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看取り

その老人ホームは廃校のような外観だった。
リノリウムの床には摩擦やなにやらで黒く傷が入っていて、天井の剝き出しの配管を黄色がかった蛍光灯が照らしていた。
天井は低く、狭い廊下が長く続いていた。
薄暗い病室には四つのベッドが押し込められていた。
先生によると年金でもお釣りの出るくらいに安い施設とのことだった。
家族が一か月に一度年金のお釣りを回収しに来るらしい。

施設に入ると奥の部屋に案内された。
その部屋の真ん中に身体が横たえられていた。
身体は不自然なくらいに青白かった。
先生はその身体の傍に寄って、胸に聴診器を当ててから、瞳孔にペンライトで光を入れて睫毛を触って反応のないことを確認した。
その後に僕も同じことを同じ順番で確認した。
身体は蝋人形のように白く冷たく固かった。
その確認を以て身体は遺体となった。
十六時十六分だった。


帰り道の傍には小さな湖があって、その湖の外周を沿うような道路を通った。
夏特有の鈍くて重たく明るい光が乱反射して湖面が煌めいていた。
僕はその光景を見てなんだかひどく感傷的になった。
これまでの人生を思って、これからの人生を思った。
これまでに得たものをこれから失っていく過程を思った。
もう世界は七月で今年の半分が過ぎてしまっていた。
一日はこんなにだらしなく長いのに、どうして一年はあっという間に過ぎ行くのだろう。
不可逆な時間の上を僕は流されていく。
車は左折して湖は後ろへ遠ざかっていったけれど、何かの比喩みたいな湖の光景は僕の瞼に焼き付いていた。

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