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職業画家
雪太たちが古い農家を三百万円で買い取り、この集落に引っ越してきたのはおよそ1年前。大きめの納屋をアトリエに改装し、職業画家として本格的に仕事を開始したのもこのころだった。
妻、静江とは故郷に帰った後友人から紹介をされ、すぐに付き合い始めた。12歳の歳の差だったが、特に誰からも反対もされず、ゴールインした。
二児にも恵まれ、雪太は決心をする。職業画家になろうと。
もともと人物画が得意な雪太は静江をモデルに肖像画を描き、東京で開かれる「全日肖展」に出品し見事入賞。全日本肖像美術協会の会員に名を連ね、そこから仕事をまわしてもらえることになった。
今日もさる老人の引き伸ばした写真を左に起き、肖像画と格闘している。
「ねー、静江ちゃーん。何か飲み物くれなーい?」
そこへ丁度玄関から入ってきたはす向かいの奥さんが、家の畑でとれたきゅうりやニラなど新垣家が作っていない作物を持ってきたところだった。
「あぁ、こんにちは、どうも」
雪太は絵の具だらけになった大きめのエプロンの袖をたくしあげ、まずは奥さんのざるを下からささえる。
「いつもありがとうございます」
やたらとペコペコ頭をさげる雪太。台所へ行き買い物袋のストックのひとつにニンニクやニラなどを放り込んでいくと雪太は奥さんにざるを返しながら言う。
「上がっていきます?」
奥さんは無類の世話焼きだ。仕事がないならいい就職先を紹介してやろうかと思っていたところに本人が出てきた。
「じゃあ、ちょっとだけ」
履き物をぬぎスリッパに履き替え奧に行くと、カウンター式になったシンクについている椅子に腰かける。
雪太は紅茶をいれている。ちょっとした間を見のがさず、奥さんが口火を切る。
「何か困っていることはございませんの?例えば……」
「例えば?」
「お仕事のこととか」
「むっふふふ」
雪太が思わず笑う。
奥さんが訝しげにしているので、雪太は紅茶をカップに注ぎながら、逆に質問する。
「やはり昼間っから家にいると無職となりますよね?」
「ま、まあ普通は……。も、もしかしたらいまはやりのリモートワークっていうお仕事を……」
「そんなデジタルな。もっとアナログです」
「も、もしかして絵描きさん?絵の具だらけですし」
「ん~ぎりぎり当たりです。観ていきます? よかったらアトリエにご案内しますよ」
奥さんは嬉々として台所の横の勝手口から納屋にスリッパのままついてきた。
「これが僕の仕事場です」
雑然としたアトリエには数枚のキャンバスが並び、イーゼルには今しがた描いている老人の肖像画が立て掛けられていた。
「まぁ!これを!新垣さんが!」
あまりの出来のよさに奥さんは顎を外しそうだ。
「画家といっても好きな絵を描いているわけじゃないんです。肖像画家といいまして、ご依頼主様の肖像画を描くんです。写真をもとに描いているんで楽といえば楽、写真から外しそうだとなると苦といえば苦の時もありますね」
「ふ~ん」「へ~」「ほ~」
奥さんはまだ理解しきれていないようで、おっかなびっくりで雪太の説明を聞いている。
雪太はまあ、これでいいと思った。こういう田舎の集落で無職の男が真っ昼間から家にいたりしたら気味悪がられるのも道理だ。これでこの奥さんがスピーカーになって、集落中に自分の本職を伝えてくれるのは逆にありがたい。
奥さんがやっとわれに返り雪太になぜかひそひそ声で聞く。
「このことは人に話してよろしいことですのん?」
「どうぞ、どうぞ、かまいませんよ。いやなんなら集落の皆さんに伝えてまわってほしいくらいですよ」
「わかりましたわ」
なぜか使命に目覚めたシスターのような凛とした顔をして、奥さんはアトリエから台所へ戻った。
紅茶をきゅーっと飲み干し、「美味しゅうございました」と、言葉遣いも変わっている。
「新垣先生の本来のお仕事を話すと皆驚くことでしょう」
先生に昇格している。雪太はクスリと笑う。玄関で靴をはきながら奥さんはにこりと微笑み帰って行った。
「さて、と」
エプロンを脱ぎトイレで用をたし、雪太も紅茶をきゅーっと飲み干し、あと一時間頑張ろうと思った。それからは畑仕事が待っている。
実際協会にもっと肖像画の仕事を要求して、稼ぎを上げることも可能だが、畑仕事も大事な業である。
全てが無理のないように。
大事なのはバランスなのだ。