え、子どもって人権ないんだ・・・!
国際子ども年
むかしむかしそのむかし、小学校の灰色のかったい校庭に並ばされた子どもたちの中に、子どもには人権がない、と知った子がおりました。
それはわたし、と雀が言ったーーではなくてーー1979年の「国際児童年」は印象的だった。「子どもの人権」と「国際子ども年」としてずっと頭の隅にあって時々考えてきた。
「ユニセフの歴史」⇩によると、「国連人権委員会の中に『子どもの権利条約』の作業部会が設置。」とあるから、今年(1979)は「国際児童年」ですよとテレビから聞こえてきたのかな。そのアナウンスには「子どもの権利」云々が入っていたのだと思う。その程度の事だけど、それで「子どもって人権なかったのかぁ・・・!」と子どもは理解した。
当時のわたしが「人権」ということばを知っていたかさえあやしいけど、大変大事な、あってしかるべき何かが剥奪されているのが子どもというものらしい、と理解したのだった。
その理解は正しかったようだ。
今朝(9/17)、学校でのおかしなニュースをふたつ読んでしまった。おかしいというのは教員、教育委員会の大人たちのこと。教育に携わっている大人がみーんなみんなおかしいだなんて言いませんが。
「生徒に保健室登校が認められていた」のを知ってたらあのセリフは言わなかったけど「認められていない」生徒になら言うの? 叱責するの?
「どうしたの?」って聞いたの?
「どうしたの?」ってたずねたら、「あのさぁ」って生徒が話し出すような関係は、もちろん築いてないだろうな。対話を知らないんだよ。上から下にの命令ージョウイカタツーしか知らないという悲惨。
「指導の意図がうまく伝わらなかった」?
生徒が誤解したって言いたいんですか?
「誤解を招いたとしたなら」ってやつですか?
国語のテストだったらこの人たち0点かな?
日本の子どもの読解力が大変?
「顔も見たくない」「この世から消えて」は言ったと認めたのか?
6年生全員に行ったアンケートの「一部を否定」か。気になる。
学校は教員のストレスチェックしないのか。あんなのバカらしいようだけど、少しは自分の状態に自覚を促すと思うが。産業医はいないのか。「顔も見たくない」「この世から消えて」と言って「生徒の胸ぐらをつかんだ」としたらすこぶる暴力的だ。自分で自分はおかしいと感じないのか? それほどまでに子どもへの暴力になれてしまっていた?
町山智宏さんのツイートもゆゆしかった。
こんなもの出すくらいなら「出さない」って言え。こんなもの出して「出しました」って澄ましてるのかと思うと恐ろしい。この件を「道徳」で扱って生徒たちに話し合ってもらうといい。教育委員会のふるまいは人倫にもとるって意見は出ると思う。
日本は1994年子どもの権利条約批准
日本は子どもの権利条約に批准はしたけれど本気で取り組んでいない。これは断言してよいと思う。
子どもの権利についてわたしは市民講座で学んだ時期があった。川崎や、忘れてしまったけど幾つかの自治体は子どもたちと大人たちが意欲的にに学んで、協同し、豊かな実りを分かち合うところまでいっていた。
その講座で子どもの権利条約を分かりやすく教えてくれるカレンダーをもらった。絵も、世界の子どもの作品だった。わたしには本があったし、身近に子どももいないから、カレンダーを死蔵するなー、もったいないなーと思った。なんとか子どもさんたちに見てほしいと考えて、自分が卒業した小学校に掲示板があったことを思い出した。その掲示板で、ベトナム戦争の戦禍を逃れようとする人たちの報道写真を見た。「ベトナムのダーちゃん」という絵本もそのころ読んだ。泣きすぎて頭が割れそうに痛くなった。以来、ダーちゃんの本は開いていない。
あの掲示板に貼ってもらえば見てもらえる!
