ダノシジン

九州熊本県出身。元パフォーマー(プロレスラー兼ミュージカル座長)。実家の事業の失敗、家…

ダノシジン

九州熊本県出身。元パフォーマー(プロレスラー兼ミュージカル座長)。実家の事業の失敗、家の火災、熊本地震に合い、一時全てを諦め絶望する。しかし東日本大震災で被災し、避難してきた妻と出逢い結婚。現在は、東北福島県で会社員をしながら、妻と幸せに暮らす。

最近の記事

詩 サイダーを買いに

何処かの風が季節を知らせる 月光が名もなき草を照らしてる サイダーを買いにゆく道のり サンダルの足音に耳を傾ける ペッタンぱったんペッタンぱったん 茂る暗やみ深まる思索 3本のサイダーを乾いたビニールに 揺らしながら我が家へ歩む ここは東北須賀川旧道の中町 中秋の名月に団子に酔いどれに お祭り好きな我々は 秋祭りを待つばかりと

    • 歌詞 愛してる愛してる

      だれだって元々は子供だったように いつかの誰に向かって「今」を歩む そうなんだなね、大人なんて本当はない 仮に僕が老人で死に向き合う時 それは観念というか、カテゴリーを認知してるだけ またそれが認知症によって記憶メモリーが消去されて 生まれ変わりが再現されれば その人はきっと青春に向かって走りだす それでもきっと君を探すのかな 徘徊して喚き散らして 拘縮した脚を引きずりながら 車椅子で愛にむかって まるでそれは運命の赤い糸を手繰り寄せるように 声にならない歌にならない そのよ

      • 野田家 水害編

        私たち夫婦は良く災害や試練に遭遇する。 妻は東日本大震災後、熊本地震に遭遇した。 私は人災(実家の事業が破産し10年間地獄生活)、家が火災、熊本地震に遭遇した。 不幸中の幸いか、我々は震災でめぐり逢い夫婦になった。そんな私たちが一緒になった瞬間世界的なコロナパンデミックが発生、しかも須賀川水害にも遭遇してしまった。 しかし妻は、災害を乗り越えてきた猛者である。今後の南海トラフや富士山噴火、各々災害に備えて、防災リテラシーを高めている。 今後YouTube動画も含めて、防災やV

        • 三島由紀夫について

          「諸君は、去年の10.21*から後だ。 もはや、憲法を守る軍隊になってしまったんだよ。 自衛隊が二十年間、血と涙で待った憲法改正ってものの機会はないんだよ。 もうそれは政治的プログラムから外されたんだ。 ついに外されたんだ、それは。 どうしてそれに気がついてくれなかったんだ。 日本を守る事。 日本を守るとは何だ。 日本を守るとは、天皇を中心とする、歴史と文化の伝統を守る事である。 おまえら聞けぇ、聞け! 静かにせい 静聴せい! 話を聞け!男一匹が、命を懸けて諸君に訴えてるんだ

        詩 サイダーを買いに

          詩作 僕の身体が拡張した日

          僕の身体が拡張した日 心は空洞化するのだろうか 視力が低下し眼鏡を付けたあの時 外の世界が知りたくて走りだしたあの場所 もっともっとが自転車に原付、車になって その度にこの魂は自由に飛び立つ可能性を知る 知能拡張は何を見せてくれるのか ドラえもんとは違う未来予想に戸惑いはあるか 死と生の狭間が限り無く遠ざかる現代で 生命の拡張が進み人類のアバター化が迫る アルゴリズムに手順化された超人類は 我あるがゆえに我ありを無意識に変える 悟りの本質が空虚なる漠然とした絶望ならば これか

          詩作 僕の身体が拡張した日

          詩作 さすらいのぞんびさま

          さすらいのぞんびさま 天は我らをご存知か 何マイルを越えて 死体は運送され 廃棄を辿る 女よ乙女よ母さんよ いつも悲劇のヒロインよ いつ立つ殺伐宵の寝に 逃げる愛を追いかけて 今宵よ今宵よ死に体で さすらいのぞんびさま リストラでほーむれす 金なき友なき仕事なき 泣き鳴き慰き亡き世の常を そこはかとなく無情を悟 ああ、他愛、嗚呼 欲望という神よ 死体からも吸い上げるというのか この孤独な身体で この渇れた灰色のこころで 旅を続けろというのか さすらいのぞんびさま いや

          詩作 さすらいのぞんびさま

          30歳になった時書いた日記

          もう直ぐ30代になる。 10代20代生きてみて30代に成る感想。それは、中2のまま老けた感じ。 中2病のまま結婚もせず、定職にも就かずなんとなく今がある感じ。 しかし今になって初めて大人になってきた気がする。成人式の今日、僕も成人したと思う。 大人になることとは? 現代に於いて通過儀礼は、本来のそれとは違う。責任とか安定とかそういうものとは違うと思う。 なんというか死を感じる。 死に近づく感じ。 漠然としたものが全てリアルになる感じ。 僕が思うに日本人は、30歳を境に老人にな

