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「3階にもオペ室があるんだぜ」
内科の実習が終わって、学生用ロッカーへ続く病院の白くて長い廊下を歩いているときに同じ実習班の鈴木くんが僕に言った。

そんな訳はない、と僕は思った。
オペ室は病院の地下1階にある。
3階の外来棟には皮膚科や眼科などが並んでいてオペ室が入り込む余地などないし、病棟にもちょっとした縫合などを行う処置室こそあれどオペ室なんてどこにもない。
第一、もう何か月も病院で実習しているというのにそんな話聞いたことがない。
鈴木くんの冗談だろう、と話半分に聞いていると、鈴木くんは僕が話を信じないことに腹を立てたようで、オペ室へ連れて行ってやるよ、と僕に言った。
僕は宅配便の予定があるから早く帰りたかったのだけど、鈴木くんの法螺話の行く先を見届けたい、という思いもあって結局鈴木くんについていくことにした。
宅配便の人には申し訳ないけれど、荷物は再配達してもらえばよいのだし。

鈴木くんに連れていかれた3階の病棟の突き当りの壁には確かに扉があった。
僕は何度もその壁の前を通ったことがあるのだけれど、扉には気が付かなかった。
それは無理もないことで、扉は壁に完璧に同化していた。
壁の前に立って数分間じっと目を凝らしていると、朧気ながら扉の輪郭が浮かび上がってきた。
鈴木くんがゆっくりその輪郭の端を押すと、音を立てないで滑らかに扉は開いた。
扉はベッド1台が通れるくらいの大きさだった。
扉の先は噎せるくらいに真っ暗で、部屋の中がどうなっているのか窺い知ることは出来なかった。
ただ風が流れているようなごおおおという音が聞こえていた。
この部屋に入ったことがあるの?と小声で尋ねると、鈴木くんは首を横に振った。

鈴木くんは入ってみよう、と扉の中へ足を踏み出した。
僕も数歩遅れて部屋に足を踏み入れた。
部屋はひんやりしていて鼻がつんとするような清潔な匂いがした。
濃密な暗闇だった。気を抜くと自分の輪郭があいまいになって暗闇と同化してしまいそうだった。
開いている扉からの光がなければ、暗闇の中で僕は位置感覚を失ってしまいそうだった。自分が直立しているのか、横たわっているのか、逆さまになっているのかさえも分からないくらい。
するとゆっくりと扉が閉まり始めた。音を立てないで。
僕は縺れそうな足をばたつかせて外へ転がり出た。
僕が出た数秒後に扉は完全に閉じた。
隣に鈴木くんはいなかった。
鈴木くんはこの中に取り残されているのだろうか。
僕は白い壁をじっと見つめて扉の輪郭が現れるのを待ったけれど、壁はずっと壁のままだった。
壁に指を這わせて、扉を見つけようとしてもだめだった。
扉は消えてしまって、目の前には白い壁があるのみだった。
少しの間僕はそこで呆然としながら、鈴木くんを待っていたけれど彼は出てこなかった。
もしかしたら鈴木くんの悪ふざけで、もう鈴木くんは帰ってしまったのかもしれないな、と思った。
最後に壁に触れて扉がないことを確かめた後に、僕は帰宅のために学生用ロッカーへ向かった。
ロッカーまでの廊下は僕のよく知っている病院のものだった。

帰宅したとき宅配便はまだ来ていなかったから、僕は荷物を受け取ることができた。

次の日に学校に行くと鈴木くんは休みだった。
他の班員に理由を聞いたけれど、全員何も知らないみたいだった。
そのまま鈴木くんは2週間休み続けて、3週目の初めに学校へ行くと彼の名前が名簿から消えていた。
鈴木くん大学辞めたんだって。

学務課にどうして鈴木くんが大学をやめたのかを聞きに行ったけれど、プライバシーの問題といって教えてもらえなかった。


僕は時々あの扉のことを思う。
あれは実際の出来事だったのだろうか。
僕は時々鈴木くんのことも思う。
彼は今どこにいるのだろうか。

病院にはひっきりなしに病人が訪れる。
僕はあれから3階の病棟には近づかない。


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