332.つまらない意地なんかより、ずっと大事なものがあったんだと、思えるようになった話。
つい意地を張ってしまうときがある。
つい意地を張ってしまって、
言いたいことを言う。
すると、そのときはスッキリしても
しばらくしてから
自分が失ったものに気がついて。
別の選択肢があったんじゃないか
と思うことがある。
つまらないものを得るために、大事なものを失うのは馬鹿げている
ちきりんさんの文章に出会って、
つまらない意地を張ったたために
大事なものを失った経験を思い出した。
約4年前、
子どもたちの世話をしてくれていた義母に
理不尽なことを言われ、意地を張ってしまった。
理不尽なことを言われ傷ついた
気持ちを理解して謝罪してほしかっただけだったが、
いくら話しても、義母は私の気持ちを少しも理解してくれなかった。
その結果、それまでは不和ながらも付き合っていたが、
その件が決定打となり、義母との関係は崩壊。
自分の実家から離れた土地に住む私にとって
子どもたちの世話をしてくれる貴重な人を失った。
私が意地を張ったことにより
守ることができたのは「自尊心」だけだった。
3人の子どもたちが毎日家にいた春休み。
猫の手でも借りたい。
喉から手が出るくらい「時間」がほしい。
何度もそう思った。
そのとき、ふと、義母との諍いを思い出し、
私はなんて馬鹿なことをしたんだろう、と思った。
「背に腹は代えられない」という言葉を思い出した。
何よりも大切な「時間」をくれる人を失わないためには
多少理不尽なことを言われることくらいは
我慢すべきだったのかもしれない。
なんて、自分は馬鹿だったのか、と思った。
でも、当時はそう思えなかった。
なぜなら、当時の自分にとっては、
失う「時間」よりも
傷ついた「自尊心」を守ることのほうが大事だったから。
私が必死に守った「自尊心」は
当時の私にとっては「つまらない」ものではなかったのだ。
あと当時はまだ、
義母は話せば分かってくれる人だと信じていた、
「そういう人だから仕方ない」と割り切れなかった、
というのもある。
ただ、今の私は
義母はどうしても分かりあえない「そういう人である」と
理解できるようになってきたし、
何よりも切実に「時間」がほしいと思うから、
今の私なら違う選択ができたのかもしれない、と思う。
でも、仕方がない。
もうどうにもできないのだから、
過去の自分を責めることも、
義母を責めることも、
もうやめたい。
今からでもできることに目を向けたい。
この記事をアップするか、迷いました。
こんなの読んでも、誰も嬉しくないと思いました。
でも、アップすることに決めました。
それは、戒めにしたいからです。
同じ過ちを繰り返したくないからです。
アウトプットし続けた結果、
こんな自分を変えたいと心から思えた。
アウトプットし続けることによって、
自分にとって「本当に大事なもの」に気づくことができた。
「意地を張る」よりも、
やりたいこと、大事なこと、
いっぱいあるって気づいたから。
その「本当に大事なもの」のためなら
他の諸問題については我慢できる自分になってきたように思うし、
そういう自分になっていきたいから。
要は「本当に大事なもの」を大事にして生きていきたいのです。
理不尽なことがあるとカチンと来て
つい意地を張ってしまう、
そういう自分を変えていきたいのです。
そんな風に思えるようになったのは、
間違いなくアウトプットをし続けたからです。
読みに来てくださるみなさん、
ありがとうございます。
もし何か気に障ることがあったら、
こんなふうに自分に声をかけたいです。
自分のためのただの懺悔のような記事を
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ではまたね!
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