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Vol.20 ドン底での責任の取り方...

放置という言葉に、少し罪の意識を感じました。

僕 「ようは踏み倒しですよね….それって倫理的にどーなんです?」
医者「まぁ破産よりは倫理的にマシよ」

道義的責任に対する説明は以下のようなものでした。

【道義的責任】
・破産:裁判所を通じ、債権者へ強制的に「泣き寝入り」をさせる行為
・放置:裁判所を通さず、債権者へ自主的に「泣き寝入り」をさせる行為
・債権者にとってはどちらも被害は同じ
・破産は社長だけが救われるが、放置は事業が存続する可能性がある
・スタッフや取引先を救う点では放置の方が社会的にマシ
・事業が復活すれば、返済を再開することも可能になる

世間が認識する同義に従って「破産」をすれば
「債権者」だけでなく、「従業員」や「家族」も同じく割を食う

闇医者はそこに疑問を呈しているようでした。

医者「世間は破産して責任とれって言うけど、筋なんて通ってないんだよ」
僕 「関係者からすれば、ふざけるな!って話ですよね…」
医者「金は返すべきだよ。でもそのためにまずは自分が復活しないと」
僕 「その間は、こちらが面倒を見ると」
医者「債権者に一時的に恨まれてでも、まずは復活してもらう」
僕 「で、復活したら?」
医者「債権者に金を持参して、詫びに行けば許してもらえるよ」

三十六計逃げるに如かず」
この言葉には続きがあります。
「後日再挙を期す」、と

建設的な行為のための一時的な逃亡。

踏み倒しでもなんでもやって、ひとまず自分/スタッフ/家族を守る。
また金稼ぎをさせて、最後には債権者にも筋を通す。
そこまでして初めて「責任の取り方」だと、彼は話を続けました。

闇医者の考えに賛否があるは否定しません。
でもドン底の世界では、
綺麗事では済まない「清濁合わせ飲む決断」があるのも事実
その点で医者の理屈には一定の説得力がありました。

そもそも当時の僕には他に選択肢などなく、
倫理や正義を語れるような立場ではなかったのです


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