現代落語論 私を落語に連れてって 大人の読書感想文

私はなんで今の今まで落語に行かなかったのだろう?歌舞伎が好きな私が落語に行かないというのは、例えて言うなら着物を着るのが好きな人が浴衣は着たことがないよって言うくらい妙なことだったんですね。
10月大歌舞伎は文七元結でした。寺島しのぶさんと獅童さんが素晴らしくて抱腹絶倒な演目でした。この演目は元々は落語だそうです。こちらお席が一等席で18000円。一方で落語はだいたい5000円ほどだそう。歌舞伎の3回分以下なのか!しかも噺家さんが、寺島しのぶさん、獅童さん、そして他の役者さんも、全部まとめて一人で話すのだから本当にとんでもない技ですよね。これはもう絶対に行かねば!

明治や江戸時代の人々を題材とした落語は昔の価値観の巣窟なのだとか。それは歌舞伎もそうだけど、落語の場合は噺家さんたちが工夫してその価値観のズレを修正しながらお話するのだそう。

ダイバーシティとインクルージョンという言葉を初めて聞いたのは、たしか10年近く前、外資系のクライアントとの会議の中だったかな。お台場シティでイリュージョン?と、空耳してしまうくらい聴き慣れなくてなんだそれ?と思った覚えがあります。
今はどこもかしこもダイバーシティとインクルージョン。でも、多様であることは素晴らしいことなはずなのに、なんか世の中息苦しくありませんか?
少し前にあったことです。友人のSNSアカウントが炎上しました。その人は芸能人でもなく、フォロワーさんもたくさんいるわけでもないのですが、少し不適切な投稿をしてしまいました。別に法律に違反したり、誰がに迷惑をかけるようなことではなく、しかし少し不適切な投稿でした。すると炎上しました。SNSの広大な宇宙の中では、あの程度の炎上はボヤか焚き火か、その程度の事象なのかもしれません。でも、私は恐ろしくなりました。友人が目に涙を溜めてスマホを凝視している姿を見て、この人死んじゃうんじゃないかと、怖くなりました。自分の正義や価値観の剣を会ったこともない人に振りかざして残酷な言葉を投げつける人達は、それを受け止めた人が、アカウントを消すだけではなく、自身をも消してしまおうとすることすらあるのだとわかっているのでしょうか。
私はこの本を読んで、古典落語をそのまんまやってもらう機会があったらいいのにと思いました。
これが正しい!これが正義だ!と思うのは勝手だけど、それを人に押し付けるのはどうなのかな。古典落語を聞いたら、今と昔はこんなにも感覚が違うのねって感じることができるのではと思うのです。
ひとたび落語会場に入ったらそこは江戸時代、江戸の噺に価値観ごと没入しようってことです。落語イマーシブ、どうでしょう。
昔、タイムスクープハンターという番組がありました。その時代のリアルを徹底的に追求する番組で、役者の地毛を剃り上げた月代は暴れん坊将軍のそれとは明らかに違って貧相だし、白塗りにお歯黒のお局が和蝋燭に照らされるシーンはホラーだったけど、すごく面白かった。落語が観客に合わせるように、観客が落語に合わせることがあってもよいのではないかと思うのです。

そうだ。あの友人を落語に連れて行こう。そしたら、お馬鹿な人たちのお馬鹿な噺に大笑いして、ああ自分は大丈夫だなって、きっと思ってくれるよね。そうしよう。あの人を、落語に連れて行こう。

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