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コロナ後遺症 2年6ヶ月の記録
現在、鋭意執筆中(2024年11月現在)です。文章の査読、修正などを行いながら、少しずつアップデートしております。すべてはまとまっていない状態ですが、私の混乱記、失敗談をまとめております。後遺症の方もそうでない方も、読み物としてお楽しみいただければ幸いです。
地獄の始まり
私は、関西某小都市で会社経営を行う47歳。
子供は3歳の娘が1人。
そう、忘れもしない、2022年の5月12日。
1歳3ヶ月となった娘が初めての保育園に入り、慣らし保育が終わり、GWが終わってという時期。
会社も創業1年目が終わろうとするところで、まさにこれからという時期。
今思えば、この時が地獄の始まりだ。
娘の保育園で、コロナ罹患者が出たとの話。
コロナによる緊急事態宣言などが頻発した、2020年、2021年を乗り越え、自分やまわりの家族は大丈夫だったかと胸を撫でおろしそうな時期、ついに、娘が入りたての保育園で感染。
娘がかわいいばかりに、離れることもできず、その後、妻と私も同時期に感染。妻はそれほどでもなかったが、私は40度の高温に2日間うなされ、その後、激しい経験したことのない倦怠感が残った。
『体温が下がれば消えるに違いない』と思っていたが、体温が下がり、熱いお風呂に入り、ビールを飲んだ瞬間、
目の前が、激しい波に襲われているようなグワングワンした感じ。まさにこれが『ブレインフォグ』だったのだろう。
その後、全身が急激に鉛のように重くなり、立っていられなくなった。
経験したことのない体調の急変に、私は、「あかん、ほんまにあかん。」という言葉のみを発し、ベッドに横たわった。
翌朝、起きてみると、起きた瞬間から、目の前がグワングワンと揺れている。
「なんだ、これ。」
恐怖におののいた。今まで経験したことの無い感じである。
ここから激しい倦怠感が続くようになった。
倦怠感という表現は言葉では緩すぎるような激しい極度のだるさ
息をするのがやっとのような状況である。
私は、1歳になったばかりの一時も目を離せない娘と妻、立ち上げたばかりの会社、少ないが確実にいる社員とスタッフたち。
みんなを守り抜けるのだろうか。
そして、45歳という年齢。
これから体力もどんどん落ちていく。
マラソン市民ランナーで、フルマラソン完走15回、ウルトラマラソン完走1回の経験を持つ私は、自分が倦怠感などというものに悩まされるとは微塵も思わなかった。
起きてはしんどく、起きてはしんどい。
「きっと明日になったら回復しているはず。」
と思いながらも、何日も変わらないだるさ。
経験したことのないしんどさ。
毎日、毎日、熱がないのに38度はあろうかという体調不良
「早く回復しなければ!」
焦りが募る。
妻や娘は幸いすぐに回復したが、自分だけが取り残されてしまった。
世の中のいろんな人がコロナに罹ったという話は耳にするし、身の回りにもコロナ患者が急増していたが、自分だけが回復していないような気がした。
まさに孤独である。妻も、最初は「早く寝な」とか優しい言葉をかけてはくれたが、子育てや、ほぼフルで勤務するテレワークが忙しく、自分のことでもいっぱいいっぱいで、私の事もあまりわかってくれないようであった。
いつしか、「しんどい」という言葉を吐くと、「私もしんどいんだから!」と、家庭の雰囲気も悪くなった。
ランナー仕込み、超回復を目指してみたが・・・
さきほども書いたが、私は元市民ランナーである。
フルマラソンを年に2回ほど走り、毎月100㎞程度は、趣味でジョギングしていた。
さて、ランナー界隈では、「超回復」なる言葉があるのをご存じだろうか。
「超回復」とは、正確には筋トレなどで使う用語であるのだが、私は、人間本来がもつ自然治癒力を生かし、回復を積極的に促す手法としてとらえていた。
たとえば、フルマラソンを走った翌日に、軽く10㎞を走ったりして、ただ単に休んで回復させるのではなく、軽い刺激を入れて、回復を促すような感じだ。結果的に、普通に休んでいるよりも早く回復できる と私はそう信じていた。
この手法を取り入れて、コロナの隔離期間の10日が終わったすぐに、毎朝、2,3㎞の軽いジョギングをしてみた。
体調がどんどん悪化する
いつもは、ジョギングをすると、すっきりするのだが、今回ばかりは、ジョギングして帰ってくると朝から激しい倦怠感が消えない。
仕事はテレワーク中心の仕事に切り替えたが、1時間半のWebミーティングをしただけで、ベッドに倒れこんでしまった。
毎日、気力で、どうしても外せないWebミーティング(商談)をして、終わったら倒れこむ。
1日2時間から長くて3時間が限界だ。
こんな生活を、5月いっぱいは過ごすことになった。
なぜ、なおらないんだ。
これは完全に後遺症ではないか。。
病院を探しまくる日々
月が変わって6月。コロナに罹患して、3週間が経っていた。
コロナ後遺症外来をやっている病院があるとの情報をネットでも見た。
電話して予約してみると、
簡単な血液検査をして、「大丈夫ですよ!心配ないですよ。」と言われ、帰される。
「えっ、ものすごくだるさが残って、目の前がグワングワンするんですけど。」と訴えたが、「夏バテでしょう。暑くなってきたし。」と軽く返される。
そんな感じではない。
