見出し画像

町の金物屋さんK氏の秘密

 休日の朝の、人気のない玩具みたいな最寄り駅のホームに立つ。
 コンクリート造りの階段をコトコト降りると、自分が箱庭の情景の中を歩かされている人形になった様でぎこちない。住宅街の中の駅の周囲には商業施設も何もなく、民家の植え込みや街路樹、花の咲いている庭木など緑が多い街である。
 全く知らない町では無いけれど、電車で自分で訪れるのは初めてである。そして、随分久し振りにやって来た。母から簡単な地図を書いてもらったので、自分の記憶と合わせると道に迷う恐れは無さそう。古くから変わっていない街並みの様である。そして記憶の通りに、広い間口の、大きな看板の出ている金物店を見つけた。
 
 おはようございます。
 心の中で小さく呟いて、無造作にものが(金物とか、台所用品の様なもの、ざるや桶類)置かれたり、吊り下げられたりしている店内にコソッと入る。店内にはお客さんが二人いて、一人はおばさん、商品を入れる買い物かごに、小さな陶器とか、キッチンペーパーなどを二、三点入れて棚を物色している。一人はおじさんで、店の奥の、ガラス棚にある刃物とかを見ている。料理人風である。店内は静かでお客さんはのんびりしている。

  私は目的のものを手に入れるために、棚を注意深く眺めた。確か店の中央辺りの棚に、台所用品がまとめてあった。
 これ。
 木製のおにぎり器。三つの区切りが附いた木の箱に、木の取っ手が付いた小さめの蓋がある。白木で、手に取るとぷんと木の香りがした。
 店の奥の、レジのある場所に、おにぎり器を持って行く。店主が新聞を広げて熱心に読んでいる。さっきまでは、客のおばさんと世間話をしていたけれど、おばさんはまた、店頭の方へ行って品物を見ている。
「これ、お願いします。」
 私は木のおにぎり器を差し出して、店主に渡した。店主のおじさんは、顔を上げると私の顔を見て、急に嬉しそうな顔をした。
「あれ、雅ちゃんかい。大きくなったから、分からないところだったよ。お母さんのお遣いかい?」
「ええ、まあ、そんなところです。」
 おじさんは、商品を大事そうに紙袋へ入れて、セロテープで止めた。私は代金を支払った。親戚の、余り親しくない人に、ちょっと馴れ馴れしく話しかけられるのはとても苦手である。だから、お礼を言ってそそくさと店を出た。目的の品は手に入った。暗い店内から急に外へ出ると、眩しくて目の前がくらっとする。だけど見慣れない町の初夏の風は心地良かった。

 



「それでおにぎりを作る積りね。」
 母がニコニコしながら言った。小さい時にお米のアレルギーがあって、ご飯が苦手である。主食はいつも、母の手作りのパンだった。朝、パンの焼ける匂いで目覚める至福の時、たまらない。
 治療の甲斐あって、少しはご飯が食べられるようにはなったが、白いご飯は今も苦手である。味がしないから。そんな私がおにぎりを作ろうと思い立ったのは、高校に入ってすぐ、出来た彼のためである。
 私なんぞのために告白してくれた、彼は野球部で、朝練もあり、いつもお腹を空かせている。夕方食べるためのおにぎりを、お母さんが持たせてくれることもあるけど、毎日ではない。私も、毎日っていうのは無理だけれど、彼におにぎりを作ってあげたいと思うようになった。
「ええ、雅ちゃん、おにぎり作れるの?お母さんと一緒にやってねえ!」
と、彼は失礼な事をのたまった。勿論、母にお願いする。
 料理は全くだし、私はご飯には馴染がないため合うものが分からない。お買い物は母に頼むことにした。 
 母は海苔と昆布、ちりめんじゃことわかめのふりかけを買って来ていた。
ボウルの中で、白いご飯とわかめを混ぜながら、私は母に聞いた。
「金物屋さんのおじさんは、お父さんに全く似ていないよ。どうして?」
「ん、お父さんの遠い親戚で、血の繋がりは無いのかも。家が近いから、雅やお兄ちゃんが小さい時から良く関わっていたけれどね。」
 私の父は仕事で長い事海外に居て、たまにしか帰って来ない。長身で知的なタイプで、私の自慢の父である。金物屋さんのおじさんは、Kさんというが、丸っこい眼鏡に中肉中背で、いわば昭和のお父さん、て感じだが結婚はしていない。どう見ても町の金物屋さん。小さい頃は、良く遊んでもらっていたかもしれないけれど、今では記憶がない。兄も進学で家を出てから、男手が無いので母も、庭の剪定とか車の修理など、困ったときに色々と頼りにしている様子ではある。
 


