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【短編小説】虹の見える角度
僕たちの乗った新幹線が大宮を出る頃、雨が上がった。窓際に座る妻を視界の端に入れながら、僕は窓の外を眺めていた。
妻のみゆきの親友が新潟にいる。山下美沙というその女性が緊急入院した。詳しい病状はわからないが、山下美沙さんの母から「是非来てほしい」という旨の泣きながらの電話をみゆきが受け、今二人で新潟に向かっているのだった。
みゆきはLINEでのやりとりに忙しい。誰とやりとりしているのかはわからないが、美沙さんのことであることは確かだった。
心配、だよね。でも、大丈夫だよ、こんなに思ってくれている人がいるんだから、大丈夫。
決して口には出せない慰めをずっと心の中で繰り返しながら、窓外の曇天を僕は見つめていた。
景色が山麓に移りゆくにつれ、雲の切れ間が広がり始めた。背後からは朝日が強く差し込んでいた。
「あ、虹」
気づいたと同時に声に出してしまった僕は、慌ててみゆきに視線を移した。みゆきも反射的にスマホから顔を上げ、虹を確認していた。
「なんか太いね。虹に近づいてんのかな」
いつも通りのみゆきの反応に、僕はホッとした。感情的には落ち着きを取り戻しているようだった。そしてみゆきは虹を写真に収めた。
撮ったばかりの二、三カットを確認しながら、「なんかもう薄くなってきた?」と、みゆきはスマホの画面を僕に見せた。
「そうだね……」と、虹を探して窓外に目をやると、虹はもう姿を消していた。
「あれ、消えちゃった。明るくなりすぎちゃったのかな」
近づいてきた山嶺には雪が残っており、銀色に輝いて見えていた。
と、虹がまた姿を現した。
「あ、まだ消えてないよ」みゆきも気づいて呟いた。
「さっきよりきれい」
みゆきはスマホを虹に向けた。すると、また二、三枚撮るうちに虹は薄くなった。
「私と一緒で、写真が苦手なのかな」
「シャイなレインボーなの?」
いつものみゆきの笑顔に学生の頃のように胸を躍らせていると、虹は隠れてしまった。
「消えた」
「あ、出てきた!」
どういうこと?と真顔になるみゆきに答えようと考えて、僕は気づいた。「あれかなぁ、緩いカーブになっていて微妙に角度が変わるのかな。角度が変わると虹が見えなくなるんだよ」
僕はそう確信し、みゆきもそれに納得したようだった。
でも、また消えゆく虹を見つめながら、みゆきは呟いた。
「ちがうよ」
「え? ちがうかな?」
「うん。角度が変わると虹が見えなくなるんじゃなくて、角度を変えると虹が見えてくるの。虹はいつもそこにあるものなの」
ふーん、なるほどね……。僕はその意味を考えながら、おそらく本当に消えた虹の見えていたあたりを見つめた。
気づくと、みゆきの頬に涙が伝っていた。
「どんな角度を示してあげたら、美沙が虹を見ることができるのかな」
震える声で、僕に向けてみゆきは言った。
僕は文字通り胸が締めつけられるように感じながら、想いを巡らせた。
もし病気に打ち勝つことができたら……。病があって初めて見えてくるものも……。今までがんばってきた分の……。これからが……。
いや、無理だ。
「虹が見える角度は、たぶん、その人にしか探せないよ」
言ってから、冷たい回答だったかな、と僕は心配した。
「うん、そう思う」
みゆきは涙を拭いながら応えた。僕と同じように、いや僕以上にいろんな言葉がみゆきの頭の中を駆け巡ったことだろう。
「そのまま伝えてみる。写真見せて『来る時虹が見えたよ』って。でね、虹が消えたと思ったら、また見えてきてね、虹は消えてなかったの。角度を変えると虹が見えてくるんだよって」
近くに迫ってきた白銀の山肌に反射する日の光が、またみゆきの頬を伝う涙を輝かせた。僕はみゆきの手をそっと握った。
※小説のトーンとは違うかなと思いながらも、ふうちゃんさんのイラストがとても素敵で使わせていただきました。
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