確かに、梅雨が始まるじめじめと暑く鬱陶しい季節となった6月。
でも、「夏バテ」とかいう生半可な、経験したことのある倦怠感ではない。
例えるなら、
自分の血管に鉛が入っていて、自分の体が5倍にも10倍にも感じる重さ。
タバコやお酒を飲む人なら分かるかと思うが、
徹夜でタバコを2箱くらい吸って、日本酒を5合、焼酎をロックで10杯くらい、ワインも1本くらい、ちゃんぽんで飲んで過ごした朝のような感じ。
それが、ずっと続いている感じ。
なぜ、私だけこんな感じなんだ。
他の病院も検索して電話してみた。
大阪では、かなり大きな病院で、コロナ後遺症外来をやっているとか。
電話すると、「ただいま込み合っていて、予約できるのが、来年の7月になります。」と。
来年の7月って今から1年以上先じゃん!そんなに待てないよ。
ここからの私が、情報の波におぼれ迷走に入るのである。
情報の波におぼれ始め、大クラッシュ発生まで
さて、ここからは、私が情報の波におぼれ、コロナ後遺症にかかり半年後に発生した大クラッシュまでの流れを紹介しよう。
コロナ後遺症になって2ヶ月。
7月になり、季節は梅雨があけ、真夏となった。
依然として体調不良は続く。
この時点で、まず私がやったのが、「コロナ後遺症に関する書籍を探そう」と思ったのだ。ネットで探してみると1つ見つかった。
何やら、東京のクリニックの先生が書かれた本で、コロナ後遺症に関して詳しく書かれてありました。
「私はそうそう!この症状」
うれしくなり、本をくまなく読み、書かれてある漢方薬や治療などを片っ端から試すのであった。
体にムチ打ち、保育園の送り迎えをする日々
さて、私の体が思うように動かない、しんどくても、生活は毎日続く。
特に、仕事以上に、1歳になったばかりのわんぱくすぎる娘の世話は大変だった。
妻も忙しいので、できるだけ、私も保育園の送り迎えをしよう。
妻と半々で送り迎えをする日々だ。
近くの認可保育園には落ちたので、少し離れた無認可の保育園までは、自転車で10分ほどかかった。約1㎞の道のりである。
この送り迎えが地獄のようにしんどかった。
今思い出してもよくやったと思う。
思うように自転車に乗ってくれず、30分以上、保育園の前で立ち尽くした日々。公園に行っても1歳の娘の体力に追いつけない日々。
まさか、体力自慢の私がこんなことになるなんて。。
1歳の娘と遊んでいる最中に・・・
さて、後遺症になって3ヶ月。
時は8月、夏真っ盛りになっていた。
「お盆休みに仕事のことを一切忘れたら治るかもしれない」
と思い、お盆休みは極力休むことに注力した。
しかし、家では、1歳半になろうとする娘がよちよち歩きでいたるところを歩き回っては、家をぐちゃぐちゃにしたり、ベビーゲートを乗り越えようとしたり、わんぱくざかりだ。
そこで、ボーネルンドという子供の遊び場に連れていくことにした。
小さなボールがたくさんあるボールプールとかがあるやつだ。
みんな子供の頃に1度は遊んだことがあるだろう。
そこで、1歳の娘と一緒にはしゃいだり、娘を追いかけるため、ちょっと軽く走ってみたりした。
すると、
「ズドン!!」
という体の内部から、なにかおもりか何かに引っ張られたような激しめの倦怠感が襲ってきた。
そして、息は苦しく、目の前が若干、揺れて見えるような気がした。ふらつきがあり、水中にいるような感じ。
そして、まさに熱が38度くらいあるようなしんどい感覚だ。
「なんでたったこれくらいの動きで、なぜこんなにしんどくなるんだ!」
私は愕然とした。後遺症になって、3ヶ月が経った。これはいったいいつまで続くんだ。。
帰りの車を運転していると、またさらに”ズドン”という激しめの倦怠感が襲ってきた。
高速を運転していたため、とても恐怖を感じた。
これは普通に生活できるのだろうか。。。
お盆休みゆっくりしてもしんどさは変わらなった。
郊外の後遺症外来の病院へ
時はすぎ9月になった。これまで、妻は、ほとんど何も協力してくれる感じがなかった(というより、仕事と子育てとPMSでいっぱいいっぱいすぎて、私のことをかまっている余裕がなかったのであろう)が、ネットで後遺症外来をやっている病院を調べてくれた。
大阪市内の有名病院は1年以上待ちだったが、郊外のある病院は、電話がつながり、すぐに受診できることとなった。
あとで紹介する、「漢方薬やサプリ、治療などを片っ端から試す」でも書いたが、受付の人や看護師さんは優しくてよかったが、結果的にいまいちだった。
郊外すぎて電車ではいけず、車で1時間以上かけて通った。
3ヶ月ほど通ったが、先生が適当すぎて、通うのもしんどく、途中で行くのをやめてしまった。
時はさらにすぎて、秋が深まってきた。10月となっていた。
コロナ後遺症となり5か月。
ほかの病院を探してみた。
私は、自分で見つけたコロナ後遺症の本を発行しているという東京のクリニックがオンライン診療をやっているということを知り、オンライン診療を受診することにした。
最初、オンライン診療というので、ビデオ通話かなにかでやるのかと思ったが、単に電話診療だった。
電話で、先生の問診を受け、2週間程度の薬をもらうという流れだ。
私は、ときどき薬の処方をしてもらいたいときに、こちらのオンライン診療で薬だけをもらうということをやっていた。
こちらも、後述の「漢方薬やサプリ、治療などを片っ端から試す」でも書いたが、今になって思えばあまりよくなかったような気がする。
