7/3日記 月組Eternal Voiceのこと

 月組のmy楽だった。今回の公演は4回見たけれど、最後までEternal Voiceのストーリーを好きになることができなかった。実際の歴史上の時代をモチーフにしてわざわざオリジナルのストーリーを2024年に作るには、あまりにもいろいろと足りない、ふんわりしすぎだと思った。

 歴史上の時代を使った宝塚オリジナルといえば、ナチス占領下のパリを舞台にしたアルカンシェルは大いに炎上した。ナチスの描き方や性暴力の描き方の甘さを指摘する人が多かった。わたしもそう思った。一方、コロナ禍で舞台の幕をなかなか上げられず苦労したトップスターへの宛書きがしたい、という目的は明確だった。詰めの甘さや危うさはあるがやりたいことはわかる、という印象。

一方、特に炎上もせず、わかりにくいと言う人はいるものの月組生の芝居が概ね好評なEternal Voiceの方が個人的には骨組みの部分から「いやそれはダメでしょ」感が強い。

 個人的にはとくに、虐げられた属性の人を安易に陰謀と結びつけて敵勢力にしていることと、敵キャラの歴史認識の甘さを指摘する割に歴史上の人物の想いとやらを勘や超自然現象で根拠なく決めつけるストーリーであることと、主人公らが終始権威側から虐げられた属性の人を押さえつけているのにも関わらず勲章を授与されることにキツさを感じた。演出家の保守的な思想が透けすぎている。

 カトリック教徒というのは被差別階級である。アイルランド出身者やスコットランド出身者と分布がかぶり、イングランド内では立場が低い。審査法が廃止されるまで議員になれなかった。劇中では審査法廃止ののさらに次の段階のカトリック解放法がすでにあるようだったが、法律が整ったからといってすぐに被差別者の立場が劇的に改善されるかというと全くそうではないのは当時も現代も一緒。敵陣営の彼らはいわばヴィクトリア朝のイングランドのマイノリティである。そういった人々を安易に陰謀じみたものと結びつけて敵キャラにする作品を今の社会情勢で見ると、あまりにも右傾化しすぎじゃないかと呆れる。わざわざ実際に虐げられていた人々ではなく、ファンタジーの世界、フィクションの世界の敵キャラを作ればいいじゃないかと思う。演出家はどうやらトップスターにフロックコートを着せたかったらしい。座談会ではヨーロッパにしよう、なんとなくイギリスになった、という感じだった。そんなぼんやりした認識で「法律はできたけどまだまだ差別に苦しむ人」を2024年に描いたのか。贔屓の退団公演で、登場人物が被差別者に「けしからんバカ議員どもが」などという作品を作ってほしくなかった。

 歴史とは、本来文献をいくつも紐解いてさまざまな立場からの事実を確認するべきだが、だいたいときの権力者の都合のいい記録が多く残るものだ。だから今も過去に支配したりされたりした国家間で認識の違いによる軋轢が簡単に起こる。ロシアとウクライナの問題も、イスラエルとパレスチナの問題も、よくもまあそんなに自分たちにとって都合のいい歴史を主張しますね、という部分が根っこにある。そんな中で、主人公陣営の登場人物が敵キャラに歴史認識の雑さを指摘する。それなのに、主人公はまさかの霊感持ちで、夢で見たとか感じたとか言って亡くなった人物の"想い"を決めつける。しかも、自分たちの都合でさまざまな国を支配した国の主人公が。

 宝塚歌劇団では昨年、1人のジェンヌが自死する事件があった。死人に口なし。それなのに、多くのファンやマスコミが彼女の死に土足で踏み込んだ。はっきり言って、そのことを思い出した。

 しかも主人公は最終的に、国を守った者として勲章を授与される。被差別階級が押さえつけられたことによって起こした波紋をさらに押し込めて元の秩序に戻すことを国を守ることだと演出家は考えているらしい。勲章を授与する女王は「世界はますます複雑さを増していきます。英国は、それらと戦い、常に勝利していかなければなりません」と言う。この時期の英国の戦いとは、ロシアとの土地の取り合いのこと。主人公に何に協力させるつもりなんだと頭を抱えてしまう。

 ついこの間までRRRを上演して、支配者から自分たちの土地を取り戻していたはずなのに、この有様か、と全く楽しく見ることができなかった。どうしてこんなに人を踏み躙る話で贔屓は退団するんだろう。

 わたしは、話が面白くなくても贔屓の歌が上手ければ、立ち姿がかっこよければ楽しい、幸せとは思えない。日常を忘れて、ストーリーも演出もパフォーマンス含めて没頭した上で贔屓が好きだと言いたかった。

 ショーも各シーンやパフォーマンス、演出は素晴らしいが、どうして110周年お祝いムードなんだろうと思わずにはいられなかった。もう潮時なんだ。今日で、贔屓だけでなく、宝塚歌劇団とお別れ。手元にあった宝塚のチケットは全てなくなった。申し込まなくなっても案外ソワソワしたりしなかった。

 それでも贔屓との思い出は輝いているし、大好きだし、感謝している。能登半島被災地の彼女の地元にふるさと納税をした。氷見の刺身を食べながら、れこうみの思い出に浸ろうと思う。

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