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解釈魔の素人演出手帖(1)キクチイサオ氏 短編映画脚本「しずむ」

いつもながら唐突に失礼します。筆者が解釈・注釈中毒であることは常々公言しておりますが、その嗜好に見事にハマって下さったクリエイター、若い(もしかしたら筆者の年齢の半分くらいじゃないかと思う)詩人キクチイサオ氏の作品のご紹介です。

氏の作品を読むたびに、この方は仏象徴派詩人のマラルメによる「詩は言葉で書く」という姿勢をよく保っている、と感服します。読者により好悪はもちろんあるだろうけれど、擬音語の使い方の巧みさとか、自分のテクニックを確立している。と同時に、五感に映る事物を「言葉」という媒体で自在にデフォルメさせていける自由な精神はやはり若い人のものなのか、と筆者などは自らを省みて悲しくなる。

詩もさることながら、短編映画脚本「しずむ」は読む人の解釈願望をかき立てる非常に魅力的な作品でした。シンプルながら非常に深みがあり、場面の一つ一が美しく書き込まれている。基本的な場の設定やセリフは「やっぱりこれしかないなあ」と思います。登場人物間の会話が本当に自然で、その自然さがかえって怖い。それでもちょっとした空白を見つけて、「ここはこういう効果を」とバリエーションをつけてみたくなるのは、読みごたえがある作品だからこそ。

というわけで、映画や演劇については全く素人の筆者ですが、この作品に、筆者の解釈による人物像や、印象的に感じた場面をどう作りたいかについてのメモを加えたいと思います。(キクチ氏には、「自由に色々なバージョンを作ってもらえると面白い」というお許しを頂き、たいへん有難く存じております!)この「解釈」はごく平凡なものですが、はっきりそうと言える形ではなく、「そういえばそうかな」くらいにほのめかす形にしてみたい。このバージョンでも、謎は様々に出てきて、新たな解釈の余地は色々ある(と思います)ので、原文でもこのバージョンでも、この作品を読まれた方の「自分だったら」というご意見も伺えれば、と期待しております。

前置きはさておき。
以下、原文は引用スタイル(灰色地)で、筆者が書き込んだ演出をー通常の文字―で書き込んでみます(Wordのように字体や色が変えられないのは不便…)。note記事としてはたいへん長大になりますが、前後編などに分けず、一気に読めるイキオイを大切にしたいと考えました。

短編映画脚本「しずむ」
【あらすじ】
 青森静子(25)は仕事中にPCの黒い画面を見ていると、重い耳鳴りに襲われて、仕事を続けられなくなる。仕事をやめて地方に移住する。友人の春川明子(25)に引越しを手伝ってもらう。手伝いだけのはずが、仕事をやめて移住先に居残ると言い出す。静子は責任を感じ、仕事に戻るように言うが、明子は帰ろうとしない。
【登場人物】
青森静子(25) ITエンジニア
春川明子(25) 静子の同僚
鈴木清美(25) 警察官
高木優太(45) 不動産会社社員
小林新一(55) カフェ店主
長谷川優(18) 

―筆者の解釈では、同年齢の3人の女性の年齢をやや高めにしてみました。外見はこうかな?

静子(35)中肉中背。小顔で青白い。美/醜でいえば美のほうだが、声や話し方は地味でやや鈍重。重たげな濃い髪は冒頭ではセミロング。都会では服装やメイクを華やかにしているが、移住後は疲れて投げやりな風情。
明子(35)こちらも中肉中背の平均的な体格。ストレートのワンレンショートボブ。顔立ちは一見ぱっとした感じだが整ってはいない。軽めの上滑りした声だが、濁っていてちょっと聞き取りにくい。早口のほう。派手目のメイクが、非常識ではないがなんとなく、「一ミリくらいずれた場所に塗っている」印象を与える。
清美(35)どちらかというと小柄。筋肉質だが男性的な印象ではない。顔立ちは大づくり。肩を過ぎるくらいの癖毛(天然)を無造作に後ろで束ねている。職業的にガラガラした声、はきはきした物言い。分かりやすい体育会系コンサバ。
優太(45)可もなく不可もないサラリーマン風。髪は長からず短からず、襟足はきれいに借り上げている。チタンフレームのメガネ。世慣れてはおり、無難に見せようとしているが、根っこに対人恐怖症がありそう。口調は滑らかだが、意識してどもらないようにしているように聞こえる。
新一(55)強い印象を与えるタイプではないが「ちょっと粋がったオヤジ」感がある。長身で手足が長く立ち姿は良い。白髪混じりの長めの癖毛に、軽くあごひげを生やしてもよいかも。声は高めだが響きが深い。
優(18)背は高くスリム(に見えるが近づくとハイティーンらしく肉付きは良い)。長いストレートヘアを背に垂らした大人っぽい美人か、お下げに黒縁ボストンメガネの委員長風かは迷うところ。どちらにしても、仲間とは離れて孤独を好む風情。声は低くハスキー。―
 
【脚本】
◯AI開発企業ビル・オフィス
大きな窓のむこうに、大都市の高層オフィスビル群のながめが広がっている。
若い社員たち、ドリンク片手に談笑しながら、大きな窓の前からデスクのある方へ歩いていく。
目がチカチカするような現代アート風の内装。
広い共有スペースで、自由に、能天気に働く若い社員たち。
◯同・個人スペース
PC画面上に、プログラム言語がずらずらと続いていく。
隅っこの人のいない場所にあるデスクで、明るい色の洋服が縮こまっている。
青森静子(25)、背中を丸くして、PCの画面に囲まれている。
ネット広告のモデルのように無難な身なりをしている。
流行りの化粧をした顔は、無表情で暗い。
きれいに手入れされた指先を、休みなく動かす。

―静子の服は黄(後に出る軽自動車と同じ色)のタイトスーツ。インナーも同じ色。ネイルはパールピンク。靴はヒール低めのパンプスで、茶に近い赤とベージュのツートンカラー。常識外れではないし、似合っていなくはないが、どこか無理して明るくしている印象―

◯同・オフィス内の大きな窓の前
明るい日差しの中を、社員たちの集まりが談笑しながら歩いてくる。
春川明子(25)、資料を抱えた部下たちに囲まれて、一人手ぶらで歩いている。ビンテージのワンピース姿に、スニーカーを蹴り上げて、短い黒髪をぽんぽんはずませている。
部下たちから笑顔で話しかけられて、明子も人懐っこい笑顔をあちこちに返している。
『よろしく』とみんなに声をかけて、途中でその集まりを抜ける。
みんな、一斉に明子の後ろ姿に頭を下げる。

―明子の服はローラアシュレイの花柄ワンピース(基調は水色)。スニーカーはやや濃いめのピンクで、ブランド品ではあるがオフィスでは浮きそう。部下たちが彼女に向ける笑顔はちょっとひきつっていて、彼女が抜けると「不愉快な人ではなかったけど、集団から出てくれて何だかほっとした」という雰囲気になるー