先生と電話越しに話すだけなので、あまりしっかり診てもらえているという感覚はなかった。無駄に時間と労力を使った気がする。期待が大きかっただけに残念だ。
帯状疱疹発生
さて、11月になった。
コロナ後遺症になって半年である。この頃、なぜか急に体調がよくなってきた。
なぜか、帯状疱疹になったのだが、そちらが出始めると倦怠感が減ってきたのである。
帯状疱疹は1週間ほどで引いていき、その後、しばらくしんどくない期間が1週間~2週間続いた。
「これでなおるんだ!」
私はそう思った。
そう思っていた矢先、また、とんでもない地獄に突き落とされるのである。
事務所の引っ越し最中に、大クラッシュ発生
おそらくこの記事をご覧のあなたは、「クラッシュ」という言葉を聞いたことがあるだろう。
コロナ後遺症になって、無理をしたときに、体調が急激に悪化するというアレだ。
私は、事務所の引っ越しで、スタッフと、大きな棚を運んでいた。
3階建てで、エレベーターがないマンションだったため、階段を2人でよいしょよいしょしながら運んだのである。
その際、また体がチリチリと内部から、何かが出てくるような強烈な違和感があり、その後、急激な倦怠感が出るようになった。
『LongCovid』とはこれか。
治ったと思ったらまた再発する。
まるでモグラたたきのように。
私は強くショックを受けた。
このあと、昔使っていた、アカウントだけは残っているが、ほぼ何もしていなかったTwitter(X)を使い、コロナ後遺症の情報収集をしまくることになった。
Twitter上では、わんさかコロナ後遺症患者さんが情報を求めて発信していたのである。私は同志がたくさんいると思った。勇気づけられもした。
そして、ここから長らく迷走を極めることなるのである。
大クラッシュ発生後、どんどん体調が悪化
11月の大クラッシュ発生後。コロナ後遺症が7か月経過した12月。
2022年12月だ。
この頃も、まだコロナが5類に分類される前で、街ではほとんどの人がマスクをつけていた。
しかし、コロナに対する世間の恐怖心は若干、やわらいでいるのが感じ取れるような気がした。
私はといえば、コロナ後遺症がよくなるどころか、悪くなることにどんどん焦りを感じていた。12月頃の話である。
世間は、クリスマスも、2020年、2021年に比べると、お祝いムードが出ていたように思う。ところが、我が家は深刻である。
いかんせん、私は、毎日のように、「しんどい」「しんどい」を連発し、妻に、子育てを丸投げするシーンも多かったように思う。
妻が、娘のおむつを替えている横で、私は、ミサトール(後述)を試したり、様々なビタミン剤、漢方薬、鼻うがいにセルフEATをやり、自分のことでいっぱいいっぱいだった。
妻からは、「自分のことばっかり!」と怒られるようになった。
妻との仲も悪くなる一方だ。
妻との関係も急激に悪化・・・これがコロナ離婚か。。。
ネットで検索をしまくる日々だ。年も明けて、2023年になった。
妻と1歳の娘とどこかに出かけては、喧嘩をする日々。
正月早々、近くのショッピングモールに入っている赤ちゃん本舗という赤ちゃん用品専門店で妻と大喧嘩をした。
周りの買い物客が、振り向いて傍観するほどの、暴言の応酬である。
40代中盤の高齢の夫婦が、まさに恥もなく、言い合っている。
そんな姿である。
周りの買い物客からは、「なに、なに!」という目で見られた。
幸せそうな、家族たちの群れの中、なぜ、私たちはこうなんだろう。
私は、30代のころに結婚の経験があるが、子供に恵まれず、そして、夫婦関係もうまくいかず、6年で離婚をした。
40代になり、サラリーマンを辞め、起業して3年。今の伴侶と巡り合った。
そしてすぐに再婚。
今度は子宝に恵まれ、2つ下の、お互い40超えの高齢の夫婦であったが、かわいい娘を妻は産んでくれた。
私の人生、これからだ。と思っていた。
娘は順調に育ち、1歳になった。
そんなときである。コロナ後遺症にかかったのは。
それから、8か月が経っていた。
妻も子育て、仕事とPMSによる周期的な体調不良でいっぱいいっぱい。
私も、毎日、毎日、もう死んでしまいたいと思うようなつらさでいっぱいいっぱい。
妻とは一生分かり合えないのかと悩んだ。
私はPMSのつらさはわからなかったが、妻もコロナ後遺症のつらさはわからない。お互いに自分のおかれる大変さを主張しあう日々だ。
この頃は、「夫婦ってなんだろう。家族って何だろう。」と思い悩む日々だったように思う。
そして、今日1日、倦怠感が出ないでくれと願う日々。
そして、倦怠感が出るたびに絶望の毎日。
ネット界隈や、コロナ後遺症で有名な治療院が言うには、コロナ患者の1割が後遺症で悩んでいるという。
でも私のまわりや、私が言っている治療院(整体、鍼灸院)などでは、私のような倦怠感を訴える人はいないという。
ネットの声と、リアルの声がなぜこうも違うだろうと不思議に思っていた。
ネット界隈でよく目にする、PSという表現。
私は、PSで言うと、1か2だ。
この数値はどうやら10まであるようだ。
とある、呼吸リハのレッスンをネットでうけたことがある。
そこで、聞かれたアンケートに、「PS1か2」と答えた。
すると、「症状軽いですね!」
リハの先生に言われた。
これで軽いのか。
