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徳島の田舎の奥で、築100年の古民家を改装して7年バルやってるオーナーってどんな奴よ
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思い立ったのでnoteを書いてみる。タイミングに特に意図はない。
実はここ3年くらいずっと文書を書いて、それがどこで誰かも分からない人にひっそりと読んで貰うみたいな事に憧れ的な興味があった。かといって中身があるような文章を書くつもりもないし(というより書く文才がない)全然小馬鹿にして貰っていい。
何より三十路手前の男が飲酒しながら
普段喋りでは無い文調を脳内再生させなから淡々とキーボードを叩いている所を想像して、歯の奥が浮くようなそんなむず痒い浮遊感を楽しんで貰えたら幸いだ。
取り敢えず『ハイボール一杯飲みきるぐらいで完結する文章量』を
コンセプトに自分のライフスタイルや、どこで話したら良いか分からないようなトピックを発信してみようと思う。
では乾杯。もうすでにほろ酔いです。
親父が勝手に始めたバル気づけば自分がオーナーに。
バルの開業は2017年。築100年くらい(たぶん)の平家を親父が所有してて、住居として貸していた物件が空いたことで、飲食店仕様にセルフリノベイトした事が始まり。
ウチの家はひい爺ちゃんの頃から小さな金物店をしていて親父は3代目だった。
親父は長男として産まれたが店を継ぐことが嫌すぎたらしく、東京の大学を2浪、2回留年、大学の4年間を合わせ計8年間バックレをかました筋金入りの3代目。
だが店を継いでからは真面目に仕事もこなし、金物店で身につけた知識があったからこそ自分の手で古民家を飲食店に改装することが出来たと思っている。
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親父と自分の合流
当時親父は60歳。
親父は昔からこの田舎にしてはちょっとハイカラというか、どこか『田舎っぽくないこと』を大事にしているような親父だった。
小学校の授業参観は真っ赤のハーフパンツに桜色の髪で参加するし、車はフィアットやボルボに乗っているような親父だった。(たぶん結構無理してた)
金物店で多くの建築資材を扱うのに作業着を着ている姿は見たことがないし、お客さんの草刈機を修理する時もモンクレールのダウンをきたまま、モーターのオイルを交換するような親父だった。
東京で過ごした8年間が親父の生き方や感性に大きな影響を与えていたことは間違いないが、良くも悪くも『田舎特有のいなたさ』みたいなもの反発するような生き方は、自分の人生においての価値観にも大きな影響を受けた。
そんな自分はと言うもの、
大学を卒業したてで、就職先も決めずに(と言うより正確には内定を貰っていたが辞退した) 一時帰郷した。
『飲食店をやろうと思うから手伝え』
帰郷した日にそう言われた。
いきなり何を言い出したのかと思ったが
実はもう改装を始めてるとの事。取り敢えず現地を見に行く事にした。
なんともまぁボロボロの平屋
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『ここですんの?まじ?』
予想以上にボロい。建築の知識も何もない自分でも分かる程にまぁボロい。基礎に使われていた石は劣化し、ヒビが入っている。家を支える間柱なんかも白アリにやられて何本か宙に浮いている。
それに、店の所在地はもう古さびたシャッター商店街から一本外れた場所。人通りなど無ければ、店を見つけるのも一苦労の場所である。
『もうすでに屋根は架け替えてある』
『ピザやパスタを出す店にしようと思う。』
衝撃。
どこから突っ込んでいいのか分からない。
もう着工してるのか。しかも自分で?
え? つか、飲食店するって屋根変える所から?え?ほんで洋食?
『とうとう気が狂ったんだな』そう思った。
その後も親父の口からネガティブな言葉は出てこない。軽く引き気味の口調で尋ねてみた。
『んで、俺は何すんの?』
『まぁこれ全部解体してくれ。柱は残してくれな。壁と後、床を塗り替えるからはつってくれ』
俺の社会人1発目の仕事は土方仕事に決定した。
炎天下の肉体作業、高校の親友と過ごした人生の夏休み
と言っても土方仕事はなんだかんだ楽しかった。自分は元々何にでもトライしてみたい人間であったしバスケットを11年続けていたから体力にも自信があった。それに家がどの様にして建っているのかも興味があった。
まずは壁を全部剥ぐところから始めるか。
120センチくらいのバールを手に持ちひたすらに柱から壁を剥いでいく。
建物は全木造で、ビスは使われておらず全て鍵打ちで固定していたから剥がしやすかった。
『ブホッブホ』
砂と何年前かも分からない埃が混じったのが飛ぶ。
1週間程で壁は全部剥ぎ終わったが、
これを資材置き場に運ぶ作業が待っていた。
先程書いたが店の所在地はシャッター商店街から一本外れた場所。その一本外れると言うのは商店街から山へ入る山道の小道が階段になっていてそれが20段以上ありその先にお店がある事を意味する。
資材置き場は商店街の中にある。
つまりここでの建築仕事とは材料も廃材も全て人力で20段以上ある階段を往復する事になる。
その作業は本当にきつかった。
廃材は手で抱えれるサイズに全部まとめ
ポリエステルの紐で括る。
ついたままの釘が飛び出しているが関係なく、両腕に抱え階段を往復する。
『コレはヤバいな』
そう思っていた所に、高校の親友から一本の連絡が入る。
『お前帰ってきとんやってな!今日飲みに行こうぜ!』
久々の高校の親友との再会はめちゃくちゃに楽しかった。
俺がそいつのことが好きな理由として超がつくほどアホで、超がつくほど良い奴なのだ。
お互いに離れ離れになっていた期間の事を、時間を忘れて話をした。
一通りそんな話をしたら仕事の話になった。
どうもそいつは今の職場が気に入ってないらしく、なんか新しいことがしたいとの事。酒も入り熱い話になったテンションで
『KEN!なんか自分らでやろうぜ!取り敢えず俺仕事辞めてくるわ』
そいつは1週間後に仕事を辞めてニートになった。
親友との施工
晴れてか、苦しくなのか、分からないが念願の離職を果たした親友。しかし俺らには金も無ければビジネスのアイデアも人脈も無い。あるのは無限に尽きることのない体力だけ。
『取り敢えず俺の仕事手伝ってくれ』
その辺から親友と合流した。
親友は週に4回か5回は俺の家に入り浸り、毎日酒を飲んでは朝から作業を繰り返した。親友と一緒だったからきつい作業もなんら苦ではなかった。
親友の助けもあり作業は順調に進んだ。
解体は終わり、トイレ、風呂場、客室、キッチンとみるみるうちに作業が進んでいく。
親父がデザインと現場監督、それと80歳になる大工さんが1人、後は自分と自分の兄と親友。大仕事の土間打ちは近所の電気屋さんの社員さんが助っ人としてきてくれることもあった。
このようにして着工から半年。
なんともまぁボロボロだった平家は色んな方々の協力もあり立派とは言えないが一応飲食店の姿に生まれ変わった。