見出し画像

色も香りもとりどりに 〜友達の7割は外国籍~

私の通っていた小学校は特異な存在だ。生徒の7割以上が外国籍なのだ。面白い特色を紹介したい。

まず、校内放送が日本語とポルトガル語の2言語であることは当たり前だった。中学に進学してもそれは変わらず、他の小学校の生徒が驚いているのを見て、逆に自分たちが特殊な環境にいたことに気づかされた。

学校のホームページ。複数の言語に対応する機能がある。
左上から英語、ポルトガル語、スペイン語、タガログ語、中国語、ベトナム語、ネパール語、ウルドゥ語、
ヒンディー語、インドネシア語、タイ語。

友人の苗字や名前が突然変わることがある。だが珍しくなく、私たちには普通のことだった。まぁ久しぶりに会った時に変わっていると「誰の名前だ!?」と混乱することはあった。

あと友達が宗教上の理由で食べられないものがあり、弁当を持参していた。給食が提供される日本の学校では珍しい光景だろうが、誰も不思議に思わず、互いの違いを尊重し合っていた。

日本国籍の教師と生徒は、外国籍の友人から特にポルトガル語を学んでいた。休み時間や掃除の時間に、簡単なフレーズを教えて貰い、楽しんでいた。外国籍の友達に日本語を教えることもあるが、大半の他国籍の子は教育を受けて日本語ペラペラである。


今年、高校生になった。他の地区の人たちと生活するようになってから、こう言われたことがある。
「君の地域って、治安が悪いらしいよね? 外人が多いしさ。」
まるで異文化に触れること自体が危険だと言わんばかりの言葉に、私は心の底から驚き、悲しみ、そして怒りを覚えた。

まず「外人」と言うな。それは差別用語だ。そして国籍で人々を一括りにして評価するな。どの国にも善人・悪人はいるし、私の友達のように努力して環境に馴染もうとしている人もいる。治安が悪いと憶測で決めつけないでほしい。

育った環境では国籍や言語、肌の色、宗教が違っても、それはただの個性の一部であり、何ら怖がることではなかった。
だが、周囲の視点は違っていた。異文化を恐れ、未知のものに対して偏見を抱くことが、無知によるものだと感じた。

成長するにつれ、この社会がいかに均一的な文化を重んじているかが見えてくる。小学校での多文化共生が当たり前だった私にとって、現状の単一文化主義は息苦しささえ感じさせる。


題名「色も香りもとりどりに」は、小学校の校歌の一部分だ。

私が育った環境は、まさに「色も香りもとりどりに」広がる世界そのものであり、私はこの言葉を心から大切にしている。

広い野原に咲く花々は、お互いに「色や香り」を競い合いながらも共存して美しい景色を作り出す。しかし、小さな鉢に詰め込まれた花々は限られた環境の中で押し合い、互いの成長を妨げるようになる。偏見は、小さな鉢の花々のように互いを押し合い、発展を阻むものとなる。

多様な背景を持つ友人たちと過ごした日々が、今の私を形作っているのは間違いない。小学校のような環境があったからこそ、私は「違い」を恐れない。むしろ、それを楽しむ力を持つようになったのだ。

狭い鉢に閉じ込められていると感じる人、いや世界中の人へと、私は伝えたい。

世界は広く、多様な色と香りで満ちている。恐れずに、その野原へと踏み出してみてほしい。

#未来のためにできること   


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?