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夜の銀狼は月に吼える

 人狼、それは人に紛れて人を喰らう怪物。狼と同様に羊や野生動物も食すものの月光に当たれば食欲を抑えきれなくなってしまう特性を秘めていた。
 その呪いとも言える特性は満月になれば最大化され、新月になれば眠ったようにおとなしくなる。
 森が極端に伐採され、狼の獲物が減り家畜や人を襲うようになると人狼も人里に降りて人を狩るのも自然な流れとなったのだ。
 各地で街が発展していき、それと比例して夜中の人狼被害が絶えない国内では、とうとう痺れを切らした中枢卿が教会に対人狼専門の戦闘部隊を結成せよと命を懸けた。
 だが人狼には普通の剣や銃では殺せないとわかり、ますます頭を抱える上層部の人間たちの毛根は悲鳴を上げた。満月の日であれば尚の事。
 そんな中、神からの神託を承った巫女が「人狼は銀に弱い」と読んだのが起死回生の一手となる。国庫が例年の半分になるくらいにまで銀を発掘し、銀製の銃弾を作り上げることになる。
 人間たちの思わぬ反撃にあい、たまらず森へと逃げていく人狼もいたものの、人に飢えた人狼は変わらず人に化けて都市での生活を送っていた。
 そんな中、人狼が人間の孤児院を営んでいるという密告が教会内へと渡り、人狼は殺され子供達は救出されることになる。
【人狼が経営する孤児院を教会が襲撃、英雄〇〇氏が子供を救った】という新聞記事が出回り、世間は希望に満ちた歓声を上げる。
「何が英雄だ、くそったれ。俺からすれば殺人鬼だ」
 端正な顔をした銀髪の少年が無愛想な顔を更に歪めて新聞内で手を振るう人物を憎悪を込めた悪鬼のような瞳で睨みつけた。
 それから時がたち、「XYZ」と呼ばれる銀の銃弾を扱う新たな対人狼戦闘機関が設立。新聞記者に設立主は名前を尋ねられ、その男は振り向きざまに低い脅すような声音で
「ジン」
 と不愉快そうに名乗った。
 伸びた前髪から覗くその瞳は、血を思わせる深紅だったと記者は語る。
ー。
 時は流れ、襲撃事件の数日前ーXYZ本部にて。
「では、こちらの教会に赴いてください」
「わかりました」
 顔に傷がある男に向けて長い猫っ毛の柔らかい茶髪を後ろで纏めた頭に琥珀色の瞳をした若い男が地図を渡し、月に一度の定期報告に向かうように仕向ける。
「カルーアさん、僕らも行きましょう」
「そうだね、行こうかフィズ。」
 カルーアと呼ばれた男はニヤリと悪戯っぽい笑顔を浮かべた。これであいつも終わりだというように。


〜回録〜
 殺人鬼に両親を殺されて身寄りのない俺は路地裏でうずくまって寒さを凌いだり、ゴミ箱を漁って残飯を喰らい食い繋いでいた。
 ゴミの匂いに釣られてハエや食料に飢えたネズミがやってくる中、ようやく見つけ出した齧りかけのパンを拾い上げて体育座りのまま懸命にかぶりつく。日に日に弱っていた灯火に薪を焚べるが如く、体力が徐々に戻ってくる。
「こんにちは、おちびさん」
 ふと声を掛けられ上を向くと、そこには白銀色の髪をした美しい人が立っていた。・
「怖がらなくていい、別にとって食ったりはしないよ」
 真実を知った後に思えばこの一言は最初は冗談には思えず、直後に半ば背筋が凍ることになる。
 何故なら、彼は月光を弾く銀色の毛並みが美しい人狼だったからだ。

⚪︎
 雲ひとつない晴天。洗濯物を干すにはうってこいの空模様だ。
 牧草地帯では羊達が自由気ままに草を食み、庭では子供達が木に登ったり追いかけっこをして無邪気に遊んでいた。長閑で平和な風景が私は好きなのだ。
 遠くで時代のうねりが生み出した蒸気機関車が線路に沿って白い煙を吐き出しながら走っていくのが見える。それを見て興奮している子供達が、唐突に年少の子を先頭に機関車ごっこを始めたので思わず頬がより綻んだ。
 けれど一筋縄では行かないのがこの世の常、人の世に人狼が入り込み、月光の魔力に狂っては人を食い殺していると噂が相次いでおり、都では恐怖のどん底に陥っている。