◯同・オフィス(深夜)
暗くて、誰もいない。
◯同・個人スペース(深夜)
静子、仕事を終えて、マフラーに顔を半分埋めて、椅子にぐったりと沈んでいる。デスクの上の小さな間接照明だけがぼんやりと光っている。
椅子に頭をあずけたまま、PC画面に目を放っている。

―マフラーは細めのロング丈ニット。房付き。色はオフホワイト-

◯同・オフィス(深夜)
明子、誰もいないデスクの間を、自転車ですいすいと走り抜ける。
紅茶のセットを乗せたティートレイを器用に片手に持って、右に左に曲がる。
◯同・個人スペース(深夜)
静子、PC画面をじっと見ている。
黒い画面に、静子の顔がぼんやりと映っている。
静子、画面の黒に引き寄せられるように、椅子から頭を浮かせる。
画面が黒い水面のように、ゆらゆらと波打ち始める。
映っていた静子の顔がゆがむ。
静子、黒い画面を見つめる。だんだんと鼻呼吸が浅くなっていく。
ゆさりゆさりと黒い水が波打つ。

-「黒」について。この脚本ではキーになる色の一つ。色々な場面で出てくるが、ここのPC画面、また後の油絵と夜の湖面の「黒」は、単純に絵の具や液晶画面の黒ではなく、暗緑色を極度に暗くして、「底に藻が茂った湖沼の水面を夜中に覗き込んだときの色」に調整できるとよい。画面の感触も平板ではなく、一見鏡のような水面も底ではどこかで水や藻が揺れているように、あるかなきかの波立ちを感じさせられればー

◯同・オフィス内の大きな窓の前(深夜)
オフィスビル群の夜景。
明子、夜景の窓の前を自転車で颯爽と走り抜ける。
◯同・個人スペース(深夜)
静子、前のめりで、PC画面の奥を見つめている。
口呼吸が浅く、速くなっていく。
画面はぐらぐらと波打ち、映っていた静子の顔は、化物のように醜くゆがんでいる。
明子、自転車で到着する。
明子「(驚かすように)静子ちゃん」
静子、画面に目を奪われたまま。
明子「紅茶にしましょ」
と、にこにこしながら、デスクの間接照明の下で、紅茶の用意を始める。
アンティークのティートレイ、ガラス製のティーポットとカップ、赤いバラのジャムの瓶。
明子、カップに紅茶をそそぐ。
明子「バラのジャム、いるでしょ?」
と、バラのジャムの瓶を手に取る。
静子「明子さん」
と、明子を振り向く。
急に耳を押しつぶすような重い耳鳴りに襲われる。
顔をゆがめて耳をふさぎ、昏倒する。
◯タイトル『しずむ』
暗闇の中、重い耳鳴りが続く。

―「暗闇」の色はオフィスビルの窓から見える都会の闇夜。隣のビル影があってもよいが、照明は消えていて暗い輪郭のみ。画面の右下の隅に小さく白い(30代くらいの男性の横向き上半身?)のシルエット。輪郭はぼやけていて、そう見れば見られるかな、というくらい。耳鳴りの効果音はアブラゼミが遠くで鳴いているような「ジー」(十数年コンセントに刺しっぱなしにしていたコードタップの金属が劣化して漏電寸前になったときの音と言いたいが、こういう間抜けなことをしでかす人間はそうはいないであろうから、例えとしては不適切?)-

◯車影の少ない高速道路(夜明け前)
黄色い軽自動車が走っていく。

―「夜明け前」の背景は暗めの白で、対向車や道路の画像はなし。ミニカーが音もなく紙の上を滑っていく感じ―

◯走る黄色い軽自動車・車内(夜明け前)
静子、首を絞めるようにマフラーを窮屈に巻いて、疲れた顔で運転している。明子、後部座席で横になっている。足だけ見える。
カーラジオが天気予報を伝えている。
冬の寒さがしばらく続く。

―静子、爪を切り、ネイルも取っている。強く拳を握ると、手の甲に血管が浮き出る。―

◯車影のない高速道路(朝)
朝日に染まった山々の景色が流れる。
山間の高速道路を、黄色い軽自動車が走っていく。
◯旧道にかかる古い橋
黄色い軽自動車が走っていく。
山々の景色と、きれいな川の流れ。
◯古い民家の点在する村道
黄色い軽自動車が停車している。
静子、車を降りて、地元民に道をたずねている。
何度も頭を下げて、車に戻る。

-静子の服装はこれからずっと、白っぽいクルーネックのセーター、濃茶のロングフレアスカート。外でもコートは着ない。靴は黒のレザー(といっても実際の材質はクラリーノ)スニーカー。「静子の家・囲炉裏の部屋(夕暮)」の三回目で、「マフラーを外す」の指示があるまで屋内外にかかわらずマフラーは巻いたまま。民家のあるあたりから朝日が消えて空は薄曇りの灰色になる。―

◯林道
黄色い軽自動車が走っていく。
◯未舗装の林道
黄色い軽自動車が走っていく。だんだんと道幅が狭くなっていく。
◯静子の家・外
黄色い軽自動車が到着する。
明子、後部座席から飛び出して、伸びをする。
静子、車をおりて家に臨む。冷たい向かい風に首を縮める。
こぢんまりとした平屋の古民家。『空家』の看板が風雨で朽ちている。家全体に痛みが目立つ。前庭は枯草と落葉だらけで、はだかの庭木は枝が伸び放題になっている。枯れ果てた花壇のむこうに、雨戸を閉め切った縁側が見える。

―明子も静子と同じ服装をしている(マフラーはない)。二人とも、自分たちだけの会話のときは、口はあまり動かさず声はやや遠くから聞こえる感じ(音声後入れ?)。表情や抑揚は普通にあるが、現実の音というよりテレパシーで交信しているような。「庭木」は細い幹が二人の背丈位。枝が四方八方に伸びていて、「いばら姫」の城のいばらを思わせるが、実際は通行の邪魔にはならない。合歓か百日紅あたり?―

◯同・玄関の外
静子、引戸を開ける。
明子、静子の横をすり抜けて、先に暗闇の中に飛び込んでいく。

◯同・玄関の中
静子、靴をそろえて脱ぎ、廊下の奥の暗闇に入っていく。

◯同・囲炉裏の部屋
真っ暗でなにも見えない。
静子、こっそり顔をのぞかせて部屋の中をうかがう。
手探りで明かりのスイッチを探すが、なかなか見つからない。
と、どたどたと足音がして、その方に目をこらす。
明子、暗闇をものともせず、縁側の雨戸を次々と開け放っていく。
静子、外光に目を細める。
部屋の様子が見える。古びた柱や壁、ぽつんぽつんと置き去りにされた家具が、ほこりっぽい空気に浮かび上がる。

縁側に布をかぶせた揺り椅子がある。
そして、部屋の中央には囲炉裏がある。
静子、部屋の中に進み、囲炉裏を見る。
手入れのされていない古い囲炉裏。
明子、ばたばたと走ってきて、囲炉裏に飛びつく。炭を指先でいじる。
静子、縁側の揺り椅子に行く。
布を取る。ほこりで汚れていないか指先でさわる。ハンカチを出して、ほこりをはらう。肘掛けにゆっくりと体重をかけてみる。恐る恐る腰をかける。少しゆらしてみる。要領をつかんで、ゆらゆらゆれる。庭に目をやる。
枯れ果てた花壇が見える。

