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希死念慮、産後うつの悪化は突然に #本編2

エッセイ 産後うつになったけれど  #2

いきなり重たいタイトルで驚かせてしまって申し訳ありません。

本記事後半に、うつ病の苦しい描写があります。どうかご自身の心身の状態を優先していただけますと幸いです。


うつ症状から目を背けていた時代(前回のあらすじ)

産後うつの症状に気づき苦しみつつも周りを頼ることができず、さらに「休めない」「休んだら終わり」と自分を追い込んでいた息子0歳児時代。

早く息子を保育園に入れて仕事復帰しようと、力を振り絞り保活を始めるものの、認可保育園の年度途中の入所が難しく、絶望感が続く。

息子1歳、保育園の洗礼を浴びる

息子が1歳になる頃、運よく認可外保育園への入所が決まった。

私も産前からお世話になっていた取引先とのお仕事を始めることができ、「育児より仕事をしていたほうがラク!」を実感し始める。

とは言え1歳になりたての息子、保育園の洗礼を受け、はじめの1、2ヶ月の間に何度か熱を出したり、感染症にかかったりした。

はじめてのことで、私も不安になり、かなり疲弊し憔悴したのを思い出す。

熱のある息子を抱っこ紐に入れて、傘をさして小児科に向かった雨の日。

待合室の椅子で息子が落ちないように支えながら、必死で問診票を書いた日。

受付で財布や保険証をスムーズに出せずに焦って、マスクの下で泣いた日。

思い返すと、本当によくがんばったなと思うことばかりだ。

また、息子が保育園を休めば、請け負っている仕事をストップすることになる。

会社員の方よりは休みの融通が効きやすい一方、フリーランスの身としては、納期が遅れることは死活問題。

思い描いていた仕事復帰のスタートとはならず、悲観し、

「また、この子に邪魔をされた」

とさえ思ってしまう。そしてまた自己嫌悪に陥る日々。

歩き始めの息子の頭に落ちてきた「掃除機」

うつ症状の悪化は突然だった。

1歳3ヶ月頃、少し遅れてよちよち歩きを始めた息子。行動範囲と興味の幅が広がり、危ない!と思う瞬間ばかりで、私は家の中で肩の力を抜くことができずにいた。

そんなある夜、リビングの壁にダイソンの掃除機が立て掛けてあった。息子がダイソンにつかまり立ちをしようとした際、そのダイソンが、息子の頭めがけて倒れてきた。

使用したことのある方なら分かるかもしれないが、ダイソンのダストボックス部分って意外と重さがある。(我が家のダイソンは古いので特に)

本能的に体が動き、息子に当たらずに済んだものの、

その瞬間、私の中で、はっきりと、すべての感情が消えていくのを感じとった。

触ってほしくない物は手の届かないところに置き、常に息子が視界に入るように動き、常に、張り詰めて、育児をしてきたのに…

もう頑張れない。

希死念慮の芽生え

希死念慮とは、死んでしまいたいと強く思うこと。うつ病に見られる症状の1つとも言われている。

当時、保育園にはベビーカーで送迎していて、その距離は片道20分弱。

ほとんど食べられず眠れずの体でフラフラになりながらお迎えに向かっていた梅雨の暑い日、いつものルートである大通り沿いで信号待ちをしていた。

「今飛び込んだらどうなるだろうか」とふと考えた。

私がお迎えに行かなければ、息子はどうなるのだろうか。

保育園にいる間なら、私が死んでしまっても何とかなるだろうか。

今なら息子は母親のことを忘れられるだろうか。

念のため、息子の保険証やマイナンバーカード、母子手帳、へその緒…などは夫に託しておこう。

毎日毎日、死ぬことばかり考えて、蒸し暑い夏を過ごした。



ここまで読んでいただきありがとうございました。
次回は、心療内科を受診するまでの経緯について書けたらと思います。

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