 教会のシスターがパウロさん、終わりましたよ。と大きな声で洗濯物を干し終えたことを伝えてくる。ありがとうと一言伝え、洗濯かごを持って丘の上にある教会へと足を運んでいく。
 丘の草花を靡かせる風が顔を撫でると共に銀色の髪が足元で踊る草木の宴に混じった。
 教会の人間では首が回らなくなり、人狼達に対抗するために作られた組織が「XYZ」という対人狼戦に長ける組織。
 頭であり、銀の銃弾の比喩表現である通常の手段では対処ができない厄介な対象を、たった一撃で葬るもの。
【シルバーバレット】の異名を持つジンを筆頭に、月夜に変貌を遂げていく人狼を滅殺するための銀製のナイフや銀の弾丸を込めた銃を取り扱う。
 そのXYZの刺客が数日中に定期的な報告会のためにやってくるのだ。
 正直私はこの報告会が嫌で嫌で仕方がなかった、なんというか全体的に空気に鉛を溶かし込んだように堅苦しく換気でもしないと、酸素不足で死んでしまいそうになる。
 とはいえこういう教会で亡き父が経営していた孤児院で暮らす子供達の面倒を見て、羊飼いとして暮らしている身としてはXYZの協力は不可欠なのだ。
都と数週間ごとに行き来しないといけないので若干面倒ではあるのだが。その間は無論シスターに子供たちや羊達の面倒を見てもらっている。
 下り坂の道から一人の男が姿を現した。あれが今回の刺客か。
「ごきげんようパウロ氏。私はXYZのギムレット」
 遠雷のような腹から響く低い声が鼓膜をノックする。
 何度かきたXYZの刺客とは違う、新人だろうか。
 全身黒い服装に身を包んだ細身ながら屈強な男が帽子を外して挨拶をする。短く切り揃えた黒髪にきつい眼光を宿した翡翠の瞳、端正な鼻と薄い唇、額には人狼に付けられたであろう爪痕が右上から鼻頭まで走っている。
 よく見ると服の襟には多少返り血がシミとなってこびりついているが、人狼と戦闘をした際の返り血なのだろう。序で片手の火傷痕も気になったが、あまり深く詮索はせず作り笑いでギムレットを歓迎する。
「これはこれは、ギムレットさん。都からの遠路ご苦労様でした、疲れたでしょう。さあ中へどうぞ」
 自室に案内し、棚から出した食器に暖かい紅茶を注ぎ入れる。シスターが子供達のおやつにと焼いてくれたクッキーのあまりもあったのでそれも持っていくことにした。
 木製の椅子へ座るように促し、私もテーブルを挟んで対面するように座った。
 頭のジンが部下から「ジンさん、そんなに働きすぎたら体壊すからたまには休んでくれ!」と悲鳴混じりの懇願から無理やりにねじ込まれた長期休暇に入っており、渋々故郷の田舎にひっそり帰郷しているという。なんとも微笑ましい話だが、ジンの夜も寝ずに打ち込む仕事熱心さには部下からも呆れられるほど、ジンが休みに入っている間メンバーが役割分担して業務に取りかかっている。と言う裏の面を前にやってきたXYZの刺客が話していた。
 という話をギムレットにする。
 なんとも微笑ましい話ですねと、彼はいかつい顔には似合わない微笑みを浮かべる。そして切り替えるように血生臭い話へと方向転換した。
「人狼の方もかつての魔女狩りで多くが命を落としたはず、ですがこうしてXYZが活躍を見せているのは単にまだ都市内部に人狼が彷徨いている証拠でしょう」
 かつては人狼を炙り出すための魔女狩りが都市で苛烈化していたが、XYZの狩りのおかげで満月の夜でも被害が半分以下に減り、断頭台で刎ねられる首の数も減ってきたという。
 民衆も無駄な人死を見なくなったことにより死の景色は消え、精神的にもイキイキしているらしい。これはいい兆候だ。
「魔女狩りも甚だしいですがね、老若男女問わず疑わしいというだけで命を断ち切られると言うのは、カリカリしてても何も利益は生み出さない」
「ですな、腐ったリンゴは箱ごと捨てないと行けないのでしょう、教皇側があんな感じですから」
