自分がHSPだと気づくまで
最近よく聞くようになったHSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)という言葉。
感受性が強くて刺激を受けやすい人のことを指すのだけれど、自分にとても当てはまっていて驚いた。
以下はHSPに当てはまりそうな私の特徴である
(※今回はマイナス面だけ羅列)
・大きな音がしたときに1人だけ文字通り飛び上がって驚いてしまう
(大きな音がするかもしれないと身構えていればあまり飛び上がらずに済む)
・R指定の映画がものによっては刺激が強すぎて見続けられない
・格闘技もマラソンも痛そうすぎて辛そうすぎて(?)見ていられない
・虫を潰す感触とグロさがダメで極力生け捕りにして外へ逃していた。蚊に吸われたときは一箇所で済むようにあえてじっとして満腹になるまで吸わせるようにしていた
※娘が生まれてからは全力で潰しにかかるようになった。娘に害なす存在(虫)は駆逐するのみ!
・人が怒られていると辛い気持ちになって何もできない自分が申し訳なくなってくる
・血を見ると冷静を装いつつ気づかぬうちに頭から血の気がひいてきて貧血を起こす
(大丈夫だとどれだけ自分に言い聞かせていても無理)
・火曜サスペンスと世にも奇妙な物語の音楽が怖い。なんだか落ち着かなく不安になるのでできるだけ早くチャンネルを変える
・不機嫌な人がいると顔色を窺いすぎてすぐに疲れてしまう
・外で全力を使い果たして帰宅して、帰宅後に靴を脱ぐと気が抜けて動けなくなる。服を着替えるまで1〜2時間ほど放心状態で何もできない
・感情の乱高下が激しい。気分屋でついていけないと言われることも
・過去の失敗をふと思い出して恥ずかしさに悶絶しながらどうすればよかったかウジウジ悩み考え込む
長年これが普通だと思っていた。なぜなら一番身近にいて一緒に育った3つ年上の姉もおそらくHSPだったから。
そしてHSPではない(と思われる)母のことを、とんでもなく鈍感で無神経でマイペースな人だと思っていた(ごめんよ母)
母こそ特殊な性質で、私や姉は多数派なのだと、、、夫と付き合い始めるまで本気でそう思っていた。
ところで、夫はHSPではない。
夫と一緒に過ごすうちに、こんなにも違うのかとたくさんの発見があった。
まず格闘やサスペンスになるとさりげなくチャンネルを変えている行為がなんで?と突っ込まれ、私と姉の中ではいつもの行為なので気にしていなかったけれど、よくよく考えてみるとそれって当たり前ではないと気付いた。
「なんとなく痛そうすぎて見てられないじゃない?」と言っても
「どういうこと???」という反応。
極め付けは私がどうしても見たくてR指定(だったと思う)の映画を一緒に映画館に見に行った時のこと。
当時自分のことをほんのちょっとだけ血が苦手なだけの普通の人という認識だったため、特に迷うことなくその時話題になっていた映画(捕虜になりながら戦争の中を生き抜いた兵士の生き様の話)をデートで見に行こうと誘った。
夫(当時は彼氏)はその映画を見ることに最初から難色を示していたけれど、多分君が好きじゃない内容だと思うよと散々言われたけれど、話題になっていたその映画をどうしても見てみたくて強引に映画館に入った。
初っ端から激しい銃撃戦の連続、上がる血飛沫、走って逃げるのに合わせて揺れるカメラ。主人公が捕虜となり繰り返される暴行。
激しいフラッシュと銃撃・爆撃の音、悲鳴が大音量の迫力でずっと続く…
あれ?なんだか映像に酔ったかな?気分が悪くなってきたかな、としばらく目を閉じた。
目を閉じてもフラッシュと音は避けられず、どんどん吐き気がひどくなり頭から血の気が引いていく。
そうこうしているうちに少しでも動けば倒れそうなほど体調が悪くなって身動きがとれなくなってしまった
(欲張ってど真ん中の席を確保していたためすぐに出られなかった)
映画の半ばから、スクリーンに背を向けて額を背もたれに当てて丸くなって耳を塞いでいる私の隣で、夫は映画が終わるまで私の異変に気が付かなかった。
とにかく外の空気が吸いたくて、見終わった人の波が減るまで座席で休み、夫に支えられてなんとか外に出た。
出口の植え込みに座ってうなだれながら、
“この映画はさすがに私みたいに気分を悪くした人が続出したことだろう。映画館を出てすぐが外だから、そこで同じく座り込んでいる人がいっぱいいるはず!“
という私の予想に反して、同じ映画を見た人たちは足を止めることなく普通に歓談しながら通り過ぎていった。
誰1人として気分が悪くなって座り込む人はいなかった。
そんな馬鹿な!と愕然とした。
夫が言いにくそうに口を開いた。
「前からずっと思っていたんだけど、君は僕と違って感受性がすごく高いんじゃないかな。R指定の映画はちょっと刺激が強すぎて、高すぎる感受性の影響で気分が悪くなるのでは?ちょっとそうなるかもと予想していたよ」
え?なにそれ?私、子供じゃないんですけど、、と困惑する私にさらに畳みかける夫。
「この際だから言っちゃうけど、帰宅したときに疲れ切ってしまってしばらく動けなくなるのも僕では考えられないよ」
「どうして家に帰るまでに体力を使い果たしてしまうのかな?仕事なんてそこそこでいいじゃん。適当に手を抜きながらこなして、そこまで疲れる前に体力を3割残して家に帰ればスムーズに着替えてご飯食べてお風呂入ってしっかり寝る時間が取れるでしょ」
「自分の限界って考えたことある?毎日のように気力も体力も使い果たして倒れるように帰ってくるなんて心配で見てられないんだよ」
んん?こんな弱ってるときになんかケンカ売ってる?
腹が立ったし反論したかったが、正論すぎる上にそんな元気はなく唸りながら吐き気と言葉を飲み込んだ。
"感受性が高すぎる"
その一言が心に刺さった。
自分の感覚が普通だとは限らない
徐々にそう思うようになった。
改めて夫を観察してみると、私と比べて感情の起伏が少なく確かに疲れにくい。
私以外の人間にさっぱり気を遣わない。
他人にどう思われようと気にしていない。
私のように些細なことで落ち込むこともほとんどないが、私のように些細なことで楽しい気持ちになることも少ないように見えた。
私なら耐えられない映画の連続視聴も夫ならなんなくこなせるが、夫が漫画や映画のストーリーを案外理解していないことに気がついた。
本人にも自覚があり、言外の表現や伏線回収など、はっきり示されていないと展開が唐突でわからない、どういう関係性なのか人間関係がわからないなど、内容についていけないことが少なくないそうだ。
(いや、そっちこそ読解力に問題ありじゃん。と思ったが黙っておく)
人と相対することで見える自分もある。
けれど、要は自分の性質を知ってどうつきあうか ということだと思う。知らなければ対策も立てられない。
夫と関わって、私は自分が多数派ではないと気づき、HSPだという答えに行き着いた。
"繊細で傷つきやすく生きづらい"
などマイナス面ばかり取り上げられるが、私はそうは思わない。
ただ心が大きく動きやすいだけなのだと思う。楽しいことにも辛いことにも。
人生長いのだし、いちいちオーバーリアクションな私の心との付き合い方は、これからゆっくりと探っていこう。