―木造の民家は屋根、壁、床、雨戸の内側のガラス戸の枠など、すべてが板張りで、黒くすすけている。屋内の板は案外堅牢で、床を踏み抜くとか壁が崩れるということはなさそう。間取りは玄関から続く廊下の南側が囲炉裏の部屋(板の間)と和室。ともに6畳ほどで、間に仕切りはなく、庭との間に揺り椅子のある広縁は共通。廊下の北側に風呂場やWCなどの水回りが固まっているようだが、画面には映らない。囲炉裏の部屋は天井の梁がむき出しで、炉の真上に煙出しの小さな煙突。梁から太い銅の針金が下りていて、鍋や鉄瓶をかける自在鉤がついている(緑青が吹いて「青銅色」)。和室の畳は黄ばんでささくれている。家具は揺り椅子のほかは、囲炉裏の部屋の隅の茶箪笥、壁に立てかけた丸いちゃぶ台、炉の端に置かれた鉄瓶。和室の柱にかかった柱時計(動いていない)くらい。これらも長年煙でいぶされて黒くなっている。庭に見える花壇は四角いレンガ作りで、レンガは泥をかぶって汚れているが花壇の外周は崩れてはいない-

◯同・和室
静子、鞄からSF小説の文庫本を出して、畳の上にただ積み上げている。
明子、部屋の外を通りかかる。
明子「なにサボってんの? 車の荷物、なんとかしなきゃ。でしょ?」
と言い残し、スッといなくなる。
静子、少しぼんやりした後、腰を上げる。
◯同・外

―再び「紙の上」のような背景-

静子、黄色い軽自動車の後部座席のドアに手をかける。
ふと手を止める。
声をかけられたように、振り返る。
◯未舗装の林道

―曇り空の下―

静子、重い体を引きずるように、ゆっくりと歩いていく。
◯雑木林の道
静子、落葉に足を埋めながら、ゆっくりと歩いていく。
◯素掘りトンネル
トンネルの中は真っ暗で、抜けた先も暗闇ばかりでなにも見えない。
静子、暗闇をじっと見る。
黒い水にしずむように、トンネルの暗闇の中に入っていく。
◯湖のほとり
山間に湖面が広がっている。
静子、湖に背を向けて、弓形に続くきれいな砂浜に立っている。
空を映した湖面の明かりに、静子の顔が暗く沈んではっきりしない。
湖に背を向けたまま歩き出す。だんだんと歩みが逃げ足になる。
と、背中になにか感じて、立ち止まって振り返る。
遠くに桟橋が見える。突端に立っている人影がこちらを向いている。
人影を横目で見る静子の顔が、湖面のひかりに照らされている。
長谷川優(18)、高校生の制服を着て、桟橋の突端に立てたキャンバスの前で、こちらを見ている。
静子、目を細くする。
優、キャンバスに向き直って、湖の絵を描き始める。
静子、目をこらしている。と、重い耳鳴りが始まる。
両手で耳をふさいで顔をゆがめる。

―優の制服は濃紺サージのぼってりしたセーラー服。襟に臙脂の線。同じく臙脂のリボン。スカートはたくし上げずにひざ下。黒のコインローファー。静子が耳をふさぐ直前から耳鳴りの効果音(次の場で明子が登場するまで続く)。暗雲に覆われたように画面が暗くなり、右下に(男性シルエット?)が出たか出ないかで場が移る-

◯静子の家・囲炉裏の部屋
静子、耳をふさいだまま、揺り椅子でゆらゆらゆれている。
明子、囲炉裏の炭に、マッチで火をつけようとしているが、つきそうもない。
明子「ガソリンでもぶっかけるか。(静子を見て、笑って)どうしたの?」
静子、室内でもきつく巻いたままのマフラーに隠すように、ぱっと笑顔を作る。
静子「いいよ。それ」
明子「なんで?」
静子「(笑って)こわいから」
明子「楽しいじゃん」
と、炭に息を吹きかける。灰が巻き上がって、むせる。
静子「時間大丈夫? (と揺り椅子を立って)明日、仕事でしょ?」
明子「お休み」
静子「そうなの?」
明子「ずっとお休み」
静子「……ん? なんで?」
明子「仕事やめた」
静子「え?」
明子、灰を巻き上げないように、炭に息を吹きかけている。
静子、ぺたんと床に座る。
静子「やめた?」
明子「うん」
静子「やめたってこと? 仕事」
明子「(笑って)そう言ったじゃん」
静子「……ウソでしょ?」
明子「ウソ(と、フーフー)」
静子「ウソなの?」
明子「(笑う)」
静子「なに笑ってんの? 大丈夫?」
明子「なにが?」
静子「いろいろ」
明子「いろいろ考えないもん」
静子「帰ったほうがいいよ。だって仕事……」
明子「だから、やめたって」
静子「そんなの困る」
明子、けらけら笑い出す。
静子、それを見て言葉が続かず、揺り椅子に後ずさって、座る。
ゆらゆらゆれる。
明子、いつまでも炭に火をつけようと奮闘している。
静子「なんでそんなことするの?」
明子「紅茶、淹れるの」
と、子供のように笑っている。
静子、目をそらす。
ゆれているうちに、だんだん重い耳鳴りを感じ始める。

―耳鳴りの効果音(小さめ)次の場の終わりまで続く―

◯同・和室(夕暮)
静子、文庫本を何冊も読み散らかしたまま、ごろ寝している。
重い耳鳴りに身をよじりながら、息苦しくなって目を覚ます。
◯同・囲炉裏の部屋(夕暮)
静子、恐る恐る顔を出す。
明子、囲炉裏のそばに座っている。
囲炉裏の炭に火がついている。鉄瓶の湯がしゅうしゅうとわいている。
明子「紅茶にしましょ」
と、にこにこしながら、紅茶の用意を始める。

―画面A(秋晴れの空を思わせる透明な淡青色の背景の中央にタイトル後の耳鳴り場面の男性のシルエットと同じ?白い塊。その両側に静子(紺のスーツ)と明子(くすんだサーモンピンクのスーツ)の上半身正面が写り、塊の周りをくるくる回転する。二人とも屈託のない笑顔)。この画面は明子の「紅茶にしましょ」というセリフの度に現れるが、いつも「見えたか見えないか」くらいの一瞬で消え、何事もなかったように明子の紅茶を淹れる仕草が続く-