自分の中で、MAXしんどいねん。
これが正直な気持ちである。
確かに、ネット界隈で目にするコロナ後遺症患者は、寝たきり、仕事ができない、できても時短。診断書をもらって長期休業。など、仕事ができていな人が多い。
私は会社を自分で経営しているので、日々の業務はスタッフに任せることができた。どうしても外せない商談のみ、ネットで行うという日々を行い、なんとか、業務をまわせていた。
そこは自分の置かれた境遇に感謝をした。
しかし、妻との関係がうまくいかなくなり、自分の体もうまくコントロールできない。
夜は毎日疲れ果てて寝てしまう。
コロナ罹患前は、1日、12時間くらい仕事をして、子育てをしても体力的な大丈夫だったが、今や、1日6時間くらいしか働けない。
8時間は限界である。
そんな毎日だった。
入っている生命保険がやっている、「健康・こころの電話相談センター」なるところに電話相談したこともある。
しっかり話を聞いてくれて心が安らいだ。
妻には仕事で遅くなると嘘をつき、自分は家で待っている子育てに備え、体力回復を行うため、喫茶店などで休んで帰る日も少なからずあった。
ほぼテレワークでやっている妻に、自分は仕事帰りで休んでから帰るなど言えない。分かってくれる妻ではない。そう思っていた。
コロナ後遺症患者を治したという治療院へ
2023年3月頃。コロナ後遺症になって10ヶ月だ。
体調は以前回復しない。この頃は、ツイッター(X)で情報収集するのも疲れていた。みんなネガティブな投稿ばかり投げかけている。
特に査閲もされていない、ツイッター民の心の叫びを見ていると、仲間がいるという安心感と同時に、本当に治るのか という恐怖心が出てくる。
ネットはあまり見ないでおこうと思っても 見てしまう。
ネット依存症などにもなってしまうな と恐怖を覚えた。
やはり治療院で実際に診てもらおう。
自分の家の近くや、片道1時間弱離れた、職場の近くなど、コロナ後遺症 をキーワードにどんどん治療院を探した。
すると、職場のある街の隣町に、1つ、コロナ後遺症を治したという患者様の声が掲載してあるホームページを見つけた。
料金設定がとても高く、12回セットで12万程度かかるものだった。
初回おためしが、1時間6000円程度だったと思う。
私は藁にもすがる思いで、この治療院を訪れた。
治療院は、私よりも10個くらい若い先生が1人で切り盛りしているカイロプラクティックだった。
そこでは、先生が、昔、うつ病になり、それを克服した経験をもとに、患者へのサプリなども指南も行っている治療院であった。
その先生が言うには、「コロナ後遺症とうつ病は非常に似ている」というものだった。
先生からは、糖質制限とプロテインを大量に採るという手法を勧められた。
私はここにかけてみることにした。
12回セットで12万円。
このお金を出してくれと妻に言えば、また大喧嘩になるに違いない。
私が、コロナ後遺症対策で、ビタミン剤やサプリ、漢方薬を買ったり、病院へ行くたびに、「どれだけお金かけるの!」と心無い言葉をかけてくる。
こちらもお金をかけたくてかけているわけではない。
むしろ、早く治してしまい、変なサプリや治療とかに、お金を使いたくない。
この頃は、妻とまともに話ができる状態ではなくなっていた。
そして、このお金は、自分が独身のときからずっとかけていた貯蓄型生命保険から借金をして払うことにした。
希望と挫折の日々・・・
3月~6月くらいまで、この治療院に通い続けた。
この先生のお勧めする糖質制限も行いながら。
すると、体がどんどん痩せていき、久しぶりに会う親戚などからも心配がられた。
私は普段、頭を使う仕事をしている。
親戚の人からは、「脳を使うには糖分がいる。しっかりごはんや糖分を採らないとダメだ」といわれる。
一方、治療院の先生は、「たんぱく質でカロリーを採っていれば特に問題ない」という。
何が正しいのか、わからなくなっていった。
3か月程度通ったが、そんなに体調がよくなることはなかった。
治療した直後はよくなるが、またもとに戻る。
そんな繰り返しである。
そして、糖質制限と関係あるのかどうかわからないが、妙に忘れっぽくなったり、「記憶力がなくなった」と妻に指摘されることが増えたような気がする。
やはり、自分の体が答えだ!と思った。
ここの治療院に通い続けるお金も無かったし、そもそも効果がないどころか、変な副作用?も出ているのか。
私は、12回が終わったタイミングでこの治療院からはフェードアウトするのであった。
ただ、この治療院は、毎回、40分程度のセッションの間中、しっかり、私の話を聞いてくれ、優しい先生であった。
うつ病はパニック障害とかには効くのかもしれない。
それを専門にやっている治療院だったので。
ただ、私はうつ病でもパニック障害でもない。コロナ後遺症(正確には、コロナ罹患後から続く、自律神経失調症だと思う)である。
ということで、やっていることの目的と施術が違ったのだと思う。
そして、わたしはまた別の治療院へと足を運び続けることになるのである。
アンパンマンの唄に癒される
コロナ後遺症でも生活は毎日続く。
保育園に娘を連れて行くこと、朝の洗濯と、娘の朝ごはんは私の仕事だ。
いつも、アレクサでアンパンマンの唄をかけながら、朝ごはんを食べさせていた。
あなたは、アンパンマンの唄をまじまじと聞いたことがあるだろうか?
