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解釈魔の素人演出手帖(1)―2「しずむ」解釈続き

前回キクチイサオ氏の傑作映画脚本「しずむ」の演出ノートを発表させて頂きましたが、今回筆者の演出は「しずむ」の人間関係をどう解釈した結果であるか、について書いてみたいと存じます(ネタバレあり)。初めて読まれる方には、「解釈魔の素人演出手帖(1)」を読んで頂ければ(長すぎますかね?)。

まず主要人物の女性3人の年齢を原作の25歳から35歳に変えた理由。25歳ではまだ仕事も人間関係も「これから」で、「前に進めば道は開ける」という思い込みが通用する。30代半ばは、独身女性が生き方の決断を迫られる年代でしょう。仕事では部下ができ、プロジェクトの中心になる機会も増える一方、子供を持つなら年齢的にそろそろ…という迷いもあり、キャリア系、良妻賢母系、バランス系のどれが自分に向くかあるいは可能かを早く決めねば、という焦りが強まる。筆者の演出では早期に「バランス系」を選んだ警察官清美が、「勝ち組」になっている設定にしてみました(正直に言えば、筆者の好みのキャラではないのですが)。家事育児と両立できる安定した仕事があることに満足し、地域住民が安全であれば、出世の機会であっても外部の事件には興味を持たない。夢はほどほどの暮らしでお金を貯め、子供を都会のそこそこの大学に入れるとか、定年後に住める家を建てることだったりする。静子と明子については、もともとは「キャリア系」だったけれど、そこからコースアウトして迷路の中に入り込んでしまった、ということをほのめかして作品の底流を流れる不安感の原点にしたかった。

「コースアウト」の原因は(ありきたりだけど)「恋愛」が説得力がありそうに思えます。
静子は技術系、明子は営業系でキャリアを積んできた。ともに「デキる」女性として互いを認め合うことで親友になった。それでも、人生の分岐点を迎えたところで、ある男性との出会いが関係性を狂わせる。これも20代なら、「好き好き」でくっついたり離れたりのゲームを楽しめるけれど、30代だと「結婚を前提」か「泥沼の不倫」か、異性を愛するということ自体がとにかく重い。

筆者には、「紅茶とバラのジャム」という作品のキーアイテムの一つは元来誰と誰の関係を示していると考えるかで、この作品世界の解釈の幅が見えてくるように思えました。筆者が可能と考えた解釈には以下があります。

1  「紅茶とバラのジャム」はもともとは静子の趣味で、それを元カレが気に入っていた。
A. 静子の元カレが明子に心を移す→明子が寿退職。静子は東京にいたたまれず(付き合っていたとき、男性のために会社のお金を使い込んだ可能性もあり)農村に移住。冒頭の静子の華やかな装いは明子への対抗。オフィスでの「紅茶」の場面は明子からの別れの挨拶(かなりイヤミ)。静子は移住後も心のどこかで明子になり替わりたいと望んでいる。
A.1 明子が別れの挨拶に訪れてきた夜のオフィスで、彼女のイヤミな言動に憤り、彼女を殺害。移住後は一人暮らしだが、罪悪感から男性との出会い以降の記憶を消し、明子との二人暮らしを心の中で演じている。
A.2  明子との生活の幻想はA.1と同じだが、殺害とそれにまつわる人々との会話も明子へのマイナス感情を押し込めた幻想。

B. 明子の元カレが静子に心を移す。→明子が精神に変調を来たす(「紅茶を淹れる」ことに異様に執着するなど、静子のカレとの習慣を自分のものにしようとする)。明子の退職は精神の変調により仕事に支障を来たしたため(元カレと付き合っていたとき、会社のお金を使い込んだ可能性もあり)→静子と男性との仲もギクシャクしはじめ、結局は別れることになる。冒頭の静子の華やかな装いは男性の好み。
B.1 殺害は実際にあったが、動機は憤りより憐みが勝る。あとはA.1と同じ
B.2  明子を「ともに失恋した相手」と受け入れる。彼女との生活は事実で、殺害やそれにまつわる会話の幻想は、明子への愛憎半ばする感情の反映 B.3  明子は生きているが、病院に入るor実家に帰る等で静子とは離れた場所にいた。殺害や移住後の明子との生活は幻想であったが、最後の場面で現実の明子が現れ、二人暮らしが始まる。