 【神の思しめである】と大義名分を掲げ、自分たちの正義に酔い潰れて、一才の悪意を感じさせないからこそ恐ろしく動き回る傀儡。とそれらを指先の糸で操り、スピーチする主人から神託を受けし権力者。
 かつてこの国だけでなく多くの国で数十万規模で罹患者を出した伝染病。異常な速度で伝播する病気は国々を崩壊させ、人々を体に忍び込んだ小さな毒蛇たちが内側から食い破るように苦しめていった。
 病の終息後、教皇側はこの未曾有の災禍は魔術師や人外といった魔を司る者たちが起こした災害であるとして魔女狩りを開始し、人だけでなく人に化けて暮らしている人狼たちも知らずして殺されていったという。
 死が身近になり、精神的に不安定になったご時世。どこかに不安の吐口を作りたいと思うのはいつの時代も同じなのだろう。
「人狼も侮れない、大半は森でコミュニティを形成していますが、人に化けて都市や街で暮らしている以上、隣人が人喰いの化け物だという可能性も十分にあり得ます」
「ハハッ、隣人が化け物ってなると相当疑心暗鬼になりますね。うっかり壁叩いたりして隣人トラブルになったら、それがやってきて頭をもぎ取られそうです」
「全くです、人間に化けられる以上、人狼だと疑ったところ人間だったって話も少なくない」
 話して乾いた舌を温かい紅茶が潤す。
 人の生活圏内で長生きする人狼ほど、人を観察して仕草を身につけ、自然に人に化ける術を磨く、その上で人である虚構で上塗りするように、「我は人狼である」という真実を覆い隠すのだ。
「それはそうと、ちょっと怖い話がありまして…」
 ギムレットが辺りを見渡して私以外誰もいないことを確認した上で、吐き出せそうで吐き出せなかった鉛を胃の腑から逆流させるように一言。
「この近くの森で男性の遺体が発見されたのです」

 室内の空気を巨人がこの部屋ごと手のひらで押し潰そうとするが如く、一気にずっしりと重量感が増す。
 そこへ状況説明のために具体的な情報で肉付けする。
「噛まれた傷跡も比較的新しい方でした、死後数日も経っていないでしょう」
「…人狼ですか」
「おそらく、狼という可能性は低いでしょう。奴らはどちらかといえば羊の方を優先的に狙う」
 ギムレットは目を閉じて黙祷するように黙り込んだ。
「満月が近いですし、呪いが活性化してきているのでしょう」
 私も思わず顔を顰める。
 人狼に宿るという呪い。月明かりに魘されて凶暴性が増し、全身毛むくじゃらになり、頭部は完全なるオオカミ、手足からは鋭い爪が生える。
 満月は古来より人を狂わせる魔力を持ち、心の闇に呼応して惑わせると言われている。それは人狼も同じこと。狩猟本能を抑えきれなくなり、なりふり構わず人に襲いかかるのだ。
「ところで、銀の弾丸は準備なされていますか?」
「いいえ、ちょっと切らしているのでまた教皇側に頂戴しに行こうかと」
 私が面倒臭そうに右手を左右に振るう様子を見たギムレットが大袈裟に肩を竦める。やれやれ緊張感がないなと思われたに違いない。
 銀の弾丸といった武器は人狼といった人外を撃退できる唯一の代物だ。純正の銀で形作られた銃弾は教皇と国が結託して生成しており、人狼を狩る教会の一部の人間とXYZが特例で使用を許されている。
 通常の弾丸よりも数倍以上も高価なため、民間人への流通は制限されていた。
 もちろん密輸密売も重罪の対象だ、見つかれば最悪死刑も処罰の射程範囲内にある。
「わかりました、取り敢えず今日から数日間はここいらに滞在しますので、実際に現場でも見に行きますか」
 教会と孤児院から数キロ先の深い森、奥地では狼や熊が出るとのことで熟練の猟師以外は近づくことはないと言われていた。都から丘まで続く道は木々のトンネルになっている舗装された一本道のみ、そこに魔除けの鈴が吊るされている。
 広葉樹の合間から差し込む木漏れ日で幾分か明るい獣道を進む。草木を分けつつ、ギムレットが発見したという遺体を探しにいく。
「あっ、あれですね」
