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詩人と旅人、そして酒

私は、吉田類の酒場放浪記が好きだ。
酒飲みを推奨する時代ではないが、世間はどうであれ私は好きだ。
人を好きになることに理性や常識、一般論は必要ないのである。
今後吉田類先生と呼ばせて頂くが、一般人視点で考察した時、酒を飲むだけで食っていけるラッキーマンはこの人ぐらいじゃないか?と嫉妬さえ感じる。
私は創作家(詩人)に憧れるが、職業創作家はどうも好きになれない。
宣伝、広告、利益目的などが作品に反映されると、急に恋心が冷めていくからだ。
そういう点で、詩人は純粋な存在で好きである。殆んどが、食っていけない。しかし詩人をしなければ死んでしまうような神経衰弱者もいる。そのような詩人の言葉は、心を打つし感動する。
しかし現実は、食っていけないし、存在するとが不可能な状況にある。
昔から、芸術家や創作者は金持ちのスポンサーなしには生きていけなかった。
吉田類先生は、俳人(詩人)である。
酒場放浪記(NHK)というスポンサーを味方につけたことによって、詩人として生きていける珍しい存在だ。
そういう点では、中国の大詩人家の李白もそういう人物だ。
詩人(芸術家)は、支配者が保護するものだという価値観は昔から存在した。
その中国の時代背景もあるだろうが、詩人がどれだけ支配者に愛されていたか分かる。しかも李白の作品には酒飲みを軸に、美しい漢文が並ぶ。

月下独酌 李白
花間一壼酒
獨酌無相親
舉杯邀明月
對影成三人
月既不解飮
影徒隨我身
暫伴月將影
行樂須及春
我歌月徘徊
我舞影零亂
醒時同交歡
醉後各分散
永結無情遊
相期遥雲漢
(花の咲き乱れるところに徳利の酒を持ち出したが相伴してくれる者もいない。
そこで杯を挙げて名月を酒の相手として招き、
月と私と私の影、これで仲間が三人となった。
だが月は何しろ酒を飲むことを理解できないし、影はひたすら私の身に随うばかりだ。まあともかくこの春の間、しばらく月と影と一緒に楽しもう。
私が歌えば月は歩きまわり、私が舞えば影はゆらめく。
しらふの時は一緒に楽しみ、酔った後はそれぞれ別れていく。
月と影という、この無情の者と永く親しい交わりをして、遥かな天の川で再会しようと約束するのだ。)

李白の作品を見ると、時代背景を忘れさせる普遍的芸術風景を見ることが出来る。酔いどれの詩人は、孤独感をかかえながら酒を片手に創作をしてきたのだろう。
人生は辛く、希望などない。毎日が単調で、無関心な人間関係に麻痺していく。
不健全な時代に、変革期が起こる現代では、ドランカーな詩人は必要不可欠なのである。
私は吉田類先生を、特別な天才や革命者だとは思わない。
しかし、酒場放浪記の最後に紹介される詩は純粋であり人間の本質を現しているのである。

そういう私も、詩作を愛する。
そして尊敬する大詩人家に倣って酒を嗜む。
詩人は、時に旅人である。
私は九州熊本から、東北福島に住む。
芋焼酎から、日本酒へと胃袋も旅の軌跡を刻む。そして福島県を愛した、松尾芭蕉も旅の途中で、俳句(詩)を遺す。
・五月雨の瀧降りうづむ水かさ哉
・世の人の見付ぬ花や軒の栗
・英雄色を好み、芸術家酒を好む
私はこの須賀川に住んで、詩人を益々愛して止まない。
そして、旅と詩、酒の放浪を続けるのである。
 


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