アンティークのティートレイ、ガラス製のティーポットとカップ、赤いバラのジャムの瓶。
明子、カップに紅茶をそそぐ。
明子「バラのジャム、いるでしょ?」
と、バラのジャムの瓶を手に取る。
静子、囲炉裏の火をぼんやり見つめて、黙っている。
炭火の小さな妖光。
(溶暗)
◯静子の家・囲炉裏の部屋
縁側のガラス戸の結露がたれる。
静子、揺り椅子でゆらゆらゆれている。膝の上に読みさしの文庫本。
結露のむこうで動く人影。
静子、結露を指先でふく。
クワを使って花壇の土を耕している明子が見える。
静子、ぬれた指先を膝にこすりつける。文庫本をぺらぺらめくる。すぐ閉じる。と、玄関の戸を叩く音がする。耳をそばだてる。
また戸を叩く音。たしかに聞いて、こっそり立ち上がって、じっとする。

◯同・玄関の中

静子、忍び足で来る。
引戸のむこうに人影がふたつ。そのひとつが戸を叩いている。
静子、忍び足のまま、上がり框まで来る。ためらって、立ち止まる。
人影がガラス越しにのぞきこんでいる。
清美「(戸のむこうで)あっ」
静子「(思わず)はい」
引戸が少し開く。
清美「(戸の隙間から)こんにちは」
静子「……こんにちは」
静子、急いで引戸を開ける。
鈴木清美(25)、笑顔で敬礼する。
高木優太(45)、清美のうしろでニコニコと会釈する。

◯カフェ・外

―晴れた午後。今は何も植えられていない畑の横のまっすぐな道路沿い(突き当りは落葉樹の林で、今は裸木が並んでいる)にカメラが進み、日に照らされた白い小さな家の前で止まる。―

控えめな店構え。店先の看板に、猫の足跡がデザインされている。

―看板は支えのない一枚板で、ドアの横の壁に立てかけられている。モーブ色のペンキで塗られ、猫が黒のペンキを踏んで歩いたような模様の真ん中に「Café Deux Chats」-

◯同・店内
都市部にありそうな、洒落た店内。
インテリアなどはあまりなく、すっきりしている。
清美と高木、向かいに静子、テーブル席に座っている。

―白いペンキ塗りのドア(上部が曇りガラスでドレープ上のレースが飾られている)を開けると、高い天井、壁、床が白く塗られた室内。道路側の壁の上半分は柱以外は大きなガラス窓で、レースのカーテンが今は引き寄せられている。反対側には2つの出窓があり、それぞれに薔薇の鉢植え(花はついていない)。天井には鋳鉄のシーリングライトファン(今は回っていない)があり、電灯の笠も白ガラスの釣鐘。入ってすぐ右手がカウンターで、店の奥に向かって4人掛けのテーブル席が2×3くらいの列で並ぶ。家具は白木と鋳鉄で、陶器類はすべてシンプルな白磁。BGMが小さく流れる(レトロな喫茶店でよく流れている「Paul Mauriat Best Album」)。陽光が入って明るいが、どこか寒々しい雰囲気。清美は私服で、パステルピンクと水色の横縞カットソーに淡いオレンジベージュのジーンズ(大衆向け洋品店「しまむら」あたりのバーゲン品)。生成のスリッポン型のズック靴。右手に金の細い結婚指輪。優太は薄めの色のブルーグレーのスーツ、白いワイシャツ、ネクタイはモスグリーン基調で臙脂のペイズリー模様。磨きこまれた茶の革靴。店主の小林はアランセーターにベージュのチノパン、パンツと同系色のデニムエプロン(胸に招き猫のプリント)。足元は白のスニーカー。- 

清美「過疎っつーか、じーちゃんばーちゃんすらいないし。平和でいいけど」
と、丸い顔で笑いながら、シュガーポットの角砂糖をつまみ食いする。
高木「最近は、地方に移住する若い人が増えてるって言いますけど、ここはねぇ……。不動産屋がこんなこと言っちゃダメか」
と、青白い顔で品よく忍び笑いをする。質のいい接客用の背広で全身を固めている。
カウンターに小林新一(55)。一つ一つの手順を確かめながら、丁寧にコーヒーを淹れている。
高木「なにかきっかけがあれば、ここも、ねぇ。だから、ぜひ」
静子「私はそんな。なんにも」
と、笑顔でテーブルの隅を見ている。
清美「仕事はなにしてるんですか?」
静子「えっと……IT関係です」
清美「リモートワークってやつ?」
静子「まぁ、はい」
高木「いいじゃないですか。SNSとかで発信すれば、もっと移住者が増える」
清美「任せた。私ダメだ、そーいうの」
高木「あなたはね。プロですもん、こちらの方は。ねぇ?」
静子、愛想笑いをして、顔をそらす。
となりのテーブルに明子がいる。

―明子と静子は隣のテーブルで同じ方向に座っている。飲み物も同じ。この場での明子の姿の解像度はやや低く、微妙にぼやけた感じ。また明子のセリフ回しは、口調は普段の明子だが声は静子。-
 

明子「(ニコッと笑って)ごめんなさい。力にはなれないなぁ」
高木「え?」
清美「なんで?」
明子「ゆっくりしよっかなぁって」
高木「お仕事は?」
明子「ううん、仕事してない」
明子、身を乗り出して、

―カメラが明子と静子の背後に回る。二人の後ろ姿が重なる。見えている背中は静子-

明子「実は……会社のお金使い込んじゃって、ここに逃げてきたの」
清美と高木、顔を見合わせる。
高木「(笑って)ウソでしょ?」
明子「(真顔になって)ホント」
高木「……いくら?」
明子「いくらでしょう? (と口の端で笑う)」
高木「……。またぁ」
清美「ねぇ」
明子「ん?」
清美「警察官なんだけど。私」
明子「……。マジで?」
清美「マジで」
明子「見逃して。お金あげるから」
清美「金額による」
明子「……二万」
清美「安いな、オイ」
明子「じゃ、二万五千」
清美「きざむなよ」
小林、カウンターでコーヒーを淹れながら笑い出す。
清美と高木も笑う。

―明子、静子と離れて元の席に戻り、カメラが明子の正面に回る。声は静子のままー

◯静子明子、一緒に笑った後、少し改まる。
明子「仕事が忙しすぎて体調くずしちゃったんです。それで、仕事辞めて、しばらく休むことにして。だったらいっそ東京脱出ってなって。ここに来てよかった。空はきれいだし、自然のにおいがするし」
高木「わかる。僕も東京の不動産屋にいたんですよ。母親がちょっと、介護が必要になっちゃって、で戻ってきたんですけどね。最初はアレだったけど、今は戻ってきてよかったなって」
清美「わかんねーわ。私は東京に戻りたい。コンビニないって、痛すぎない?」
高木「スーパーあるでしょ? 一応」
清美「夜中にアイス買って食うの」
高木「冬なのに?」
清美「冬だから、いいんじゃん」
明子、立ち上がって、背筋をしゃんとして改まる。
明子「ゆっくりする時間が必要なんです。なので、しばらくそっとしておいてくれませんか。お願いします」
と、深く頭を下げる。

―清美、ふっと道路側の窓を見て微笑む。40歳くらいの気のよさそうなお巡りさんと学校帰りの小学生(6、7歳の男児。校庭の土ぼこりをかぶった体操服と運動靴。黄色い校帽。ランドセルにも交通安全の黄色いカバーがかかっている。)が道路に立ち止まり、窓に向かって笑顔で手を振っている。-