 私はむせ返る血の匂いに顔を顰めた。
 酷い有様だ。首から先が千切り取られたように無くなっており、折れた脊椎が無惨に顔を覗かせている。身元の特定を遅らせるためか、あるいは爪で首を切り裂かれたのか。腹は無惨に喰い荒らされ、人狼にとって栄養素の高い内臓は一欠片も残されていない。
 四肢の部分は骨周りの肉を残してほとんど白骨に近い状況だ。
 銀製品のナイフが地面に転がっている。なるほど、血まみれかつ破られていたのでよくわからなかったが、服装からして教会の聖職者か…。
 若干だが銀の刃に血の跡がこびりついている、諸刃の刃には両端が赤い穢れで濃く染まっていた。
 人狼が急所である心臓を守るために直接掴んだのだろうか、肉を切らせて骨を断つ。相当人間に飢えていたに違いない。
「人里で暮らしていたが、命惜しくて森に移り住んでいた人狼…か」
「可能性は十分にあり得ますね、森で待ち伏せして丘へと続く道にやってきた人を殺して喰らったのでしょう」
「私の知人に頼んで共同墓地に埋葬していただきましょう、このままでは可哀想だ」
 近所にいる墓地を経営している知人に話をつけ、遺体は全て土の中へと埋めてもらった。みるみると怒りが湧いてきて止まらない。丘にある教会までもう少しだったのに辿り着く直前に襲われてしまうなんて、なんともやるせない気持ちになる。
 深呼吸して心に漂う靄を振り払う。盆から溢れた水は戻らない。時間は針を戻しても巻き戻せない。今できることと言えば、これ以上犠牲が出る前に手を打つことだろう。
「ギムレットさん、私は本日中にでも教会側に通知を出してきます」
「わかりました」
 私は今日中に炙り出した情報を元に書類を完成させ、直接送り込んだ。
 死因、食い荒らし方、襲われた人物など細部の情報について細やかにインクペンを走らせた。教会側からの情報によれば近年猛威を振るい始めた【大食い】の仕業では無いかということ。
 食い荒らし方、食欲を満たすために真っ先に首を切り落とすという点、銀のナイフであっても躊躇わず握って相手の戦力を削ぐらしい。
「パウロさんもお気をつけて」と言われたが、「お気になさらず、こう見えて私強いですから」とにこやかに返す。
 帰宅後、ギムレットに銀の銃弾の補充を忘れたことを咎められたのは言うまでも無い。

 私は執務室の机の上にインクペンで紙にメモをとっていく。
 人狼、首のない死体、この辺りを…。銀製のナイフ、火傷跡、満月…。
 点と点が繋がり線を成す。ああ、なるほど。
 そういうことかー。
 食堂の方から香ばしいいい匂いが漂ってくる。窓の外を見ればもう夕暮れに差し掛かっていた。いけない、思った以上に没頭していた。
 慌てて今日の夕飯当番はと貼られた紙を見て私では無いと知り安堵する。またいつも温厚なシスターに冷静な表情で怒られるところだった。
「どうかしました?」
 椅子に腰掛けて資料に目を通していたギムレットが顔を上げる。
「いや、今日当番じゃなくてよかったなって」
「そう言うことですか」
 掲示板の前でほっと息をついている私を見て、彼は大したことではないと気づくや否や資料へと視線を戻す。
 銃弾の補充に加えて、シスターに怒られるところを見られるという、更に自ら泥を塗る惨事は避けられた。
「彼女怒ると怖いんですよ」
「温厚な人ほど怒ると怖いですからね、お気持ちはお察しします」
ー。
 お腹を空かせた孤児院の子供達がお盆を持って列を成していく、食器にそれぞれ料理を入れていき、長い食卓テーブルの下に置かれた椅子に腰を下ろしていく。そこでも子供達の愉快な談笑が食堂内に響く。
 ふと思い、私は年中組の男の子にこっちにきてと手でサインを送り、やってきた男の子に耳打ちした。男の子は了承してくれたものの、不安そうな影を瞳のうちに秘めていた。その影に光を当てて切り裂くように頭を優しく撫でる。心配ないと心の安静剤を据えて。
 男の子はうん!と元気よく首肯して子供達の輪の中へと戻っていく。彼らには少しの間ピエロを演じてもらおうと悪戯心が働いた。
