「光る君へ」第42回「川辺の誓い」ともに生きるということ
「民のためによき政をする」というまひろとの約束を果たそうとしている道長だが、彼の周囲の者たちは全く幸せそうではない。
顕信が突如出家してしまい、錯乱状態の明子。
立后の儀の参列者がたったの4名であった藤原娍子の憂いを帯びた表情。
大勢の公卿の参列のもと、妍子の内裏参入を成し遂げた道長も心から喜んではいない。
その後、毎晩のように宴を催して酒を煽る妍子もまた寂しそうである。
まひろもまた、一条天皇亡き後、源氏の物語を書く意義を見失っているようだ。
あっ、一人だけ変わらない人がいた。
唇をぶるぶる振るわせて、ばあとかぷうとか言っている実資である。
これは孔子の言葉で、一国に二人の君主があってはならないということ。
道長の横暴とそれにへつらう公卿たちを暗に非難する言葉なのだろう。
こう言って、実資は立后宣命の上卿(しょうけい)を勤めた。
その後も、
権力におもねることのない実資、さすがである。
さて、ここまでの流れは、三条天皇のわがままのように描かれているけれど、果たしてそうだろうか。
花山天皇は17歳で即位、一条天皇はわずか7歳での即位である。この二人が政治を公卿らに任せるのはある意味当然だが、25年間もの東宮時代を過ごし、36歳で即位した三条天皇が自ら政治を執りたいと願うのは当然のことではなかろうか。
まして、敦明親王の母である娍子を皇后にしてその立場を守ろうとすることは自然の流れのように思えるのだが。
宇治で道長に対面するまひろ。
百舌彦のナイスな働き!
という道長に対し、
というまひろ。
半分本気のような気がする。
そうなってもいいよ、覚悟はできている的な。
残り半分は、弱気になった道長にそれが嫌なら生きてみたらと奮起を促す感じなのではなかろうか。
子供のように泣く道長。
そういえば、かつて直秀(毎熊克哉)ら散楽一座が無惨に殺された時も道長は泣いていた。
その後、まひろに一緒に都を出ようと言うも、あなたにはより良き政をする使命があると諭される。
もうあの若き日の道長ではない。
ここで、二人で川に流されることなどできないことを十分すぎるほどわかる年になってしまった。
まひろもそういう道長をわかっている。
大人って辛いよね。
職責やしがらみや家族や、いろんなものから逃れられない自分を知っている。
そして、逃れるための最終手段がこの時代は出家なのだ。
顕信は早々とこれを使ってしまった。
家族へのダメージなどかまっていられない。
いやはや、若さである。
宇治十帖を書き始めるまひろ。
源氏物語、最終章である。
まひろの「この川で流されてみません」の台詞は、宇治十帖のヒロイン浮舟を思わせる。浮舟は二人の男性の間で板挟みになり、宇治川に身を投げる女性である(死なずに助かる)。
あさイチの柄本佑さんを見たら、道長への目線がどうしても優しくなってしまう。
そしてもうすぐ終わりが近いことを実感するこの頃。
さて、どんなふうに着地して終わるのだろう。
最後に。
先週のこの記事でコングラボードをいただきました。
いつもこのご報告をどこに載せようか、迷っています。
これまでは自分の記録として、いただいた記事に貼っていましたが、それでは毎回読んでくださる方へのお礼の気持ちが伝わらないことに気づき、今回からいただいた翌週の記事に載せようと思います。
お読みくださった方々、スキしてくださった方々、いつもありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。