2 「紅茶とバラのジャム」は、もとから静子と明子のアイテムで、2人は同性愛とまではいかないが、互いに互いが自分にとって一番大事な相手と思い、紅茶がそれを確認するツールであった。が、男性がその間に入ってきた。男性と恋に陥ったのが明子であれば展開は1.Aのどれか、静子であれば1.Bのどれかになる。結論の選択は同じでも、1と2で解釈が「異なる」のは、1であれば最後の場面で静子と明子の関係が今までにない新しいフェーズで再構築されるのに対し、2では男性の影が消えただけでもとに戻った、と考えられるところ。

3 明子は初めから実在しない。静子は恋した男性が素の自分より陽キャな女性が好きなのではないかと思い込み、いつしか明子と言う別人格が生まれる。静子が失恋すると、明子との関係は、「別行動型(2つの人格がお互いを認識しておらず、場面場面で別行動をとり、別人格の行ったことを覚えていない)」から「対話型」に移行。「紅茶とバラのジャム」は明子人格が男性との関係で使っていたアイテムだが、今は静子人格へ対話を呼びかける際に使われている。静子人格は、明子人格をうっとうしく感じ(「別行動型」のときに会社のお金を使い込んだ可能性もあり)、抹殺を図る。静子人格は明子人格を殺した状態と彼女と共生する状態を苦しみながら行き来する。「殺した」状態のときは、「優」人格(中身は高校時代の静子?で姿は近所の高校生が仮託されている)が現れて静子人格を責める。静子人格は悩みぬいた果てに明子人格との共生を選ぶ。

読者の方々はどういう解釈を取られるのか興味深いです。3が一番ストーリー展開で整合性が高く、カフェの主人との「罪の意識だけあって罪がない」という会話もこれで解読できる。この解釈をメインにするなら、静子が持っている本に「24人のビリー・ミリガン」とか、多重人格ものを入れるという手もありますね。ただ、これは分かりやすいと同時にあまりに安易な解決なので、「可能性」の範囲にとどめておいた方が原作の深みが失われないと判断しました。


一方、静子の明子殺害・死体遺棄は、これを現実と解すると、かなり事前に計画を練っておかなくては難しいのでは、とミステリの下手な解説みたいですが思うところを書いてみます。

まず死体をどうやって軽自動車まで運ぶのか?意識のない人間の体は、自分で体重を支えられないので相当に重い。普段重いものを持ちつけない女性には持ち上げられない。それが一時的にできたとしても、「具合が悪くなった同僚を家まで運ぶ」とかいう名目をつけて駐車場まで運ぶ途中で、男性の同僚や警備員が見つけて手伝おうとしたらアウト。見とがめられずに一人で運ぶなら台車でしょう。見つからないためには、死体を前かがみで座らせた形で縄(マフラーも可?)で車に結びつけ、そのうえに資料などを重ねてカバーをかける等の工夫が要る。それでも自動車に荷物を積み込む際、事前調査で駐車位置を警備の詰め所やカメラの死角に置かないと、人の形をしたものが警備員に見つかるあるいはカメラに映ってしまう可能性がある。

自家用車通勤も通常の勤務日には難しい。東京のオフィス街だと、通勤時間は業務用車両で道路は混むし、駐車場のスペースも限られているから、基本的に公共の交通機関で通勤することが求められる。静子が自分の車に明子の死体を積み込めたのは、東京の勤務先を引き払う日で、私物を持ち帰る必要があるからと事前申告して駐車場を使う許可を得たから?