 シスターと夕飯当番が作ってくれた今日の献立は、鳥肉と野菜をたっぷりと使ったシチュー、こんがりと焼いたパンを勉強と外で目一杯遊んできて腹を空かせた子供達は、みな一様に平らげていく。
 さすが食べ盛りの子供達なので真っ先におかわりをしにいき、鍋にあるシチューと人数分よりも多く積まれたパンはあっという間になくなってしまった。
「それでは、ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした」
 子供達と共に夕飯を食べ終えた私はギムレットに目配せして今後の人狼対策のために自身の部屋へと誘った。
 センシティブな内容だと思い、さっきまで切り出せなかったが、やはり気になったのでこちらから一歩踏み出した。
「その左手の火傷痕、気になったのですがどうされたのですか?」
「ああ、これですか。先日レジスタンスの制圧に赴いた際に熱された火かき棒を誤って握ってしまって」
「なるほど…それはそれは」
 納得するように何度も頷く。
 対人狼戦闘部隊であるXYZはその能力指数を買われて時折、街や都に蔓延る反国家勢力の鎮圧に赴くことも多い。
 だが、ギムレットが口にしたそのことを鵜呑みにするには僅かにささくれている。情報を飲み込んでも腑におちず、訝しげに左手に焦点を凝らした。
 疑いの目を向ける紅い瞳に見られて、溶け爛れるように変容した掌を、恥じるように手袋を履いて覆い隠す。指摘した際の左右に若干泳いだギムレットの視線もパウロは見逃さなかった。
 遠目に食後の片付けと清掃をほっぽり出してはしゃいでいる3人の少年が、1人のしっかり者の少女にたしなめられているのが目に入った。
 その中に頭部から狼の耳がはみ出ている子供がいてギムレットの瞳孔が開かれる。
「おい、パウロ。あれはどういうことだ」
 食後の暖かく和やかだった空気のど真ん中に氷柱が落ちたような冷たい響きがその場を支配した。
「どういうこととは?」
「恍けるな、なぜ教会の中に人狼の子供がいるんだ?なぜ教会側の人間が人狼に加担しているのか?あれは異端分子だぞ!神の敵だ!」
 ギムレットは鬼の形相で近寄ってパウロの胸ぐらを掴み、堰き止められていた水流が解放され、濁流を生み出す勢いで激しく問い詰める。
「私は人にも人狼にも平等なのですよ、種族が違うという理由で壁を作ることは私の理念に反します」
「へぇ、こいつはとんでもない背信野郎がいたもんだ。教会本部に報告したら反逆罪で死刑だ」
 懐に入っていた銃をこめかみに突きつけ、声に威圧感を込めた声で脅す。
「動くなよ」
 両手を前に掲げ、一気に脱力した砕けた態度で「はいはい、わかりましたよ」とやや挑発気味に言い放つ。
「外で待ってろよ、人狼のガキどもを始末したら豚箱行きだ、首洗って待っとけ」
 ようやく確信した。パウロは懐にしまっておいた拳銃に弾丸を込め始めた。あの時ハッタリをかけておいて正解だった、とほっと胸を撫で下ろす。
 ギムレットによって内側から鍵をかけられたようだ、どれだけ揺さぶってもびくともしない。
 そういえば、私の執務部屋は窓を開けっぱなしにしておいたのを思い出し、焦りを感じさせない歩幅で孤児院の外壁を歩んでいく。
 さて、行きますか。

 ④

 今宵は満月、少なからず満月の光を浴びたのだ。もう我慢ならない。忌々しい銃を捨てて、今一度食堂の方へと向かう。
「さーてと、やっっっと人が食える」
 ギムレットが不意に振りかぶった右手に気づき、子供が悲鳴をあげる。
「シスター!危ない!」
 年長の子供が突進してシスターを庇い、なんとか振り下ろされる拳からは逃れることができたものの、木の板でできた床は陥没しており、到底人間にできる芸当とは思えなかった。
 シスターはギロリと横目で睨んでくるギムレットの姿を見やった。恐怖で体の震えが止まらない。
「何をしておっしゃられているのですか、ギムレット様…」