          30歳になった時書いた日記

          夫婦おすすめ飯 大東屋珈琲店

          福島県須賀川市にある喫茶店「大東屋珈琲店」。 なんと、特撮の神様ウルトラマンの生みの親‘’円谷英二‘’が産まれた聖地として崇められる場所。 こだわりの珈琲に、モーニングやランチサービスもあり朝8時から営業!!近くにはテッテ図書館と円谷英二ミュージアムがある為、円谷英二を堪能したい方々には是非おすすめだ。 地元に住む我々からすれば、食事と珈琲が美味しいので特撮オタクでない人でも楽しめる場所だ。

          夫婦おすすめ飯 大東屋珈琲店

          詩作 ららら

          断崖絶壁に中腹のおいら カヤックに宙ぶらりんだ 落ちていく奴等もいるし どうにか命拾いする奴等もいる 本当は人生なんて虫の息 〈美しい虫にもなれず まるでゴキブリのようだ ビールと玉ねぎ天ぷらが慰めさ(ゴキブリノ大好物) いやゴキブリだって友人さ〉 芸術に反比例した宿命にも 四苦八苦の弾語りが詩作を紡ぐ ここは酸素が薄いんだ 苦しんだ虚しいんだ 山頂の真ん中で踠いている網翅類だ ここまできたんだ生きたいさ 登頂したとて窒息さ それでもららららららさ 阿呆と馬鹿者のハイブリ

          詩作 ららら

          夫婦ゆったり温泉日記

          私たち夫婦は、休日になると、散歩がてらに温泉巡りを始める。 地元でもある福島県須賀川にも市民温泉(アルカリ泉)があり、格安で温泉に入れる。 またスーパー銭湯も好きで、福島県須賀川にあるひばり温泉や郡山の招き温泉などでサウナやマッサージチェアを楽しむ。 色々と温泉を巡り(郡山温泉や並木温泉、飯坂温泉等々)、たまたま仕事の研修で寄った磐梯熱海温泉に惚れてしまった。 それからというもの、休みは専ら熱海温泉一筋という訳だ。磐梯熱海熱海の説明をチャットGPTで検索すると、 (磐梯熱海温

          夫婦ゆったり温泉日記

          詩 7年目の梅雨入り

          7年目の梅雨入り 福島は星空だった 私はなまり言葉を覚えて だばいやねごーなど 身体に東北を吸収した 九州男子から見て東北は いつも真面目で我慢強く武者が良かった 男は純粋で寡黙だったし 女性は美しく我慢強かった その空間が自分には心地好く 自然体なる民族的アミニズムが根底にあるように感じた その哲学的なまた思想的な人の歩みは客観視以外には見えない現象なのだ まるで人並みな凡庸な言葉で表現すれば「美しい」というそれだった 季節折々の風景が絵画のように神秘的だったし あまりにも

          詩 7年目の梅雨入り

          スラヴォイジジュクについて

          “私の夢をあなたの足下に広げます どうかそっと歩いてください 私の夢の上なのですから” 「民族浄化は、詩なしでは存在しない。何故なら、我々がポストイデオロギーとされる時代を生きているからだ。」 スラヴォイ・ジジェク(Slavoj Žižek)は、スロベニア出身の哲学者であり、現代社会・政治・文化についての論考で知られている。彼はラカン派精神分析学やマルクス主義などを背景に、ポスト構造主義的な視点からさまざまな問題に取り組んでいる。 ジジェクは著書や講演を通じて、現代の資本

          スラヴォイジジュクについて

          詩作 トレッキングgirl

          トレッキングを愛する女 mountainを夢見る女 今日もまた トレッキングgirl トレッキングgirlは登る 何に思い 何に震えて 何を見つめる 命の躍動 力は溢れる mountainの頂上は彼方 いつGOALできるのやら 皆目検討もつかない 脚はへとへと だがふりかえる 思ったよりきたな また深々と mountainの頂上へ

          詩作 トレッキングgirl

          やなせたかしについて

          【ぼくらはみんな生きている 生きているから歌うんだ ぼくらはみんな生きている 生きているからかなしんだ 手のひらを太陽にすかしてみれば まっかに流れるぼくらの血潮 ミミズだってオケラだって アメンボだって みんな みんな生きているんだ 友だちなんだ】 やなせたかし(本名:長谷川勝巳)生年月日:1930年2月6日 出生地:兵庫県神戸市 職業:作家、イラストレーター、作詞家 代表作:「アンパンマン」シリーズ 受賞歴:紫綬褒章、各種賞多数受賞 教育:京都市立芸術大学卒業) といえ

          やなせたかしについて

          詩作 GW

          ごーるでんうぃーくだって 今日という平凡な1日に過ぎない 雨だって降るし花粉だって飛んでいる ぼくのクシャミが休日に出ても 人類史には何の歪みも影響もない だけどドラマの一片としてここにあり しごとだって誰かがこの日を支えてる ある日常の部屋から聞こえる生活音だって 芸術家の散歩道では創作の断片となる 見えないけどあるものはある 物理的運動に則り物も人も歴史を紡ぐ A地点からB地点へと世界は動き続ける もしかしたら誰かの魂が昇天するかもしれない その人にとって今日という1日は

          詩作

          出て行く者の悲しさを ああ、誰が分かってくれようか わが愛しき山よ川よ お前たちをしのばずにはいられない