ぼくのテトラポットはこの曲だ
是非とも紹介したい、わたしを変えた名曲が1つあるのだが、
この曲は僕にとって、どんな意味合いがあるのだろう。とまず考えた。
哲学者でも何でもないが、人の変化って、内面の考え方が変わった場合と外面へ接し方が変わった場合の2つのパターンがある気がする。外面は日常生きて起きること全て。
両方、内面の変化じゃないかと言われそうだけれども、前者は自身の変化に気づけている場合が多く、後者は無意識のケースだったり、より一時的だったり、刹那的に変わっていったりする。と思う。似ているようで似てない。
この曲で言うと、僕自身の内面は何1つ変わっていないけれども、外面で起こることを一時的に、また勝手に全肯定するような、そんな効用がある。「現実が見れていない。」と言われれば、「はい。そうです。」と思うのだけれども。
そこで、どのような意味合いなのかを考えた時に浮かんだ言葉が
「この曲は、僕にとってテトラポットである。」と言うこと。
僕が限界を越えだすと、必ずこの曲を無意識に選ぶ。
聴いていると、どんなに海が荒れていようと、押し寄せてきようと、何かが浮かび上がってきて、物事を全肯定し始める。そして、荒れた海の水飛沫すら僕には届かない。
昔、三島由紀夫の潮騒を読んで、最も印象に残った文章がある。島と言う特異性のある場所で恋をして、困難を乗り越え、ハッピーエンドを迎える。
純情と人間の醜さの間を取ったようなお話。
主人公が自身が住む「歌島」について語った時のくだり。
ちょっと、身震いがした。島育ちの主人公だからこそ、どこか鎖国的で。社会主義の国民は統治されている時、不幸せに思っていない場合もあると思っていて、同じようなニュアンスを感じ取れた。けれど、狂気に満ちた美しい文章だなと思った。
ただ、自分自身を島とするならば、平和が一番なのである。その為には、悪い習慣や考えは行き着いて欲しくないと思うし、身震いしながらも、主人公の言葉を受け止めることが出来た。
平和が一番だ。その為にはテトラポットを置いていたい。
ぼくのテトラポットは、ウルフルズの「笑えれば」だ。
とにかく部活がしんどかった。
週に1回、週刊少年ジャンプの発売日の曜日だけが休暇である。
ある曜日に努力・友情・勝利を摂取して、1週間を生き抜く。
土日も平日も毎日の帰りは遅く。
未だに友人達と集まると、お前、部活マジで嫌いやったよな。と笑われる。
マイナー競技であるが、全国大会の上位を目指すような部活。
僕はGKだった。僕以外にこの代のゴールマウスを守れる人間はいない。
本当は中学で部活は辞めたかったが、周りの説得で渋々入部。
ある時、憧れの先輩が出来て、背中を追いかけて。
けれど、全く背中は遠のいてばかりで。
真面目に練習すればするほど、空回り。
海は徐々に荒れていく。
さっさと辞めてしまいたい自分
未だ諦められない自分
重圧やプレッシャーを感じる自分
ミスった自身を責める自分
こんな時に「笑えれば」を聴くと、楽になった。
人間は何かを願わないと
頑張れないと思っている。
最後に笑えれば、いいか。
いつか笑い話になるだろう。
切実と関西が混ざり合った、願いを心に仕舞えた。
この曲には期限がないのだ。
一日の終わりに笑ってもいいし
生涯の最後の日に笑ってもいいし
天国で笑っていてもいいし
全ての物事を肯定してくれる曲であり、
荒波から身を守ってくれるテトラポットのような曲。
島に鳴り響く潮騒がまた遠くに行ったようだ。
↓ご紹介
今週もとらねこさんの文豪へのいざないに参加してみました。
お題は「わたしを変えた名曲」。
僕は音楽に関しては雑食だなあと思います。
ポップス、ジャズ、ロック、ヒップホップ、ボカロ、サーフミュージック。
いいな、と思えば、聴き続けます。邦楽、洋楽問わず。
ある意味、好みの懐は広く、知識は浅くのような。
学生の時に拘って聴いていたのは、サンボマスター、Norah Jones、Jack Johnsonでしたね。なーんの共通項もないのですが、恐らく聴いていた理由があると思っていて、また機会があれば掘り返したいなあと思いました。
今回の曲は、学生の時から帰り道によく聴いていて、
たまにカラオケでも歌います。
大学生の時にカラオケで熱唱したら、「熱入りすぎ。何があったの?」と笑われた日のことを思い返します。「ええ曲やん。」とまた意味深に返事したんでしょう。ええもんはええんですよ。
今回も楽しいお題をありがとうございました。