子育て経験のあるパパさん、ママさんでも、歌詞の意味をじっくり聞くことはないのではないだろうか?
ところが、コロナ後遺症になり、毎日、生きるのがしんどいと思っていると、アンパンマンの歌詞が自分の心に深く突き刺さったのである。
なんという歌詞なんだ。
私はアンパンマンの唄に心を癒され、救われた。
大げさではなく、本当の話である。
そして、あろうことか、アンパンマンの歌詞で、一人、号泣したこともある。もちろん、妻にも娘にもその涙は見せていない。
誰もいない1人の空間である。
ここで、2023年6月頃にXに投稿した記事を紹介しよう
・アンパンマン体操の歌詞
「もし自信をなくして くじけそうになったらいいことだけ いいことだけ 思いだせ」
・アンパンマンのマーチ
「そうだ!嬉しいんだ生きる喜び たとえ胸の傷が痛んでも。」
2歳の娘と聞いてますが、コレ、後遺症に苦しんでる自分にマジで響いて涙出ます
もし、あなたが、今、コロナ後遺症で悩んでいる場合、アンパンマンの唄をぜひ聞いてみてほしい。これほど、アンパンマンが勇気づけられる曲だったなんて、思わなかった。
「愛と勇気”だけ”が友達」というのも実に深い。
アンパンマンは友達がたくさんいると思っていた。
なのに、なぜ、「愛と勇気」”だけ”が友達なんだろう。
この辺りをネットで調べてみると、さらに感動が増した。
また、この頃、街にはアジサイが満開となっていた。
アジサイを見るだけで、圧倒的な感動があった。
雨にも負けず、圧倒的な存在感を誇るアジサイ。
このアジサイを見て、自分は絶対に負けない と思うのであった。
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ネット界隈で有名な、関西のクリニックへ
時は、2023年8月となっていた。
コロナ後遺症となり、1年3ヶ月が経過。
この頃は、新たな治療院を探すべく、ツイッター(X)で気になる人にDMを送るようになっていた。
そこで、クリニックの意向であまりに表には出てこないが、コロナ後遺症を専門に診ていて、全国からコロナ後遺症患者が集まっているという関西のクリニックを教えてもらった。
何やら、東京のクリニックと双対をなすような関西のクリニックである。
北海道や東北・九州といった遠方から関西から泊りで来る人もたくさん来るとか。
幸い、私は関西在住である。
この有名なクリニックへは、電車で1時間程度で行けた。
まずは、電話診断で症状を伝えた。
いろんな患者さんがいろんな情報でだいたい同じような漢方とか飲みまくってきて、肝臓とかやられているケースもあるのだという。そこで、1から全部検査しましょう ということになった。
「ここは本物だ!」
と思った。
ここから、約8ヶ月くらい、このクリニックに通い続けることになる。
そして、またまた、試練を迎えるのであった。
向精神薬を処方され、副作用が・・・
8ヶ月くらいこのクリニックに通ったが、一番困ったのは、向精神薬の副作用かわからないが、しびれ、眠気、そして、記憶障害に悩まされることになった。
今思い出しても怖いが、娘の保育園に保育参観に行ったのだが、そのときの記憶がほとんどないのである。
また、会社で採用面談をしたときの記憶や、「この内容を忘れるか!」という感じの記憶の抜けが出ており、後遺症の影響か、向精神薬の影響か、特にこの8ヶ月の期間の記憶がぽつぽつなくっている。
後述する「27.コロナ後遺症界隈で有名なクリニック」でも詳しく記載したが、ネット界隈での評判ほど私はよいとは残念ながら思えなかった。
ただ、では他にどこにいけばいいのか?
そんな感じで最後は惰性で通っていた。
このクリニックを辞めて、違う治療院を見つけたのが転機だったと思う。
詳しくは後述する。
漢方薬やサプリ、治療などを片っ端から試す
コロナ罹患後、下記のことを試した。やりすぎて全部書ききれない感じだが、大きなものを記載するとこんな感じ。2年間で総額100万円はいっていると思う。
特にお金がかかったものは、
鍼治療 1回5000円程度。全20回ほど受診→10万円ほど
カイロプラクティックA治療院 1回1万円で12回セット→12万円
病院代で、総額60万円ほど(薬代含む)
さて、1つずつ細かく見ていこう。
試したこと
Bスポット治療
Bスポットは、健康保険も使えて、比較的安いといわれるが、それでも1回800円程度かかる。私は、娘が鼻が弱く、何度も中耳炎にかかりそのたびに、病院に何回も通った。ついでに、私も耳鼻科の先生にBスポット治療をやってもらった。
50回くらいやって、総額4万円程度。
効果はほぼなし。やった直後は、よくなった気がするが、振り返ってみると、やってもやらなくても変わらなかったと思う。
評価:×鍼治療(体、頭皮)
鍼治療、特に、頭皮鍼が倦怠感によく効くと聞き、何度も通った。
東洋医学の先生は比較的、体全体を観て診察してくれるので、直そうとしてくれているなという感じがあった。
1回5000円、10回パックで35000円など、こちらも多額のお金がかかった。
やった直後は気持ちよくなるが、そこまで劇的によくなることはなかった。ただし、全身の気持ちよさがあり、体にはよいと思う。
評価:〇ニンニク注射
1回2000円程度だったと思う。打った直後は、疲労改善の感じが感じられ、翌日くらいまで、一時しのぎにはなった。