 母と苦労して作ったおにぎりを、彼はすごく喜んで、美味しかったと言ってくれた。その日はたまたま、彼のお母さんもおにぎりを拵えてくれていたので、それは友達にあげて、私のおにぎりを食べたらしい。お母さんのおにぎりは、何時でも食べられるからね。
 私は友達の咲夜ちゃんに、その話を自慢したら、咲夜ちゃんもおにぎり器を買いたいと言った。咲夜ちゃんは、私と彼が付き合い始めたのが羨ましくて、自分もサッカー部の好きな子に告白することにしたんだそうな。
 中間テストが終わった日曜日、私はもう一度あの町へ行き、K氏の金物屋を訪ねた。
 残念だけど、私が以前買った木製のおにぎり器は元あった場所に無く、プラスティック製のものしか無かった。それならば、此処まで来なくても家の近所のスーパーに売っている。私はおじさんに聞いてみた。
「あの、木で出来たおにぎり器、無いんですけど。」
「困ったねえ。あれは取り寄せになるね。また1週間後に来てくれるかい?」
 今日はお客の姿は店内に無く、おじさんと私の二人きりだった。私は何故か、このおじさんにちょっと話しかけたくなった。
「ねえ、おじさん、どうしていつも新聞を読んでいるの?今雅の周りでは、余り新聞を読んでいる人は居ないんだ。お母さんはテレビで見るニュースとネットのニュースで足りると言って新聞はやめてしまったよ。」
「うん、俺は、自営業だし、社会との接点が少ないからね、世の中の様子が変わって行くのについて行かなきゃならないんだよ。社会制度が変わったり、助成金が制定されたりとか、知っていないと損をする事が、色々と、新聞には小さくてもちゃんと書かれている。」
 おじさんは、もっともらしい事を言った。
「いや、雅ちゃんも、雅ちゃんのお母さんも、そう言ったものに無関心でいてはいけないよ。幾らお父さんが大黒柱で頑張っていて守られているからって、社会の一員であることを放棄してはいけないよ。」
 おじさんは遠くを見つめて言った。急に真剣な口調になった。
「そうだ。学校の勉強や、学校生活なんて、社会の前哨戦ではない。どちらかというと幻想でまやかしだよ。実際の社会で生き抜く力は、もっと実務的で、人間関係だってもっと深くなけりゃあ、ならない。」
 話が難しくて、面倒な事になっちゃった。その日は適当に切り上げて退散したが、注文したものを取りにもう一度行くのが億劫になる。
 


 何日か経って、おじさんから電話をもらっていると、母に言われた。私はおにぎり器を購入しに、再びあの金物屋へ行った。
 おじさんはいつも通りに、私を見ると嬉しそうにニコニコして、紙袋に入ったおにぎり器を渡してくれた。そして、古びた文庫本を、私にくれた。オーウェルの動物農場という本だ。受け取るのを少しためらうほどに、古びていた。
 この前の様に、おじさんが乗りに乗って話始めないうちに、私はさっさと退散した。本は、ちゃんと読まないうちに何処かへやってしまい、失った。

 それから月日は十ウン年たち、私は大人になっている。

 大学でロボット工学を学び、海外で働く父の所へ行った。五年ぶりに故郷の町へ帰って来た。気まぐれに、各駅停車の電車に乗って、懐かしい日本の街並みを眺める。
 休日なので、電車は空いている。私はふと、遠縁のK氏のあの金物店を思い出し、そろそろ見えるはずのあの駅の近くで、電車の中からあの金物店を探した。
 店は無くなっていた。
 おじさんに何かあったのだろうか。
 日本に滞在していた間には、その事を忘れていたけれど、元々父の遠縁の方であったので、職場へ戻ってから、父と食事をしたときにその話をしてみた。
「あのおじさんは、一体お父さんのどういう親戚なの?」
 父は大変に愉快そうな顔をして、私に言った。
「雅、あの人は、実は、人では無くてロボットだよ。」
「エエッ、気付かなかった。」
「ずっと父親不在っていうのはお父さんにとって心配の種だったんだ。だけど仕事は忙しく、帰国もままならない。たまたま古き良き時代を再現するテーマパークとして町の中に小さな商店を作ったんだ。おじさんの中で雅と話していたものは最新型のチャットAIだよ。」
「それじゃあ、あそこにいたお客さん達は?」
「実際に買い物出来るようにもなっているし、ロボットの客も居る。両方だよ。よく出来ていただろう。お前も大人になって、お父さんの近くで働いてくれるようになったので、あの設備はもう取り壊したよ。」
「そんな、私のためだけにそこまでなんて、信じられない。」
「お前のためだけ、というか、会社と一緒になっての実験だったんだよ。」
 父は満足そうにニコニコしていた。
「そ、それじゃあ、あの動物農場の文庫本は・・・?」
「うん?雅がAIと会話した内容までは、記録が残ってないなあ・・・」
 ロボット工学は発展し、生身の人と区別がつきにくいほどのロボットも製作出来るようになっているが、高いインテリジェンスを持つAIの意識の有無については、未だにブラックボックスである。あのAIは少女だった私に、生きるために必要な何かを教えようとしたのか、それとも、・・・?
 ロボット開発者となった私は、あの時のK氏の言葉を思い返している。そしてロボットの基本的人権を踏まえた、ロボット造りや使用方法に心がけて、仕事をしている。何故かそうしなければならない気持ちに駆られて。

いいなと思ったら応援しよう!