静子の家・囲炉裏の部屋
静子の手が、鉄瓶の水を囲炉裏の火にかけて消す。
◯素掘りトンネル
静子、トンネルの暗闇の中に入っていく。
◯湖のほとり

―薄曇りー

静子、トボトボと砂浜を歩く。点々とゴミが捨てられているのに目が行く。
紐がほどけたスニーカーが片方落ちている。泥だらけで元の色がわからない。
静子、目を上げて、立ち止まる。
桟橋の突端に、優が見える。
◯湖の桟橋
優、湖の絵を描いている。その後姿。
静子、優の背中に歩いていく。
優、絵に集中していて気がつかない。
静子「なにを描いてるんですか?」
優、ハッと手を止め、振り返る。
静子、ぎこちなく笑顔を作る。
優、静子の顔を見たまま、悲鳴をあげる。
悲鳴は甲高い声ではなく、耳鳴りのように重く、低い。
静子、びっくりして耳を押さえる。
優の体の向こうで、絵の端がちらっと見える。
黒い。
◯静子の家・囲炉裏の部屋(夕暮)
静子、揺り椅子で寝ている。耳鳴りに身をよじる。
揺り椅子がゆらゆらゆれて、読みさしの文庫本が落ちて、目を覚ます。
ハッとする。
明子、そばにしゃがんで、間近で静子の顔をじっと見ている。
静子「……びっくりした」
明子「くちびる」
静子「え?」
明子「くちびるカサカサ。ちゃんとお手入れしてる?」
と、ぷいっと背を向けて、
明子「ダメだよ。お化粧しなくても、お手入れだけはしなくちゃ」
と、囲炉裏の火のそばに座る。
紅茶の用意がすんでいる。鉄瓶の湯がしゅうしゅうと沸いている。
明子「紅茶にしましょ」

―画面A―


静子、落ちた文庫本をひろう。
ページをめくって、栞をはさみ直しながら、
静子「私が悪いんだよね」
明子「そうだぞ。責任とれ」
静子「会社、大変なことになってるよ」
明子「(無邪気に笑う)」
静子「笑い事じゃないって。どうするの?」
明子「どうするって?」
静子「仕事とか、将来のこととか」
明子「空ばかり見ている人、あなたは花の色を知らない。花は風に散る。風は空から吹いてくる……っと」
と、カップに紅茶をそそぐ。
静子「なんの話?」
明子「(カラッと笑って)バラのジャム、いるでしょ?」
静子、答えず、閉じた文庫本をまた開く。
◯小さな診療所・外

-赤いトタン屋根の木造家屋(プレハブの壁のクリーム色のペンキがはげかけている。建付けの悪そうなスチール枠・曇ガラスの引き戸の横に「●●医院」と墨書きの木札がかかっている)にドローンカメラが曇った灰色の空を斜め上から降りていくー

入口の周りに、赤紫色の葉ボタンの鉢がならんでいる。
葉が水に濡れて光っている。
◯同・診察室
静子、問診を受けている。

-問診の場では会話が進むたびに画面が暗くなってゆき、耳鳴りの効果音が強くなる。曇り日の夕暮れが進んでいくような明度の変化で、最後はようやくものの形が判別できる程度。「医師」は小柄で丸顔。メガネに前額が禿げていて猫背。会話の音声は双方とも匿名インタビュー番組のようにボイスチェンジャーを通したもの。-

静子「黒い画面がだんだん、なんていうか、ゆらゆらゆれるっていうか、黒い水がゆれてるみたいに。それで……あの?」
高齢の医師、居眠りしているみたいに机にうつむいている。
医師「……で?」
静子「……。とにかく耳鳴りがひどくて」
医師「ハイ」
静子「それで、お薬を」
医師、静子に向き直る。
医師「ストレスじゃない?」
静子「……はぁ」
医師「お仕事って、一日中コンピューターとにらめっこでしょ? 東京の会社の……」
静子「耳鳴りが……」
医師「仕事だけじゃないもんねぇ。人間関係とかも大変でしょ、おっきい会社だと。うちの息子も、アレだ、東京にいたけどね、何年かして正月に帰ってきたら、げっそり痩せちゃってね。それで……」
静子「とにかく、お薬ください」
医師「精神科とか、心療内科の先生に相談されてはどうですか?」
静子「(笑って)いやいや、大丈夫です」
医師「大丈夫ってねぇ……。耳鳴りって、どんな感じなの?」
静子「どんな感じ……」
と、しばらく考え込む。
静子「……囲炉裏の火」
医師「……囲炉裏?」
静子「たしかに消したんです。火事になったらこわいから。でも、ついてる」
医師「……はぁ」
静子、ゆっくりと椅子を左右に回転させ始める。
だんだん独り言のようになっていく。
静子「あの囲炉裏の……小さいあかりがチラチラ……目閉じても……あのあかりが……赤い……小さい……あの……」

 ―「囲炉裏の火」のセリフで赤い光の点がいくつか蛍のように飛ぶ。「火」ではなくパトカーの屋根の照明風。- 

◯同・外

―画面の明るさが曇った日の昼間に戻るー

葉牡丹の鉢植えが蹴飛ばされて割れている。

◯農道
黄色い軽自動車が走る。
静子の声「やっぱり、医者なんてアテになんないよね」
◯走る黄色い軽自動車・車中 静子、運転している。 明子、後部座席で横になっている。足だけ見える。 静子「よそモンだからって、ハナからサジ投げてんだよ。なんにも知らないくせに色々と……いやらしい……」
◯素掘りトンネル 静子、トンネルの暗闇の中に入っていく。

◯湖のほとり
静子、桟橋に向かって砂浜を歩く。以前よりもゴミが増えている。

◯湖の桟橋
優、湖の絵を描いている。
静子、優の背後から近づいていく。
静子、優に声をかけられずにいる。
と、優が肩越しに少し振り返る。
静子「油絵……ですか?」
優「(うなずく)」
静子、少し頬がゆるんで、
静子「なつかしい。私、高校生の時、美術部だったんです。見ていいですか?」
優、絵を隠すように立ったまま、肩をいからせて、絵筆をギュッとにぎる。
目を合わせようとしない。
優「……人が沈んでる」
静子「えっ?」
優「人が沈んでる」
静子「……人が沈んで?」
優「……(口をギュッと結ぶ)」
静子「(笑顔を見せて)怪談話かなにか、ですか? 地元に伝わるコワイ話みたいな」
優、カッとなって静子に向き直り、まっすぐ静子をにらむ。
優「犯罪です」
静子、優の目に気圧されて、笑いが消える。
優「暗くて、冷たくて、重たい湖の底でひとりぼっち」
と、静子ににじり寄って、
優「犯罪です」
静子「待って。私、ここに来たばっかりでなにも知らなくて」
優「犯罪です」
静子、耳鳴りが始まって、顔を歪める。
静子「私は、知らない」
優、ついと背を向け、絵の続きを描き始める。
静子、顔を歪めて耳を押さえながら、どうしても気になって、絵をのぞき見る。
キャンバスは黒く塗りつぶされている。
優、その上から絵筆を叩きつけるように黒を塗り重ねていく。
静子、さらに耳鳴りがひどくなり、逃げ腰で後ずさる。