あまりに体調悪い時の一時しのぎという意味で、評価は〇
ただし、長期的な効果はないように思う。
評価:〇鼻うがい
こちらは、ハナノアが1本600円程度で購入でき、比較的安価でずっと継続できた。気休めな感じもあるが、やらないよりやったほうがましかなと思い、今も継続している。
評価:〇ミサトール
こちらは、梅のエキスを鼻の奥の上咽頭に数分間、染み込ますというやつだ。ネットでセルフEATとともに紹介されていたので、2~3か月程度試してみた。妻が1歳児の娘のおむつ替えをしている横で、寝っ転がってやっていると、「何しているの!」と言われたりしながら、「コロナ後遺症に効くらしいねん」とやっていた。効果は今一つ。聞いている感じはあったが、今思えば、「きっと効いているはず」と自分で思い込みたかったのだろう。私は、耳鼻科の先生曰く、上咽頭はすごく綺麗です。腫れもないしとのことだったので、私の場合は、Bスポット関連は全く意味がなかったのかもしれません。
評価:△?5ALA
コロナ罹患後、最初にやったのがこれ。後遺症に聞くということだったが、一切効果を感じられなかった。
評価:×BCAA
アミノ酸から分解される成分?だかなんだかで、しんどい作業をやる前に飲むようにしている。
本来スポーツ前やスポーツ中に飲むもので、私も、以前から、フルマラソンのしんどい時(30㎞あたり)などによく飲んでいた。
娘をお風呂に入れる前など、体力を使う前に飲んでいる。
一過性だが効果ありという意味で、評価〇
評価:〇糖質制限・プロテイン
これが、1回1万円で12回セット→12万円払っていった、カイロプラクティックA治療院で教えてもらった治療法。
お金がなく、妻に内緒で、自分が積み立てで貯めていた生命保険から15万借りて受診した。
糖質制限することで、どんどん痩せていった。
プロテインでカロリーはとっているものの、糖質を極端に制限することで、逆にしんどさが増した気がする。
コロナ罹患後、1年程度でこれをやったが、これは、悪手だった。
お金もなくなり、多くの時間も費やし、結局治らずじまい。
「コロナ後遺症が治った」というホームページ記載の患者様の声を信じて行ったが、もったいなかった。
治療院の先生は話もよく聞いてくれたが、1人のコロナ後遺症患者がたまたま治っただけで、体系化されたものでもなく、消化不良感が残るものとなった。
借金だけが残った形だ。
評価:××糖代謝改善
これは、糖質制限でうまくいかないとツイッターで相談した人たちから教えてもらった書籍などに従って実施。
逆に、ハチミツなどの良質な糖をとることで、脳のダメージを減らしていくというような感じだったと思う。
糖質制限より、こちらのほうが感触があった気がする。
評価:〇呼吸リハ
呼吸法だ。深呼吸をすると落ち着く。
一時のしんどさがやわらぐ、心が落ち着く。
症状の改善は見られなかったが、気分を落ち着かせるという意味で、評価〇
評価:〇マインドフルネス
こちらも呼吸法。メンタルを整えるということもあった。
後遺症に効くかは不明だが、やると落ち着く。
私は朝の散歩中にやったが、夏は蚊のいるところでやると、大変なことになるので要注意だ。
評価:〇食餌療法
なぜか、LINEで、3000円でコロナ後遺症のサポートをしてくれる団体があり、倦怠感によく効く食事を教えてくれた。
ちょっと効いた気がするが、回復したとはまではいかなかった。
理学療法士さんだっと思うが、とてもやさしかったので評価〇
評価:〇抗ヒスタミン薬
ネットで有名なコロナ後遺症外来のオンライン診療なんかでよく出た。
飲んでいるときの飲んでいないときを一定期間変えて試したが、特に私は飲む意味はなかったように思う。
評価:×ベンゾ系の薬
こちらは、「ランドセン」という薬を飲んだ。
こちらもネット界隈で有名な治療院で出してくれた。
私は8か月飲んだが、特に効果を感じられなかったし、逆に断薬時、変なしびれが出たような気がする。
こちらも、飲んでいるときの飲んでいないときを一定期間変えて試したが、特に私は飲む意味はなかったように思う。
評価:×向精神薬
こちらは、「フルボキサミン」という薬を飲んだ。
こちらもネット界隈で有名な治療院で出してくれた。
こちらも、私は8か月飲んだが、特に効果を感じられなかったどころか、この薬を飲んでから、若干、ネガティブな感じになることがあった。
ちなみに、私は、プラス思考の塊のような人物だと自分では思っている。
調べてみると、これは「うつ病」の薬で、セロトニンを上げるらしいが、逆に薬が切れてくるとセロトニンが下がるらしく、その際、うつっぽくなるらしい。コロナ後遺症を直すどころか、うつ病でもないのにうつ病の薬を飲まされ、断薬・減薬を慎重にやらないといけない薬で、扱いが大変だった。
特に私は飲む意味はなかったように思う。
その辺の説明を病院の先生はしてくれなかったし、ネット界隈で有名だからという理由で信じ込んでしまうのは危険だと感じた。
評価:×カイロプラクティック
上述のカイロプラクティックA治療院は微妙だったが、別のカイロプラクティックは、比較的よいように思う。
現在継続治療中である。
現在通院中のため、個別の評価は避ける。整体
職場近くの治療院に体のメンテナンスで行っている。
