なんでも年のせいにするものではないと思ったが
おはようございます、おじさんです。
腰は姿勢次第では痛みますが、普段の痛みはなくなりました。
そして風邪はほとんど症状を感じないほど回復しました。
若干痰がからむときがありますが、痰もきれいな色になりましたね。
そもそもきれいな痰というのがおかしい表現かもですが、しんどい時の痰って黄色とか茶色で硬めのが出てきますよね?
今はせいぜい少し白く濁った鼻水のようなもので硬さはなく、咳をするたびに出ていたものも出なくなり、咳自体もほとんどなくなりました。
風邪が落ち着くまで3日かかりましたが、以前なら薬飲んで布団はいって汗かけば夜には治ったものですが、やはり体が弱ってきているのでしょうか。
すなわち年を取ったからだろうなと思ったのですが、ちょっと自分で、ん? と思ったわけです。
年を取れば体は弱るでしょうが、自分よりも高齢の方でも元気な方はいらっしゃいますし、なんなら自分よりも重いものを持ったり、運動できる高齢の方もいます。
ならばそれは年を取ったからではないのではないかと、ふと思ったわけです。
おそらく体は衰えていくでしょうが、運動というのもがあり、人は体を鍛えることができるわけです。
つまりちゃんと運動している人は衰えるにしても緩やかであり、運動していることにより健康でいられるという事でしょう。
なんなら衰えを知らず、なんてこともあるかもしれません。
これは結構重要なことだとおじさんは考えました。
運動して体を鍛えていれば、ちょっと手を伸ばして中腰になったくらいで腰を痛めるなんてことはなかったのではないかと。
つまり今回腰を痛めたのは、おじさんの怠慢の結果ではないのかということです。
言ったかどうか忘れましたが、おじさんは太っています。
今すぐどうにかなるレベルではないのでしょうが、太っているので基本動きたくないです。そうして年を重ねてきました。
若いころ割と力仕事をしたり体格の良さもあってわりと力には自信があり、
特に何かするわけでもなくごり押しで乗り切ってきました。
ですがやはり加齢で人は衰えていくものでしょうし、何もしていなければなおさらでしょう。
しかもおじさんはケガで年単位で何もしていない時期もあり、体の衰えはすさまじいものであったはずです。
12キロの箱を持つのも一苦労、以前は40キロくらいあったものでも持ち上げて運んだものですが、12キロの箱を数個、3メートルもない距離を移動しただけでも筋肉痛がやってくるという恐ろしい経験もしました。
その時おじさんは
「若い時はもっと重いものも持ったものだが、年取ったなぁ」
なんてことを言うわけです。
実際年は取っているのですが、先にも述べた通りおじさんよりも高齢でも重いものを持つ人もいます。
おじさんが弱ったのは日々楽をしたいという気持ちで生きてきた結果なのですね。
もちろん日々苦痛を感じて生きていたいなんていう人はたぶんいないと思います、楽ならそれに越したことはないと思うわけです。
ただ、おじさんは楽をしすぎたのだなと改めて思ったのです。
運動とかはほとんどしなかったですし、美味しいものを求めて食べ歩いたり飲んだりもしました。
運動不足という言葉がぴったりですね!
おじさんの中で「年のせい」というものは、すべてがそうではないとは思いますが、きっと多くの方は今回の例に限った話ですが、きっと運動不足のようなものからくるものではないかと思いましたね。
しっかり鍛えている方の、年を取ったなぁという言葉には、何も言えることがないです。素晴らしいことではないでしょうか。
今回そんなことを思い、つまり何事かと言えば少し運動をしようと思ったおじさんでした。
読んでくれてありがとうございました。