『野生のしっそう』つながり3
反転
『野生のしっそう』おもしろい。
きのう(4/2)左のページの下に、気になる痕を見た。いまさっきも左のページの下に出てきた。ふたつ目で、気にしないではいられなくなった。裏をよく見ると、人の脂と爪の痕跡のよう。気持ちが悪くなった。読んでる視界の端で煩い、煩い、煩いよ、だめだ。消しゴムで気分だけでも「汚さ」を取り去りたくてごしごしごしごし。
こんな「つまんないこと」気にしてる。余程ひまなのか?なんて考えも浮かんできて、ここ数日考えるともなく考えてたことにつながった。なぜかわたしには見えるらしいものたちのこと。
わたしはそれらを無視できなくて「直そう」とする。だって、向こうから来るんだもの。「汚い」「役に立たない」「無視されている」ものたちが来る。わたしを含める多くの人たちが好まないものたちがわたしに寄ってくる。あんまり楽しいお役目じゃないなー。嫌々ではないんだけど、ほんとに嫌なことはしないわけだから。でも、うれしくはない、仕方ないから、苦笑い。
母はわたしをごみ捨て場にした、母はわたしを無視した、親がめちゃくちゃにしたところ、現状回復した、破壊された自分を直し直ししてきた、いつもわたしは後始末、後片付け。一生がそれで終わるのか?
一生それしかできないのか?
この前、駅へ行くとき「ごみ拾い範囲」を通りかかったら、ファストフードの、食べたカラが袋ごと幾つも転がってた。あしたは丁度ごみ出しの日だけど、もうゴミの袋いっぱいだから、あしたはこれ拾わなーい、知らなーい、と思って通りすぎた。わざわざこれ用の袋を持ってきてまで拾いたかない。戻ったときもそこにそのままあった。その夜、緊急事態発生で大掃除をする展開になり、大きなゴミの袋が必要になった。
何かをしまってあった45リットルの大きなゴミの袋があったのを思い出した。当分使い道がなさそうだった袋が活用される機会が訪れて、その上ファストフードの食べガラを楽に入れられる余裕まである。感心して笑ってしまった。やっぱりわたしの役目だったか。
で、『野生のしっそう』と、床に落ちていた品を拾って戻した若者の姿で、わたしは自分がしていることの価値を知り、自分の価値を知ることになったわけだ。