-絵筆を叩きつける優の後ろ姿が次第に静子になってゆく。静子が耳を押さえ始めてからの効果音は「耳鳴り」ではなく水の底にものが沈んでいくときのブクブクという音。同時に画面に水泡の模様が少しずつ現れ、本物の静子が後ろ向きで消えていった後、画面いっぱいに広がるー

 ◯静子の家・囲炉裏の部屋(夕暮)
囲炉裏の炭火の小さな妖光。
静子、揺り椅子でゆれながら、うなされている。
唇を強く噛んでいる。
唇から血がたれる。
静子、目覚める。相変わらず室内でもマフラーを巻いている。
唇に痛みを感じて、さわって見て、血が出ていることに気がつく。
マフラーを外す。
マフラーに小さな血の染みがついている。
静子、染みをじっと見ている。
ぽっ、と一滴血が落ちる。
静子、揺り椅子を立ち、縁側の引戸を開け放ち、マフラーを庭に投げ捨てる。


―マフラーを外すと、静子の髪型は明子と同じワンレンショートボブになっている-

◯同・庭(夕暮)
きれいに耕した花壇の土の上にマフラーが落ちている。
静子、縁側でマフラーを見ている。
明子、花壇に現れる。マフラーを拾って土をはらう。
静子、呼吸を忘れていたように、ハッ、と短いため息をつく。
静子「(笑って)自分で洗うよ」
明子「やっとく」
静子「いいって」
明子「早くしないと落ちなくなるし」
静子、靴もはかずに庭に飛び出す。
明子からマフラーを奪い取ろうとする。
明子、さっと動かして取らせない。
静子「やめてよ」
と、マフラーの端をつかまえて引っぱる。
明子、つかんだまま放さない。引っぱり合いになる。
静子、むきになって強く引っぱる。
明子、綱引きするみたいに楽しそうに引っぱる。
静子、引っぱるのをやめる。
と、明子もやめる。
二人、マフラーを持ったまま、向かい合って立っている。
静子の唇から血がたれる。
明子、静子のそばに寄って、口元の血を指先でふきとる。
その指先をなめる。
静子、呼吸が速くなっていく。

◯湖のほとり
静子、砂浜を走る。ゴミが増えて山になっている。
息が切れて、足が止まる。
息苦しさの中、重い耳鳴りが始まる。
ハッとして振り返る。
優、桟橋で絵を描いている。
遠くの湖面を見ながら、一心に絵筆を振り回している。
静子、優の視線の先に目を向ける。
湖の深いところ。その一点……。
静子、耳鳴りがひどくなって、目をそらす。優に目を戻す。
優、じっと静子を見ている。
静子、弾かれたように逃げ出す。
砂浜を踏み散らして、ゴミの間をぬうようにして歩いていく。
と、ゴミの中に蓋の開いた段ボール箱が捨ててある。
思わず中を見る。
ギャッ、と悲鳴を上げて飛び退く。

―背景の空は雨が降り出しそうなダークグレー。耳鳴りの効果音は段ボール箱を見つけるまで続く。「中を見る」と段ボール箱の中から白い煙のようなものが浮かんでくる。よく見ると初めの耳鳴り場面の隅、また画面Aに現れる白い男性のシルエットに見えないことはない。ただ、この画像も「よく見たら見えるか?」という程度の薄さで、かつ悲鳴と同時にかき消される。-

◯静子の家・囲炉裏の部屋(夕暮)
静子、揺り椅子の上で丸くなってゆれながら、膝の間に顔を埋めている。
手の指が蜘蛛の足のようにこわばっている。
明子、花壇の隅で、スコップを使って掘った穴を埋めている。
埋め終えると、膝をついて座り、両手で土の表面を丁寧にならす。
静子、顔を上げて、庭に目をやる。
明子、いなくなっている。
枯枝の墓標が五本、並んで土に刺さっている。

◯湖の桟橋
黒く塗られたキャンバスの向こうに、きれいな湖面が広がっている。
静子、ひとり、黒い絵に向き合っている。
耳を押さえて、重い耳鳴りをじっと我慢しながら。

-耳鳴りの効果音が場の終わりまで続く-

黒い絵。
静子、黒い絵から目をそらさず、ひどくなる耳鳴りを我慢し続ける。
黒い絵がゆらぎ始める。
静子、耳から手をはなして、重い耳鳴りを耐える。
黒い絵が波打ち、縄文のようにうねる。うずをまく。
静子、いつの間にか絵筆を持っている。
黒い絵に絵筆を近づけていく。
絵に近づいていく絵筆の先。
静子の目、瞳孔がぎゅんと開く。
絵筆の先が、黒い絵につく。
黒い絵に、小さな赤い点がつく。

◯交番

―カフェのそばの林の前に立つ木造家屋。案外奥行きがあり、建物の後ろ半分は2階建て。入り口は普通の交番で、受付カウンターの中にパイプ椅子。その向こうに向かい合わせのスチール机と書類棚、コピー機、PCデスク等。突き当りの書類棚の横に木のドアがあり、その向こうは住居になっているらしい。カメラが近づいていくと、画面の色が少しづつ消え、白黒になると同時にモノや人物の輪郭がかすかにぼやけ、水の中のように揺らいで見えてくる。これはこの後の農道、カフェの場まで続く。しばらく後に登場する清美、小林のセリフ回しは声自体はかわらないものの、テンポが間延びして抑揚がなく棒読み。「オフ」では正常。静子は普通に話す。白黒場面は静子の視点で統一。カメラは静子の目線と並行して進むので、彼女の顔や全体的な姿は見えない。手足の動きや持ったものも彼女自身に見えている形で。-

清美、机で書物をしている。外を見て気がつく。
清美「どうされましたー?」
静子、前の道に突っ立っている。中に入ってきて、黙って立っている。
清美「あ、東京の人か。……ゴメン、何さんだっけ?」
静子「……」
清美「どう? なれました?」
静子「……」
清美「なんかあったの?」
静子「湖に人が沈んでる」
清美「……。はい?」
静子「……」
清美「まぁ、座んなよ」
静子「殺人事件です」
その一言で、清美の眉間にぎゅっとしわが寄る。
清美「今なんて?」
静子「湖に」
清美「湖?」
静子「人が沈んで」
清美「ちょっと待って」
静子「殺人事件です」
清美、書物をしまう。
ギッと椅子の背もたれを鳴らして、改めて静子を見る。
清美「大丈夫?」
静子「はい」
清美「……」
静子「殺人事件です」
清美「とりあえず座って」
静子「目撃者がいます」
と、にじり寄って、
静子「湖で絵を描いてる女の子が、その子が知ってるから話を……」
と、壁に目がとまる。
防犯ポスターが貼ってある。
警察官の制服を着たモデルの優が、笑顔でポーズをとっている。
静子、呆然とする。
清美オフ「悪い夢でも見たんでしょ?」
清美、キイキイと背もたれを鳴らしながら、静かに笑っている。
清美「安心して。殺人事件なんかない」
静子、キッとにらんで、首を傾げて、じりじりと後ずさりする。
足早に出ていく。