「何をって、言われないと分からないか?これから喰らうのさ、腹一杯」
 もう1段階、子供達の悲鳴が上がる。
 全身の筋肉が隆起し、服がビリビリと裂ける、顕になった黒い毛むくじゃらの屈強な体。手足から伸びる鋭い爪、耳まで裂けた口から除く牙の間から空腹を訴えるようによだれが垂れる。
「都や街じゃXYZの構成員が彷徨いていて、迂闊に狩りにも出掛けられない、クックック。こんなところにご馳走がうじゃうじゃといるとはね。人間に化けXYZに入って正解だった。」
 人の味を覚えると殺しを止められなくなる。薬物依存と同じくらいの旨みに酔いしれる甘露と、異常な食人欲求に嬲られるのだ。ましてやこの飢餓にも似た渇きは限界に近い。先日殺した男だけでは全く腹の足しにすらならない。いい加減腹を満たさないと抑えきれないほど腹の虫が鳴いているのだ。
「誰か…神様…どうかお助けください…」
 泣き叫ぶ子供達を守るように一生懸命祈りを捧げるシスター。
「ふははは!教会の人どもは神様、神様って居もしない存在に訴えかけて何になる?」
「信じるものこそ救われるのです」
「人間特有の異常な空想癖だな、俺からすればお前らの方が十分に狂っている。」
 助けなど来ないと言わんばかりにため息を混ぜ合わせて吐き捨てる。
 その時だった、食堂の扉が開けられ、パウロが拳銃を手に鋭い視線で人狼を射抜く。
「動かないでください」
「拳銃か、お前は言っていたな。銀の銃弾はないって。人狼相手には通常の弾丸は通用しない。」
 銃声が三発。どれも命中したもののすぐに傷口はみるみる塞がっていく。数十秒もすれば綺麗さっぱりなくなっていた。
「…っ」
「それじゃあ、いただきまーす」
 晩餐に入ろうとする歓喜の声を遮るように4発目の銃声が耳を打つー。
「なっ…があああああ!」
 右肩を撃ち抜かれて床で悶絶する人狼は痛む部分を抑えて跪いた。穿たれた銃創からはジュウウと肉が焼ける音が聞こえた、貫通はしていないもののまだ肉の中に弾が残っているようだ。
「はあ…騙し騙される、陳腐な劇作家が考えたお遊戯会だなこりゃ。おい、人間に化けた程度で俺を欺けると思ったのか?ギムレット」
 今までの丁寧な口調とは打って変わり何か別の人格が宿ったような、否、本来がこの荒々しい口調なのか…。
 激痛で鈍る頭で理解する、俺と同じようにこいつも化けの皮を被っていやがった。
「銀製の銃弾は特定の教会の人間やXYZしか所持権限を持っていないはず、それを何故…何故こんな辺境にいる人間が持っている…」
「何故って?俺がジンだからさ。」


〜回録〜
「なあ、なんで俺を助けてくれたんだ?」
「そうですね、私が人に助けられたからですかね」
 教会と併設された孤児院での何気ない日常の切り取られた会話を断片的に思い出す。
 銀色の人狼が腰を抜かす俺を庇いながら倒れた。目の前が血の海に沈む、ぐにゃりと視界が捻じ曲がり、二重三重と輪郭がブレる。
「錯乱しているのでは」「可哀想に…。この人狼に何か薬やら魔術でも使われたのかもしれない」
 やめろ、やめろ…。恩人を殺した手で俺に触れるな、なんで殺したんだ。なんでなんで、なんでなんでなんでなんでなんでなんで…。
 そこからの記憶は一切残っていない。
 気がつくと連れてこられた孤児院の椅子に座っていた。ようやく闇が晴れた視界には灰色の風景しか映っていなかった。

⚪︎
 ジン。対人狼組織XYZの頭であり、【シルバーバレット】の異名を持つ最強の男。
 夜の空気より冷え切った声色が真実を告げる。人狼の顔が青ざめたままこちらを見上げている。
「その火傷跡、教会の人間と対峙した時に銀のナイフを思わず握ったな?人狼が銀に触れると溶け爛れるような火傷を負うハズ。通常の火傷とは焼け方が違うんだ。」
 左手をひらひらと翳し、熱いものを持ったときのような反射的に熱を振り払う仕草をする。
「お前に言ったはずだぞ。頭のジンが部下からたまには休んでくれと無理やりにねじ込まれた長期休暇に入っており、故郷の田舎にひっそり帰郷していると。けどそれは嘘だ。」
