきてるんじゃないかな。
坂本 「それもそう。だからこそ非日常的な印象が強いです。
入谷 「私思うのは、「火」を扱うとなると少し特別感を感じるんです。ライターとか使うとき、扱っちゃいけないみたいなものを使ってるんだって感覚があります。中学生のころ、実験でマッチを使うときとかドキドキしてました。だって家で使ったことなかったから。
河原 「子供の時から、火って危なくって触っちゃいけないと教えられてきたのが大きいのかも。火も包丁とかも、使い方によっては危害が及ぶものって、幼い子供がいる親は極力避けたいものなんじゃないかなと思います。火が人間の中心にあった時代、いわゆる囲炉裏や竈を使っていたころって、生活を成り立たせていく上で欠かせない、必需となってくる生活の知識は小さい子供の頃から教わっていたり、応用出来るレベルまであると思うんですよ。
それって、とにかく火や道具を触って子供がコツや感覚を覚えるのを、親は教えていたり、使うことを看過していたりしたのが大きいと思います。時代のどこからこの自分で触って感覚を確かめるという、教え方が少なくなってきたのかな。
新井 「これは火にもかかわらず、いろんな事に言える気がします。生活の質が上がるとともに、機器や動作を簡単にしていくことで、原理は分からずとも使っていることが多いと思うんですよね。教え方少なくなってきたって言い方よりも、教え方が変わってきたのではないでしょうか。原理を1個人が理解していなくても、それを修理したり使い方を教えたりする、いわゆる専門とする方が居ることで、現代は仕事として成り立っている訳ですから、もちろん自分の扱えるものの範囲が大きい方が良いですけど、生活のすべてを自分の力だけでまかなえなくてもいい気がします。
坂本 「最近は説明書も簡単になってきて、いかにラクに動作を少なくして使えるかみたいなところも重視されてきているのかなと思いますね。説明書のページがとても少なく、かつシンプルになってきてるんじゃないかな。まあ、生活している中で極力、危険なことは避けたいと思うのは当然だし、手を動かして覚えるって言うのにも段階的な階層があって、現代では火をおこすとかの生活の基本の原始的な要素ではなく、何をどう使うか、駆使するかとかいった使い方の部分を養うのに重きを置いた方がいいんではないでしょうか。これも回数積んでなんぼな部分なので。まあ何においてもそうだけど。
新井 「ソフトとかAIとかも使いようですからね。
舞台でのおもて
入谷 「話を能に戻すと、これ屋外で観た場合と能楽堂で観た場合で、かなり印象違ってきそうですよね。ざっと写真を比べてみたら、なんだか室内の方が立体的に見えて、屋外での薪能の方がのっぺりというか…絵1枚に収めた感じがしませんか?薪能の写真で結構日が落ちてて真っ暗なのもあるかも知れないんですけど…パース感がないというか、レイヤーで役者やセットがみえる感覚があります。
河原 「なんか借景を意識しているのではないかと思えてきました。日本の家屋や庭園において「狭い」というのを解消しようとしている努力が結構みられるんです。解決策として、自分の領域以外の景色を利用して、奥行きのある空間を演出する、日本や中国の造園技法を用いて表現しているんです。
坂本 「借景だと、円通寺とかが有名ですよね。レイヤーって言葉を使うなら、日本画みたいなところにも精通できるんじゃないかと思えてきました。
入谷 「絵って感覚で話すなら…本当に私の感覚なんですけど、室内の能だと、写真でも動きがついていてまさに、動いていたとこを写真で一瞬だけ切り取ったみたいな感じ。全体が舞台と演者が能楽堂で溶け込んで調和している。薪能だと、動画であっても1瞬1瞬が絵のように見えるんですよ。レイヤーで説明するなら、観客、炎、演者、舞台、境内の木々や寺院、みたいな、それぞれが項目に分かれていて、でも調和しているって印象です。伝わって欲しい…
新井 「室内の能楽堂だと照明の関係があるのかもしれません。シーリングっぽい照明で全体を照らしていて、舞台が余すことなく照らされてますね。白熱灯みたいな暖かい感じの照明だけど、くすみが飛ばされて衣装の色や小道具がクリアに見えます。舞台と役者が溶け込んでいて、統一感のある空間っぽいです。
入谷 「見やすさに特化してるのかな?