◯農道
静子、どこかで摘み取ったススキの穂を振り回しながら、寒風の中を足早に歩いてくる。
静子「(独り言)それでも警察官か……」
畑の方を見て、思わず足を止める。
高木、枯れた畑のあぜの木の下で、背広姿のまま、何かを埋めている。

―木の下に盛り上がった土にまみれて、プラスチックのサンダルらしきものがぼんやり見える-

静子に気がついて、スコップを持ったまま、こっちをじっと見ている。
静子、立ちすくむ。
高木、スコップを握り直す。
なんとなくこちらに向かってきそうな気配がする。

-土の山の上に、静子の家の庭と同じような枯れ枝が五本刺さっている。―

静子、ススキの穂を投げつけ、弾かれたように逃げ出す。

◯カフェ・外
静子、重い足取りで歩いてくる。

◯同・店内

―BGMは都会的なジャズ。音量はカウンターの周辺でなら聞こえる程度-

静子、入ってくる。
小林オフ「いらっしゃいませ」
静子、入口近くのカウンター席にどっかりと腰を下ろす。
小林、水を持ってくる。
静子「コーヒーください」
小林「紅茶もありますよ」
静子「え?」
小林「いいですか?」
静子「はい」
小林、戻っていく。
静子、小林の様子を盗み見る。
小林、淡々とコーヒーを淹れる支度をしている。
静子、ぐったりと気が抜けて、コップの水をぐっと飲む。
静子「いいところですね」
小林「いいところです」
静子「だけど、ここに来てから、ぜんぜん眠れなくて」
小林「なれますよ」
静子「(水をぐいぐい飲んで)よそ者だってわかってるんですけど、歓迎されないのはやっぱり」
小林「歓迎してますよ」
静子「されてない」
小林「……?」
静子「自分が犯罪者みたいな。みんなそれを知ってて、黙ってるんです。知らないのは私だけ」
小林「……。この店、どうですか? 私はそれなりに気に入ってるんですけどね。東京にいた時に通ってた店のマネしてるだけなんですけど」
静子「なんていえばいいか……」
小林「ハイ」
静子「……罪の意識」
小林「……?」
静子「罪の意識だけあって、罪がないんです。だから、つぐなえない」
小林、話をするのが怖くなってきて、なんとなく静子に背中を向ける。
静子「……あの湖が」
と言いかけて、足元を見る。
成猫が来る。二匹いる。
小林オフ「あー、すみません」
小林、そばに来て猫を抱き上げる。
小林「猫、平気ですか? 初めていらっしゃった時は、店に出さなかったんです。苦手だといけないから。名前は、ナキとナミ」
と、にこにこしている。ドアのベルの音がする。
申し訳無さそうに静子を見送って、猫の頭をなでる。

-猫はよくある日本猫の雑種。単色と金目は避ける。-

◯湖のほとり(夜)
真っ暗な湖面。

◯湖の深いところ(夜)
静子の乗った古い手漕ぎボートが、暗い湖面にゆらゆら浮かんでいる。
静子、湖面を見つめている。
ボートのまわりがじわじわ暗くなる。
岸も桟橋も見えなくなる。
静子、周囲に目を散らす。
おどおどし始め、戻ろうとしてオールを動かす。
真っ暗になる。
まわりの山々の風景も、夜空の星も、なにもない。
静子、きょろきょろと見回す。
ボートがどこにむかっているのかもわからない。
オールをこぐのをやめる。
ゆっくりとオールから手をはなす。
水の音も消え、しんと静まり返る。
黒い絵の中に閉じ込められたように、真っ暗な空間にボートがゆらゆら浮かんでいる。目を開けているのか、閉じているのか、天地も左右もわからない。
静子、肩をとがらせている。胸の前で両手をぎゅっと固くにぎっている。
真っ暗闇に囲まれている。
静子、真っ暗闇を見つめる。
黒い絵のような、真っ暗闇。
静子、だんだんと体から力がぬけてくる。こわばった指がほぐれてくる。
真っ暗闇。
静子、暗闇に前のめりになる。重い耳鳴りが始まるが、感じていないように、暗闇に引かれていく。
真っ暗闇、その奥。

―耳鳴りの効果音がかすかに始まり、だんだん高まって行く中で、画面の中心に向かって暗色が渦を巻く。静子が吸い込まれると、渦の真ん中に小さな白点が明滅する-

◯静子の家・囲炉裏の部屋(夕暮)

-画面がカラーに戻るー

赤いバラのジャムの瓶。
静子、揺り椅子でゆれながら、じっとバラのジャムの瓶を見ている。
明子、囲炉裏のそばで紅茶の用意をしている。手を止めて、笑って静子を見る。
明子「どうしたの? 顔、真っ青」
静子、ジャムの瓶を見たまま。
静子「いつまでいる気?」
明子「ずっと」
静子「なんでここにいるの?」
明子「(笑って)紅茶にしましょ」

―画面A―

静子、揺り椅子に座ったまま、膝をかかえて顔を伏せる。
静子「わかんない。もうほっといてよ」
明子、笑って聞き流す。カップに紅茶をそそぐ。
明子「バラのジャム、いるでしょ?」
と、バラのジャムの瓶を手に取る。
静子「いらない」
明子、ニヤニヤする。
明子「好きなくせに」
静子、カッとなって明子に向き直り、まっすぐ明子をにらむ。
明子、ニヤニヤしながら、ペコッとジャムの瓶の蓋を開ける。

◯素掘りトンネル(夕暮)
トンネルの中は真っ暗で、抜けた先も見えない。
明子、暗闇の中から出てくる。
静子、明子に続いて出てくる。

◯湖の深いところ(夕暮)

-微風。西の空は微かに赤いが、空全体は薄灰色で、晴天と言うほどではない-

薄暗い湖面に、ボートがぽつんと浮かんでいる。
明子と静子、ボートに乗っている。
明子、湖面に身を乗り出して、景色に笑顔を散らす。
明子「風がにおう。春だ」
静子、膝を抱えて、縮こまっている。
明子「庭をバラでいっぱいにしたいな。農薬とか使わないでさ、バラ育てんの。自分で育てたバラで、ジャム作る」
静子「……」
明子「バラってさ、無農薬で育てんのむずかしいんだってね。私、朝顔も枯らしちゃうんだけど。大丈夫かな」
静子「……」
明子「あ、猫。猫をいっぱい……」
静子「春なんか来ない」
明子「えっ?」
静子「バラなんか咲かない」
ゆらゆらとボートがゆれる。
日が傾いて、湖面が更に暗くなる。
明子「紅茶にしましょ」
と、にこにこしながら、紅茶の用意を始める。