「嘘…だと…?」
「俺は本名のパウロとして教会の人間として居座り、XYZではジンの仮面を被って任務に当たる」
 XYZではメンバーの名前以外の情報は一切漏らすなという暗黙の規則が存在している。人狼が人に紛れて彷徨いている以上、うっかり漏らそうものなら眼を付けられた雑草の如く寝首を掻かれてしまう。
 なので構成員のほとんどは仮の拠点をいくつか抱え、そこに目を付けられても他の場へと避難すればいい。
「お前は羊飼いに紛れた狩人に気づかずに近づいてしまった。そしてXYZはよく羊飼いや教会の元で定期的に報告会を開きに趣くからな。そして今日は満月、月光を浴びた人狼は食欲を制限できなくなる本能、いや呪いと言った方がいいか、それが最大化される。それがあるから俺はこうやって故郷に戻ってくるんだ」
「貴様がジンだということはわかった。だが、だがなぜ人間の子供と一緒に人狼の子供も育てているのだ?」
 いい質問だと言わんばかりの悦に浸った瞼の閉じ具合、そこから転じて瞳には暗く許されざる記憶を思い出したときの青白い炎が宿る。
 パウロ、もといジンは滔々と語る。
「俺は幼い頃に銀色の人狼に育てられた、人間も人狼も分け隔てなくな。故に人狼だという疑わしい理由で魔女狩りで処刑されるのは許せん。人狼にだっていいひとはいる。だからその恩返しに身寄りのない人狼の子供を育てているのさ」
 目の前で育ての親である銀色の人狼が凶弾を受けて絶命する様子がフラッシュバックする。安堵したように駆け寄る教会の人間、もう大丈夫だといって手を伸ばしてくる大人の表情は物語世界に登場する悪魔よりも醜悪に見えた。
 XYZが掲げている対人狼討伐組織というのは表向きの話。裏面は良き人狼は生かし、人を喰らう悪しき人狼は殺す。それを承認した上でメンバーはジンの我儘とも言えるこの事実を受け入れている。
 自分の想いを打ち明けたとき、反対されると思ったが、XYZの誰もが賛同してくれた。だからこそ皆の期待に応えるべく日々費やしている。
 人狼はそれを聞き入れハハッ、と諦観めいた嘲笑を浮かべた。飢餓も限界なのに目の前に最強の男がいるのだ。それは諦めたくもなる。
「詭弁だな、そいつが人を食ってもいいって言っているようなものだ」
「そうなるのなら責任を持って撃ち殺す、私も含めてな。ついでに冥土の土産話に聞いてやる、最後に言い残すことは?」
「ねえな!」
 自棄糞で勢いよく飛びかかる人狼に向けてさらに発砲ー、一発外した。再度引き金を引くが軌道を読まれているせいで手のひらで最後の銀の銃弾をガードされた。人狼の身体能力で瞬く間に0にまで潰されるこの距離だ、リロードしている暇はない。
 弾切れの様子を見て勝ちを確信したのか、ギムレットはニチャアと気色悪く嗤う。頬までひび割れた口が亀裂のような笑みを浮かべた。
 しゃあなし…。
 相打ち覚悟で突っ込み、薙ぐように振るわれた鉤爪で頬を切られつつも、懐に潜り込み、左肘で鳩尾を突き、多少怯んだと同時に銀製のナイフで心臓を刺し貫き、そこからさらに深く押し込まれ、中枢機構を破壊された人狼がそのままうつ伏せに倒れると黒い塵になって消えていった。
「あの馬鹿ども、俺の留守中に見知らぬ新人なんか入れないでくれよ。おかげで面倒な審査を更に増やさないといけないじゃないか」
 自分の休暇中に見知らぬ志願者を組織に入れたことに悪態をつく。
「皆、もう大丈夫だよ、ソラウ君いい演技だった」
 ソラウと呼ばれた男の子はえへへと片手で後頭部を撫でつつ照れ笑いを浮かべる。頭から生えた狼の耳はそのままに。

 数日経って、俺はXYZの本部がある都市へと戻ってきた。
 増えてきた工場が吐き出す煤けた空気が鼻につく。やっぱり故郷の田舎暮らしの方がいいなという思いと子供達の笑顔を思い出すだけで、2週間もすれば完全にホームシックになりそうだ。