さて、湖への死体遺棄について。これも早朝の人目につかない時間に済まさねばならない。砂浜からだとすぐ岸に流れ着いてしまうから、ボートで中心部の深いところまで行って遺棄することになるが、貸しボート屋はまだ空いていない(空いていたとしても積み込む荷物を見られたらアウトなので使えない)。偶然岸に流れ着いたようなボートでは、漕いでいるうちにカチカチ山のタヌキよろしく水漏れで自分が沈みそうだし、やはり事前にボートを入手して人目につかない場所に隠しておかなければ。

といっても木製のボートで二人乗りのサイズだと、軽自動車で運ぶのは難しいし、近所で買えば物珍しいので足がつきやすい。遠くで買って湖のほとりのどこかに配達してもらう?道路沿いはともかく、林の中までは配達員も来てくれないだろうし、一目につかない時間帯を選べるか疑問。使う直前に空気を入れるゴムボートなら、車で楽に運べるが、女性とはいえ、2人合わせて100㎏近い重量に耐えられるだろうか?

湖の選択も重要。「死体が沈んでいる」というセリフはあるが、人の死体は水に入れると、相当の重量の重りをつけても数日で浮き上がってしまうらしい。また水底が見えるような澄んだ水ではすぐに見つかってしまう。底が柔らかい泥で、一旦水底についたら何もかも呑み込まれてしまうような底なし沼あるいは倒木や藻が水底に重なって沈んできたものをからめとってくれなければ。どちらかと言えば汚い湖沼のほうが沈めるには安心。


といったことを寝床でつらつら考えていたら、夜明けがたに三連続の夢。それぞれにつながりはありませんでしたが、いつもは目覚めて数時間たつと見た直後のカラーの記憶が白黒に変わるのに、今回は色が消えず、音声も現実の音声らしいものが耳に残っているのは「夢の記憶」としては珍しかった。現実と幻想とのMixの例としてちょっと書いてみます。

1 山道を銀灰色の国産車に乗せられて走っている。らせん状の道の曲線がだんだん狭まって、道路脇の木々の枝が自動車の屋根にかぶさりそう。運転しているのは見知らぬ男性だが、用向きは仕事関係のようだ。山の中腹(頂上に近い)に石造りの施設があり、その前で降りて受付に入ろうとすると、中は体育館なのか、ボールが弾む音と若い人々の歓声。何の用だろう?と不思議に思ったところで目覚める。

2 自宅の居間にきょうだいが来ていて、老母と話している(ともに実在の人物)。きょうだいは石膏模型のようなものを持っている。どうやら新設の高齢者施設が話題らしい。何か相談ごとを持ちかけられそうだが、老母との相談は、結局は相手の思い通りにするように持っていかなければ機嫌を損ねるし、長々と結論が決まりきった話をするのはうっとうしい(と常々感じている)ので台所に逃げる。息子(現実には大学生だが、なぜか外見は小学生になっている)が来る。腰のベルトにハガキがぶら下がっていて、子供っぽいタッチで赤と緑の竜が書いてある。小学生の年賀状か?と覗き込むと、息子が何かの資格取得の講座を受けていたが事務上のトラブルで呼び出されている、といった実年齢相応の相談をしてくる。「とにかく行って話を聞くのが先」などとアドバイスしていると、いつの間にか風呂の温度くらいの湯が胸元まで満ちてくる。あわてて息子を浮き上がらせて上を向いた状態で支える。ここでまた目が覚める。

3 一人で広い(円形の?)ビルの中を歩いている。窓は天井に近い位置にあり、外は見えない。どこもかしこも白いペンキ塗りで、ところどころに原色の鉄のドアが見えるが、自分が何の用で来たのか、どこに行けばよいのかは不明。不安な気分のままにぐるぐる回りをしていると、壁や床が一見大理石風のやたらに広いホールに出て、扉が開いたままの大きな催事場が見える。今は何のイベントもしていないようだが、ここでは小学校の夏休みにミニカーの展示会などがあって、時々子連れで来ていたな、と思い出す。ここで最終的な目覚め。

特に意味のない夜の花壇

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