―画面A―

アンティークのティートレイ、ガラス製のティーポットとカップ、赤いバラのジャムの瓶。
明子、カップに紅茶をそそぐ。
紅茶の赤が、間接照明のようにぼんやり明るい。
明子「バラのジャム、いるでしょ?」
と、バラのジャムの瓶を手に取る。
静子「明子さん」
と、顔を上げて明子を見る。

―ボートの揺れとともに、二人の姿も(輪郭は崩れないが)揺れる。明子の声や口調は変わらないが、静子は体が揺れて出しにくい声を必死で体の奥から絞り出すー

静子「もう、やめよう」
明子「なんで?」
静子「やめようよ」
明子「きらいなの?」
静子「そうじゃなくて」
明子「いるよね」
静子「いらない」
明子「甘くて、おいしいでしょ」
静子「だから、そうじゃなくて」
明子「何が?」
静子、明子に向き直る。
静子「ちゃんと考えてよ」
明子「何を?」
静子「いろいろ。私はずっと考えてる。初めて会ったときから、ずっと考えてる。今だって考えてる」
明子、静子の話をニヤニヤしながら聞き流して、ペコッとジャムの瓶の蓋を開ける。
日が沈んで、湖面がすうっと暗くなる。
静子、明子を睨め上げる。
薄暗くて口元の表情は見えず、目のひかりだけが鋭い。
静子「いつか、いなくなる。そんなの許せない」
明子「好きなんでしょ? かっこつけんなって」
静子、ボートの縁をつかむ。ボートがぐらぐらゆれる。
静子「わかった風に言うな」
明子「私も好きだよ。それでいいじゃん」
静子「軽々しく、そういうこと言うな」
と、腰を上げる。ボートがさらにぐらつく。
明子、瓶の中のバラのジャムをスプーンですくう。
静子「いらない」
明子、ニヤニヤする。
明子「好きなくせに」
静子、カッとなって明子に向き直り、まっすぐ明子をにらむ。
スプーンからジャムが垂れ落ちそうになる。
静子「やめて」
明子「(子供みたいに笑っている)」
静子「やめろ」
明子、ジャムを口に含む。ぐっと静子に近づく。
明子「バラが咲いたよ」
と、ぺろっと舌を出す。
舌が赤く濡れている。
静子の目、瞳孔がぎゅんと開く。

◯AI開発企業ビル・個人スペース(深夜)
ジャムのスプーンが落ちて、鋭い音を立てる。
ばたばたと身をよじるような音がして、紅茶のカップが落ちて、割れる。
明子の唇に、赤いバラのジャムがついている。
静子の唇に、赤いバラのジャムがついている。
静子、明子を絞殺する。

―この場では、二人の服装は冒頭と同じ。照明は机の上の間接照明スタンドのみ。二人の唇が映ったのち、スタンドが音もなく横倒しに倒れ、画面の中心は机の前の床の暗がりに移る。スタンドの光が照らすのは、うつぶせに倒れた明子の首にかかったマフラーとマフラーを交差して引っ張る静子の手のアップ。数秒後ゆっくりとカメラが上方に向かい、窓に切り取られた夜空へ。-

◯静子の家・囲炉裏の部屋(夜)

―この家の夜の照明は和室の天井の裸電球(60Wくらい)だけなので、人物が動くと大きな影が壁にゆらゆら映る-

静子、顔の色を失って、揺り椅子にじっと座っている。
マフラーに顔を半分ほど埋めている。
部屋の明かりがついている。
ポケットから車の鍵を取り出して、手の中でちりちりと鳴らす。
揺り椅子を立つ。
火をつけた形跡のない、手入れのされていない古い囲炉裏の横を通り過ぎる。
部屋の明かりを消す。振り向いて、囲炉裏を見る。
囲炉裏は真っ暗である。
しばらく囲炉裏を見る。部屋を出る。
縁側の月明かりに、囲炉裏の灰が薄白く浮かんで見える。
少しして戻ってくる。
囲炉裏のそばに座る。囲炉裏を見る。
囲炉裏は薄暗いまま。
囲炉裏を見つめる。
……ぽっ、と小さな火がともる。
小さな火を見つめる。ふと顔をとなりにむける。
明子、座っている。囲炉裏の火は大きくなり、鉄瓶の湯がしゅうしゅうとわいている。

明子「紅茶にしましょ」
と、にこにこしながら、紅茶の用意を始める。

―この明子のセリフの後のA画面には、静子と明子は現れない。中央の男性のシルエットがだんだん大きくなり、画面が真っ白になったかと思うと、突然はじけて消え、画面が陽光で満たされる-

アンティークのティートレイ、ガラス製のティーポットとカップ、赤いバラのジャムの瓶。
明子、ティーポットを持つ。縁側から来た風に鼻をむける。
静子、明子を見て、同じように風に顔をむける。
*  *  *

―青空。エンディング曲が始まる。静かで優しい、どこか物悲しいピアノ(ありきたりですが、サティ「ジムノペディNo.1」、ブラームス「ワルツOp39 No.15」、ドビュッシー「アラベスクNo.1」あたり)-

縁側のむこうに春が来ている。
やわらかい陽の光の下で、赤いバラが花壇を埋め尽くしている。
ざあざあ、と風が吹いている。
静子に風が透る。マフラーがなくなっている。
表情にわずかに色が戻る。
五匹の子猫たちが縁側に飛び出して、駆け回って遊んでいる。
静子、涙だけぽろぽろこぼす。
明子、カップに紅茶をそそぐ。
明子「バラのジャム、いるでしょ?」
と、バラのジャムの瓶を手に取る。
静子「明子さん」
と、明子を振り向く。小さくため息をもらして、少し頬がゆるむ。
クンと鼻を鳴らして、涙をこぼれるままにしている。
明子の手から、バラのジャムの瓶を取る。
ペコッと瓶の蓋を開ける。
風に髪を乱したまま、だらしなく笑って、明子を見ている。
明子、静子を見て、唇を噛む。
強い風が吹き続けて、バラの花がざわめく。
きれいな湖の絵が壁に掛かっている。
よく見ると、湖面に静子のマフラーが浮かんでいる。
(おしまい)

最後に。
謎が深い作品なので、アニメやCGのみで制作した方が雰囲気が出しやすいという意見もありそうですが、自分の感覚では、都会と農村の夜空の違いとか、農道を歩くときの乾いた柔らかい土と湖のほとりの湿った砂地を歩く時の足裏の感覚の違いなど、視覚だけでなく触覚にも訴える絵にするには、やはり実写で見たい(年寄りの感性か…)。撮影場所を考えるのも楽しいですね。外から見た建物や庭は、地方は問わずそれらしい建物の撮影許可がとれればよし、建物の内部はセットでも違和感がないとは思います。ただ、物語の中心になる湖と農村風景は生で感じたい。「冬に雪がない」「湖が観光地ではない」「過疎気味の農村だが言葉は関東」となると、茨城か埼玉の外れあたり?ネットのフリー映像の感触ですが、茨城県桜川市の「上野沼」あたりはどうか、などと勝手に考えています。


上野沼



 

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