コロナ後遺症で苦しんでいる状況を説明すると、「マジっすか。最悪っすね!」と軽い感じで言ってくる26歳の若い先生がいたので、診療後、お店に電話。店長に報告して、非常に悲しい思いをしたと訴えた。後日、その先生と出会ったとき謝罪があったが、「ブレインフォグ」という言葉すら治療院の先生であっても知らないんだと痛感した。
コロナ後遺症の教科書があったら、1ページ目の最初の方に出てきそうなワードを、体を直す専門でやっている治療院の先生(その先生だけではなく、店長含む)が知らないのが実態だ。
数十万人はいると思う、日本のコロナ後遺症患者のため、軽く説教しておいた。
評価:△各種サプリ(ビタミン、亜鉛など)
コロナ罹患直後は亜鉛のサプリを飲みまくったり、いろんなものを試した。サプリは体調を整えるもので、飲んだから体調がよくなるという感じでもない。自分に合ったサプリを見つけて継続的に採るのがいいかも。ただ、これにはすごく時間がかかる。その時の体調にもよるし。専門家のサポートがあればよいが、素人がXの情報で安易に判断して試しても結果はついてこないだろう。
評価:△漢方薬局
漢方薬局という存在をコロナに罹って初めて知った。そんな薬局がいたるところにあるとは知らなかった。
1時間くらいじっくり話を聞いてくれて、処方してくれた。
確か、六君子湯と、補中益気湯(もしくは人参養栄湯だったかも)をまぜたものを処方してくれた。1つ450円くらいで、1日3つ。1か月分になると数万円になる計算で、かなり高かった。かなりまずいもので私は口に合わなくて、高いし、すぐにやめてしまった。
評価:?コロナ後遺症専門外来(某関西の中規模病院)
ここのコロナ後遺症外来はひどかった。適当な先生が、「コロナ後遺症はねぇ。種類がたくさんあってねぇ、理由ははっきりわからないねん。こんな症状があってな、まず、味覚障害・・・」とか素人でもネットみたら10分でわかる話を説明され、とりあえず、血液検査に。
血液検査の結果、どうやら亜鉛の値が低いらしく、「亜鉛の値が低いなぁ。亜鉛の薬。あとは、『人参養栄湯』って飲んだことある?効くで。え、あまり効かなかった?そしたら、『補中益気湯』は?それはない?ほんならそれを出すわ」というしごく適当な感じで薬を処方された。最初は、どんどん治ってく感じもしたが、途中でひどくなってくると、「ひどなったか。ほんなら『補中益気湯』もっと増やそか。」みたいな感じで、終始適当である。その辺の関西のおっちゃんが適当に医者をやっているかのような病院であった。特に効果がなかったので、評価は・・・
評価:×循環器系の研究センター
日本でも有数の循環器系の研究センターにて3年ほど前に人間ドックを受診していた関係で、継続検査。その結果、コロナ罹患時にもしかすると、心筋炎になっていた可能性がある?とのことで詳しく話を聞きにいった。
だが、ここもコロナ後遺症の身としてはひどかった。
病院がでかすぎて、循環器でも、心臓の右心室と左心室で、科が違うようで、「うちの科ではわからないな、〇科へ行って」などと、時間をかけた割には得るものは何もなかった。「脳のMRIは人間ドックでやったけど、心臓のMRIもやりましょうか。」とか、提案はしてくるけど、解決策もなく、どうやら行く病院を間違えたようだ。。
評価:×酸素カプセル
たまたま自宅マンションの1階に完備されていた酸素カプセル室。
入ってみると一過性はあった。直後はしんどさが若干消えた気がする。
ただし、入らないとまたもとに戻る。
1時間500円で入れるが、毎回予約制。
妻が、「どれだけお金使うの!!」と怒ってくるので入りづらくなりやめてしまった。
評価:△ファイテンのテープ
マラソンをする人などが使ったりするが、筋肉を緩めるファイテン社製のテープを首元や胸の上などに貼り、呼吸をしやすくしてみた。まあまあ、呼吸がしやすくなることで倦怠感が減ったような気分になった。
一時の気休めにはなった。
評価:〇イミダペプチド
新聞広告の記事で、「疲れに効く!」と書いてあったので購入してみた。ドリンク剤である。なにやら、渡り鳥のエキスを抽出したものだったと思うが、渡り鳥は、シベリアなどから日本に数千キロの距離を移動するほど、体力があり、そのエキスを飲むことで疲労が軽減するというものだった。確かに飲んでみると疲労が軽減している気がした。
1,2か月飲んでみたが、こちらも継続には、月1万円程度かかるような感じだったのでいつしかやめてしまった。
評価:△ニコチンパッチ
X(Twitter)で誰かが投稿していたのを目にして、試してみた。
私は15年ほど喫煙していた。たばこをすって落ち着く感じが倦怠感を和らげるかと謎の思考を元に試してみた。
たばこをすっていたときのように、体がだるーい感じで、「毒をもって毒を制す!」かなと思ったが、それは気のせいで効果はなかった。
よく考えると、当然のことながらしんどさがましただけだった。
評価:✕コロナ後遺症界隈で有名なオンライン診療
固有名詞は避けるが、かなり有名な治療院。ここは、全国からオンライン患者が殺到しており、朝9時から予約受付開始だが、15分くらいでいっぱいになる。時間になったら、すぐに必要事項を入力、当日の朝の舌の状態を写真で送る必要がある。
すると、事前に、鍼灸師さんから電話でヒアリングが入り、追って、医師から電話がかかってくるというもの。
