オーバーヒートと脳内会話
去年の9月頃から段々とメンタルが歪んできて、年末にはけっこうギリギリな感じになっていた。
それこそ、「彼ら」との脳内会話すらできなくて人生でいちばん参っていたと思う。
環境もあったのだろうけれど、原因は分からず。
今はあの頃よりずっと落ち着いているけれど、
時々言いようのない不安や焦燥感、罪悪感が湧いてくることはある。
何かあれば手書きで書き出す、という習慣はあったのだけど、病みモードの時はそれすらできなかった。そもそも集中ができない。
今にして思えば、病んでる時は思考が止まっているというより、完全に暴走している感じだと思う。
自分で制御できない。
コントロールを失っている。
勝手に走り回ってオーバーヒートを起こしている。
…そんな感じ。
思考の暴走か、それとも感情の爆発か。
どちらにせよ、自分ではどうしようもないことは変わらない。
病んでた時は、頭の中を物凄い速さで、ネガティブな感情や印象が駆け抜けていた感じ。
余りの速さで、それはもう言葉ではなく、形ない何かでしかない。
そんなものが止まらずに湧き出ていて、終始走り回っている。
そんな思考や感情に飲み込まれていく感じ。
ただ、苦しいとか悲しいというより、ずっとイライラしていたと思う。何かに腹を立てていたような。
「自分はどうしたらいいんだろう、悲しい、辛い」
というより、もっと怒りに近いような。
でも、怒りは二次的な感情と言われることもあるから、根底には悲しみや何かがあったのかもしれない。
頭にも靄がかかったような。
深い霧の中にいるような。
その中にいるのが不安で。
早く出たいと焦って。
その焦りからくる怒りだったのか。
今になって、冷静に考えたらそう思える。
ただ、その靄や霧が、実はコントロールを失った思考のエンジンから出る煙だったとしたら。
自分の頭を使い過ぎるから、自分で自分のことを考え過ぎるから、なのだとしたら。
もしそうなら、もう一人の自分を頭の中にいれて、その人と会話をすれば良いのでは?と。
そうしたら考えることが単純に倍に増える。
それは、持て余したエネルギーを充てる先が増えたことになる。
そうなれば少しは頭がスッキリするのではないか?
そう思って、最近は意識的に色々な人と脳内会話をするようにしている。
…とはいえ、病んでいた頃をきっかけに脳内会話は、まったくと言って良い程にできなくなってしまったので、リハビリを兼ねてではあるけれど。
正直、いつまたああなるか分からないし、
きっかけなどなくても、あの時に戻ってしまう気がする。それが怖くて。
その時に、少しでも立ち直る役に立てば、と。
彼らが見えなくなった時の不安感。
自分の足元が、存在感が、現実感が揺らぐような、あの不安と恐怖と焦り。
言いようのない罪悪感。
それを少しでも軽くしたくて。
彼らに縋ってはいけないのだろうけれど。
でも、いざとなったら縋ってもいいと思える人と付き合っておくことも、人生には必要かもしれない。