坂本 「屋外でも全体を照らされてるっちゃ照らされてるけど、影がより強く出ていて照らされている所とのコントラストが大きいですね。暗闇の中で役者が異質というか、突飛な存在に見えます。室内と違って良い意味で統一感がなくて、演者がまるでいちゃいけない存在みたいで、そこに注目が集まる、スポットライトがなくても自然に視線が誘導されていく珍しい事象なんじゃないでしょうか。
入谷 「視線誘導それ思った!!目が離せない感じあります!演者の方自体、ゆっくり動いてるはずなのに、これを見逃したらいけないって思っちゃうもん。でも、舞を演じる演者の方だけじゃなくて、バックコーラス?の方とかにもフラットに視線が行きがちかな。現代劇のようにバックコーラスはあくまで主役を引き立たせる為って訳ではなくて、舞台に出ている人、どんな人も同じく目立ってて威厳があって、視線誘導を観客側に委ねている感じがします。バックじゃないよあの人たち。すごい存在感あるもん。
新井 「こういうバックで演奏して下さる方って、自分はバレエとかブロードウェイの公演を観たときは、あくまで主演は役者やダンサーの方達であって、オーケストラピットでの演奏だったり、照明がメインで当たらなかったりしたもんだから、メインとバックで分かれてる印象が強かったんですよね。だけど能って物理的にもフラットで対等な関係性というか、板に上がれば皆役者、観られているからにはきっちりこなすみたいな隙の無い厳かさが、良い緊張感を出しているじゃないかな。
坂本 「好きな映画の一つで「キャバレー(1972)」っていう映画があるですよ。この映画はミュージカル映画なんですけど、冒頭でキャバレーでのショーの「Willkommen」というオープニング曲の途中で
「In here life is beautiful. The girls are beautiful.Even the orchestra is beautiful.」
こんな台詞があるんです。このEvenが引っかかってて、なんでAndとかではないのだろうと疑問に思ってるんです。まあ、あまりEvenを使うとこで大きな意味がある訳ではないのだろうとは思いますが、役者とオーケストラの間に少し溝というか、一枚の同じステージではあるのですが、違う土俵での感覚なのかなとその時感じました。
入谷 「イメージで話しちゃうんですけど、海外のバックオーケストラとかってリラックスしてて、良い意味で姿勢とかあんまり気にしてる感じがない気がします。
河原 「それと比べると日本ってみられてるって意識がとても強いですよね。舞台とかの話だけじゃなくて、普段の生活の行動だったり、姿勢や振る舞いだったり。
入谷 「お天道様がみてるよ!とかもその一環かもね!悪いことしてても誰かがみてるよみたいな教えは昔からあるイメージです。
新井 「現代でもみられてるぞって感覚、結構ありますよね。この前短期バイトでとあるイベントの売り子をやったんですけど、暇な時に後ろで手を組んでたら「お客さんがみてるから前で手を組んで下さい」って注意されたんです。そこまで気にするか?と思ったんですけど、まあ仕事だし…。思えばスーパーのレジとかもずっとたって作業していたりだとか、その短期バイトでも水を飲むときに屈んで後ろ向いて飲んだりとか、見える所ではしっかりと!意識を持って!みたいな境界線がはっきりしてますよね。それがおもてなしとして評価される項目であるから、良い悪いと言うわけではないんだけどね。
入谷 「この前、興味本位で横浜中華街のスーパーに入ったんですけど、売り子の方が電話しながらレジ対応してて!それはそれで新鮮だけど、日本のスーパーじゃ絶対に見られない光景だな~なんて思っちゃいました。お給料貰ってんだからっていう気持ちと楽で良いよななんて気持ちが混じってます笑
坂本 「いつからみられてるとか表にたつみたいな感覚が生まれたのか気になってきたかも。さっき出たお天道様がみてるって話だと、天照大御神とかが関係してくるのかな?
河原 「日本は神様が多い八百万の精神があるから、みられてる視点がたくさんあるのかもしれませんね。お米を残したら、お米の神様、土の神様、畑の神様、エトセトラ…が悲しむみたいな。
入谷 「いろんな神様がいることで、このみられてる感覚が人一倍なのは納得できるかも。神様のツリー連鎖、考えてみたいな。ちょっと外れるけど、映画とかで本当に困ったときとかにお調子者が「神様、仏様、大仏様!何でも良いから助けてくれ!!」ってお祈りが好きです。とりあえず数頼みで多方面に願掛けする感じ。
新井 「意外と助かっちゃうヤツだ。多分涙とか鼻水で顔がぐしゃぐしゃになってる。願掛けの対象が多いよね。神社とか寺院とかの違いが分からないって人も多いんじゃないかな。
河原 「参拝とかの作法のやり方だったり、お墓があるのはどっちだったり、意外と今知った事も多いですよね。神仏習合でとにかく有り難い存在という大きな括りでまとめてしまうことは少なくないし、自分も徹底出来るほど知識は無いです。宗教と宗教が混じり合って独特な信仰の形だけど、元々信仰してきたものもあるけど新しい考えも取り入れて混ぜてしまおうって考えに至ったのはすごく素敵だと思ったけど、それで良いのかとも思いました。
坂本 「取り入れるものが多い日本において両方残しておこうという考えは、そこまで抵抗ないのではないかな。むしろ新しいものとしてどんどん取り入れよう!これが海外の流行だ!って、上流の人はそんな人が多かったんじゃないかな。憶測だけど。
入谷 「新しい者好きってなんとなくお金持ちが多いイメージがあります。お城の城主だったり、貴族、天皇だったり、好きな物を見つけられる環境が整っていたのかな。時代が遡れば遡るほど、難しい事でもあるよなあ。
新井 「今のお金持ちと昔のお金持ちなんかの比べてみても面白そうかも。お金を何に使っているのかとか、城主とかだったら城下町に対してどんな影響をもたらすのかとか、トップがいるコミュニティの違いを見てみたいかも。
坂本 「そうゆうの好きだね。ずいぶん離れちゃったけど、薪能の話してたんだよね?交友の演目ある程度知ってなきゃ難しいとこあるから、見ておこう。
入谷 「能は全然知らないな~。初めてだし。結構楽しみ!!
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こうしてメンバーで演目を調べ合い、当日の観光予定を組み立てるのであった。
ここまで見て下さりありがとうございます。