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感想文 男は辛いよについて3

さて、違和感についての確信に迫ろうと思う。
結論からいうと、その違和感とは、時代背景の変容が寅さんを遠ざける現象である。

最初の設定は、寅さんはどうしようもない男で、それ以外の良民とでコントラストがとれていた。
どうしようもないけど、こういった人だって世の中には必要かもね。というような、良識ある人々に保護される存在である。
人情とは、お互い様精神で、心のゆとりのことを言うのではないだろうか?
その思いやりが奇跡的に寅さんの存在を生み出した。

しかしシリーズを重ねる事に人々の価値観は変容する。それは利己主義や拝金主義、豊さである。寅さん以外の存在は、現代に生きる我々に移行していく。しかし寅さんだけはその人情的ノスタルジアを残して存在する。

ぽくが一番違和感を覚えたのは、笠智衆演じるご隠居様のコメントである。
最初の会では、寅さんとご隠居様の距離は白と黒の距離であった。皆が良民である時代である。その時は寅さんを叱咤するような役割を演じている。どうしようもない男だとレッテルを張るわけだ。しかし時代が遡ると、良民は欲深く利己主義になっていく。この作品の中盤からご隠居様は寅さんが懐かしくなっていく。早く帰ってこないかと懐かしむのである。そして最後には寅さんを褒め称えるようなコメントをし始めるのである。あのような純粋な阿呆が最も仏に近いのではないか?と。これは時代事態が欲望にまみれ集団全体が白から黒に変色したと言ってもよい現象なのである。何故なら設定上、寅さんは何一つ変わっていないからである。

そしてひとつの違和感がもうひとつの結論を生む。
寅さんはもう死んでいるのではないか?
それはシリーズ後半辺りから感じた。
時代背景はリアルなのに、寅さんだけが変わらない。それは絶対に不可能な訳だ。
何故なら、寅さんは良民によって保護された身だからだ。
現実的に、現代には生き残れない人種なのだ。

アリの話に戻る
7対3の法則がアリ社会を維持する暗黙の了解なら、寅さんの存在はどうなのか?人間社会にはそう言った人々が生きる余地はないのだろうか?
これはひとつの皮肉である。
文明の進歩が合理性を追求するあまり、大切なことを失いつつあるという。
それは真の幸福であり、人情である。
そして怠けるアリの存在にも寛容になれる、心のゆとりである。

最後に寅さんの言葉で締めくくる。
寅さんに甥っ子の満男が、人生なんの為に生きるのかと尋ねた時の言葉である。
「何というかなあ。ああ、生まれてきてよかったなあと思える事が何べんかあるじゃない。そのために生きてんじゃねえか?そのうちお前に

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