テレビやネットで有名な医師は、当時週に2,3回しか診療せず、その医師を指名すると、遅い時は、電話連絡が夜中の2時、3時になることがあるとかで、私は違う先生でよいと言っていた。
患者が多すぎて他の先生との連携がうまくいっていないように感じた。
ある男の先生は、どもっていて何を言っているかよくわからず、話を1,2分聞いて、「とりあえず、薬出します」と薬を出してくれた。これが、抗ヒスタミン系の薬だったりするが、効果は先に書いたとおり。漢方薬も出してくれた。
また、別の女の先生は、あからさまにめんどくさそうな診療で、多くの患者をこなさないといけない運用のためか、早く終わろう終わろうとしているのが見て取れた。話が早くて聞き直すと、「それは、病院で聞いてください!」と怒られた。こちらも病院ではないのか。
メインの先生の頑張りは、書籍などでも拝見しているので、とても頑張てらっしゃるが、いかんせん、ほかの先生のマネージメントができておらず、残念な気持ちになった。
その後、ここのオンライン診療はやめてしまった。
評価:△コロナ後遺症界隈で有名なクリニック
こちらは当初の期待が大きかっただけに非常に残念だった。まず、初見で、問診の際、いきなり、口論になった。
問診で口論とはどういうこと?とお思いのことだろう。
ここは自分で責任をとりたくないのかわからないが、毎度、毎度、薬を飲むかどうかをこちらの判断を仰いでくる。のちに向精神薬を処方されることになるのだが、「私は専門家でないので分かりません。分からないから来ております。先生の判断でよいと思う薬を出して頂けませんか?」ということを伝えたのだが、「私は専門家でないのでわからない。」という言い方が気に食わなかったのか、なぜか怒られた。「あれっ、ネットの評判と違うぞ」というのが第一印象。
その後、「コロナ後遺症って治った人いますか?」と聞いたら「信じることが大切。薬にはプラセボ効果もあるので、治ると信じること大切。」と言われ、まあ、そうだなとその時は思った。
が、のちに、そもそも治った人がいるかどうかわからないんだなということが分かってきた。また、先生の表現として気になったのが「自分はたくさんの”人間”を見てきている」と表現したことが。患者さんのことを”人間”という表現をした。まるでモルモットか何かのように。
ちょっと危険な向精神薬を出したりする先生らしいが、私はあまり相性がよくなかった。
8か月ほど我慢して通ったが、出す薬がどんどんきつくなり、前述のランドセンやフルボキサミンを出され、ただ、薬を出すだけで、近づくと、「私はコロナにかかりたくない」と言わんばかりののけぞるように、患者である私を避けながら話す姿が何か滑稽だった。
8か月通ったが効果的な治療はなく、患者の状態もあまり見ない印象。
ネットの評価のように合う人は合うのかもしれないが、かなり癖の強くプライドの高い先生である。私とは合わなかった。ということで残念な評価となった。
評価:×当帰四逆加呉茱萸生姜湯(とうきしぎゃくかごしゅゆしょうきょうとう)
こちらは、NHKのコロナ後遺症に関する番組で、京大芸人のロザンさんがゲストで出ていた番組で紹介されていて購入してみた。
テレビでは、この漢方薬を漢方薬局で出してもらって、倦怠感が治った風な感じで紹介されていたが私にはまったく効果がなかった。。
こちらも妻から、「どんなけ買うねん!」と怒られた代物だ。
評価:×
希望・挫折の繰り返しで心が折れる
さて、こんな感じで、洋の東西を問わず、いろんな病院に行ってきた。
使った金額100万以上、つかった時間もわからないほど、情報収集に費やす時間もどれだけか。
それまで趣味だった、ランニングや山登りなどもできず、妻との関係も悪くなり、さすがに何度も何度も心が折れた。
生きるのが苦しいと思った。
なぜ、こんなに生きるのが苦しいのか。
まさに地獄の連続である。
毎日、1日1日を生きるの精一杯だった。
「今日はしんどくならないでくれ」と祈る毎日。
妻からは、取りつかれたようであると、愛想をつかされた。
それでも私は、会社、家族のため、頑張ってきた。
娘も大きくなってきた。
あきらめなければ終わらない
あまりにもしんどい時、ふと、好きだったスラムダンクの映画を見に行った。そこで、安西先生の「あきらめたらそこで試合終了ですよ」というセリフに再度出会った。
私が高校の時に漫画の世界で出会った言葉だ。
そうだ、諦めたら終わりだ。そして、諦めなければ終わらないんだ。
そう思えた。安西先生、ありがとう。
スラムダンク、井上雄彦先生ありがとう。
私は、回復を信じて、さらなる情報収集に励むのだった。
Xで見かけたとある投稿
あるとき、何気なく、Ⅹを見ていたら「コロナ後遺症が完全に治りました!それも寝たきりの状態から」という投稿に目を引いた。
コロナ後遺症が完全に治ったという投稿は、Ⅹの世界ではあまり見かけなかった、そして、私よりも倦怠感がひどく寝たきり状態の人が回復したというのは希望がもてた。
私は、思い切って個別のDMを送ってみたのだった。
教えてもらったのは、神戸にあるという治療院だった
DMを送ってみると、その人も私と同じように、ネット界隈で有名なクリックを受診してきた関西の方だった。
神戸の治療院を教えてもらい、サイトを見て連絡をするところから始めた。
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