 4階建ての煉瓦積みでできたビルディングの建物の3階、そこがXYZの本部だった。
 戻ったら早速ヤキを入れてやろうと決めていたので本部に入ってすぐそこで談笑していた最年少のフィズと二つ下のリッキーに声をかける。
「ジンさんお疲れ様です!」
「ただいま、ちょっとよギムレットって野郎雇い入れたやつはだれだ」
「ギムレット…あ、あの人…えっと、カルーアさんが面接したはずです」
「わかった、ありがとう」
「あの、ギムレットさんに何かあったのですか?」
「あいつ人喰いだった」
「「へぇっ!?」」
 素っ頓狂な声をあげて驚きながら「人喰いって」と喚きつつ質問しようとしているフィズとリッキーを無視してずんずんとした歩き方でオフィス内を進んでいく。 長い猫っ毛の柔らかい茶髪を後ろで纏めた頭に琥珀色の瞳をした若い男が木製の椅子の背もたれにもたれてリラックスした様子で両足を伸ばして後頭部に両手を当てていた、
「おい、カルーア。なんで俺がいない間にギムレットってやつ入れたんだ?」
「彼が大食いだってことをマークしていたのは僕です、人に化けて入ってきたのはジンさんが休暇に入った次の日に彼がやってきたので、丁度いいなと思いジンさんのいる教会へと差し向けたのです。まあXYZのメンバーの人数が増えて思った以上に狩りができなくなっている大食い、我々が一番脅威に感じている大食いが出てこないのであれば膠着状態、泥沼です。そこで思いついたのですが餌をチラつかせて仕舞えば、あちらから隠れ蓑に隠れているジンさんの方へと自動的に行ってくれると思ったんです」
「謀ったなこの野郎」
 XYZのメンバーは全て酒の名前で構成されているのだが、俺の目の前にいる男はカクテル言葉の【悪戯好き】の名前に似合うニヒルな笑いを浮かべる。
 こいつガキの頃にペンキで落書きして怒られてそうだなと思ったのがつけた理由だが名は体を表す。この名前を与えて正解だった。
 このカルーアを見て思わず殴りたくなったが、【大食い】を討伐できたのはこいつが一枚噛んでいるのでガチガチに固めた握り拳を引っ込める。
 現在XYZは穏健派の人狼のコミュニティと裏でパイプを繋がっており、何人か同胞を殺してでも和平の道を探索しようとしている人狼をメンバーに引き入れているため、無闇に人狼を入れて勝手に撃ち殺しても繋いだ手ごと切断するようなもの。
 穏健派の可能性も捨てきれず疑心暗鬼になっているメンバーの中でカルーアはそれを見抜いていたということか、こいつの慧眼には度肝を抜かれる。この飄々とした態度で俺を舐め腐っているのが玉に瑕だが。
「まあいいか、今回の件もあるし給料は弾んでやる」
「僕ってラッキー」
 勝ち誇ったように言う彼に若干イラっとした。
「その代わり今度奢れ、俺直々の命令だ。拒否権はない」
「酷っ、また増やした分まで食うじゃないですか」
「俺と子供達を餌にした仕返しだ」
 踵を返して自分の部屋へと戻っていく。
 あの子達も月の光に晒せば凶暴な人狼となってしまい、最悪子供達や俺をも食い殺すだろう、そうならないために国中に地下通路を作る計画を教会の方に提出したのだが、中々通してくれない。
 望むところだ、人狼が人を食い殺さない仕組みを作る。洞窟でもいい、遮光布でもなんでも月光を当てない工夫を凝らす。
 あの日から、そう言う世界を作りたいと絶望に苛まれながらそう願ったのだ。
「でも、これだけじゃだめなんだ…」
 分別は付けている。人に化けたこいつのような人間の味を覚えた人狼が、まだ都や街の中にいるのは間違いない。けど人に害を加えない人狼は殺さず、共存の道へと誘う。
 俺は一度建物の外へ出て、月に向かって吠える真似をした。雲一つない夜空から放射される優しい月明かりが狂気を纏って俺を包み込むようだ。
 光源である白々しいほどの月が親代わりだったあいつの毛並みに似ている気がした。


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