板橋散歩 仲宿
江戸ははるか遠く
2024.2.9
穏やかな晴天。友人を誘って散歩。
東京23区でまだ足を踏み入れてない板橋区へ。
板橋は中山道のうち江戸から最初の宿場町。
板橋宿は上宿・仲宿・平尾宿の総称。やはり商店街で栄えてる仲宿をぶらぶらしようということで三田線の板橋区役所前駅で降車。
さすがに600m続く商店街ということでにぎやか。旧中山道の両脇は今時のチェーン店から昭和の老舗や八百屋・花屋・菓子屋・可愛い喫茶店・病院・薬局金物屋・パン屋……それにスーパーが2件。何でもあり。
ひときは目立つのが、商店街入り口近くの「板五米屋」。大正時代の建物でカフェとご飯やさんになっていて素敵。
歩いた先は石神井川にかかる橋。板橋の地名になった橋だが当然新しいもの。川沿いは桜並木が続いており春は花見で賑わうのだろう。
宿場町の面影は、この長い旧街道と所々にある石碑や人の賑わい。自転車も多いが車の多い事!片道に寄らないと危ないし、のこのこ写真など撮ってられない。考えてみればこれだけ商店があれば、仕入れと荷下ろしのための車が多いのは当たり前だ。と言うことは江戸時代も荷車や馬などで歩くのもけっこう大変だったと想像する。きっと江戸から令和の賑やかさは変わらないのだ。
ここで行きたかった所がある。予備知識は「江戸・東京 色街入門 八木澤高明」著
だけなのだが…。
文殊菩薩を本尊とする文殊院。宿場町には飯盛旅籠はつきもの。ここは、板橋宿にいた遊女(飯盛女)の墓が在ると言う。本堂の脇を入って行くと墓地が広がりその真ん中あたりに「遊女の墓」と書いた石碑があり、右並びに小さな墓がある。これは、盛元という屋号の楼主が建てたものということだ。
遊女は亡くなれば投げ捨てられるというむごい最期を思うけど、良心的な楼主だったのだろう。どんなに遊女の心が慰められていることだろう。
雨風にさらされた小さな墓は、なんと書いてあるのかはっきりわからないのだけれど、戒名・俗名・没年月が明記されているそう。
「女」という文字ははっきり浮かんでいる。その文字に侘しい想いを抱かずにはいられなかった。
本尊の文殊菩薩は見れないけど、ここはいろいろと見どころのあるお寺だった(起源は立て札にゆずることにする)。
足腰の守り神「子の権現」や「焔魔堂」。この焔魔堂の地獄絵図は友人と見入ってしまった。いやだいやだ地獄には落ちたくないものだ{{{(>_<)}}}
山門の脇には延命地蔵尊があるが、もともとは延命地蔵尊の境内を広げたのがこの寺ということなのだが、これが元の延命地蔵尊かは不明。
一つのお寺には盛りだくさんの逸話や必見のものがあり、時間がいくらあっても足りない。面白い。
いくつかのお店で今夜の夕飯のおかずや野菜などを物色し、そろそろお腹も空いてきたのでおまちかねのランチ。
友人とはビール1杯飲んで、安くて美味しいものを食べるのがいつもの流れ。ほどよい値段のお寿司やさんを見つけ
カンパ~イ!! []~( ̄▽ ̄)~*
満腹のお腹で三田線で巣鴨へ。ゴージャス喫茶店「伯爵」。コーヒーの美味しいこと!
おじい様おばあ様御用達の喫茶店と言わんばかりだが、私達だってばあ様なのだ。
でーも、品のいい方々ばかりで救われる。
今日は少しばかり江戸時代に気持ちを馳せもしたが、やはり江戸ははるか彼方に行ってしまった。そんな気持ちでコーヒーをすすった後、駅に向かうとあれ、お昼に食べたあのお寿司のお店が……。ここにもあったのね!
チェーン店だったのか! 所詮そんなものであります。
令和の時代 あるあるです ╯︿╰