早速学校へ行って話を聞いてもらった。
返事は、そういうことは「教育委員会に言ってください」だった。がっかりしたが、教育委員会がどこにあるのか調べてすぐ向かった。とにかく行動力がてんでないのにあのときは別人のようだった。
教育委員会に着くと若いお兄さんが対応に出てきた。わたしの提案を聞いたその人の顔が輝いた。小学校が許可しなかったと聞くと腹が立ったような顔になった。すぐ学校へいきましょう。上司に話して来ますから待っててください、と言ってーーなかなか戻ってこなかった。
やな予感。
戻ってきたときのその人は別人だった。
子どもたちが自分を大切にし、周りの人を大切にする手助けをしたくない、それが「教育者」たちの意思、だとよくわかった。
カレンダーは子どもたちの目に触れることなくうちで使命の半分を果たした。
子どもたちと「子どもの権利条約」を学べば、大人が自由になれると思う。
大人こそ大きな恩恵を受けるんじゃないかな。子どもは「教導」する対象であり、子どもから学ぶことなどないと信じてるような人ほど、子どもたちと学べば。
市民講座で子どもの権利条約を学んだときの記憶ってほぼないけど、必要だったけど自分にはなかったものを、具体的に教えてもらったと思う。当時はエンパワーメントってことばを知らないけど、わたしあの講座での学びで自分をエンパワーメントしてたのね。だから行動力もあったのか。なるほど。
「子どもの権利条約」4つの原則⇩
不幸な大人は子どもが生き生き生きるのを憎む
子どもが生き生きするとわたしの母親は目ざとく見つけて、子どもの手から宝を叩き落として踏みつけ粉々に破壊した。この人は「おまえができなければ」とか「子どもたちの為に」とか始終身の不幸をかこっていた。だから不幸の自覚はあった。
この人は実母(わたしの祖母)からの、よく死ななかったな!という虐待を生き延びた人だ。幼いわたしに鬼ばばあの話をどれくらい聞かせただろう。その同じ口で「わたしはおばあさんを赦してるよ」とも言って澄ましていた。自分が非道な目に遭わされたことの事実は保持しつつ、それによって怨恨を残してはいないーーそれによって自分は害われていない、ということにしたのだと思う。大胆な嘘だ。傷から目を逸らさなければ彼女は痛みで生きられなかったのかも知れない。だとしても、とんでもない自己欺瞞をつづけてくれたものだ。もし、彼女が、自分の真実に向き合って、自分の不幸は実母から来ているし、実母を憎んでいると認める勇気を持ったなら、子どもの幸せを見つけ次第破壊したりはできなかったろう。
この人は子どもが虐待されたニュースを聞くと怒って「子どもを産んだからって親じゃないんだ! 国家試験で免許に!」と必ず言った。
お母さんはその試験に受かると思ってるのかな?とわたしは不思議でならなかったけど、きいてみたかったけど、どんな目に遭うかわかっていたからきかなかった。
あと、離婚した女性が子どもを置いて家を出たというのを、考えられない、よくもそんな非道なことができるものだと、その女性を心底軽蔑しているふうをした。あんたたちを置いていかないお母さんは偉いでしょう、感謝しなさい、とは言わなかったけど、言下に感じつつ、わたしはわたしの疑問を追っていた。そうかなぁ、離婚して子どもを連れて行かなかった女の人はそんなに悪いんだろうか? お父さんのところに残った子どもが必ず悲惨とは限らないんじゃない?
だってわたし、お母さんといて、こんなに苦しい・・・
わたしの母親のような自己欺瞞人は腐るほどいて、教育界にも少なからずいて、生き生きしてる子どものいのちの躍動を殺ぐことに真面目に取り組んでいるんだろうな。自分が生き生き生きることと引き替えに親を守ってるんだから、生き生きしてる人を見たら、憎いだろうさ。
子どもたちが自ら力をつけて、存分に生きていくために役に立ちそうな情報を届かないようにして、子どもたちを自分と同じ闇に閉じ込める。
それを「善」だと信じて行う。
ゾンビがうようよ。ゾンビが真人間になるのを待ってたら人生終わっちゃうから、子どもさんたちはもうゾンビは見限って、どんどこ自分の人生を生きていってーーー
この若者は「~党に投票して」と活動したんじゃない。18歳から選挙で投票できることになったから、自分で選挙制度を学んで、学んだことをポスターにして、学校の掲示板に貼った。
知らないから自分で学んだのに。
子どもというのは、自分の頭で考えて、自分で学んで、自ら行動したらダメなんです❗
先生をはじめ目上の方の指示を遂行すればいいのです。
疑問を持って自分の頭で考えたりすると、批判的思考が身に付いてしまって、そんな汚れが着くと、素直さがなくなります。
素直でない人は学ぶことができませんからね。
はい、大人になりました。
このごろの若いのは、指示待ち人間で使えないね。
自分で考えて動くということを知らないから困る。
いい面の皮。
(「あの人たち」のことばで)「粛々と」「丁寧に」日本が子どもの人権に前向きに取り組んでいたら、この件もこんなに困難になっていないと思う。
🌟ピンチはチャンス🌟