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「顕神の夢──幻視の表現者 村山槐多関根正二から現代まで」 川崎市 岡本太郎美術館 2023.4.29-6.25

縁あって「顕神の夢──幻視の表現者」展へ

 ときとして土俗的な印象を与える作品が出来(しゅったい)しますが、それは、近代化により捨象されず根強く残った心情の証しです。

「顕神の夢──幻視の表現者」図録 はじめに 主催者

出口なお「うしとらのこんじん」/「お筆先」など、はじまりの方はおだやかな心持ちで眺めていた。
4分の1くらいのところで、急激に疲労して空腹になり、だめだ、だめだ、と逃げるように先へ行ったら、円空さんの小さな十一面観音さまが目の前に!
ほっ、と呼吸が楽になった。手を合わせた。
それから座れるところがあったのでそこへ行き、座った。一畳くらいで背もたれはない。深く沈みこんでしまい、座っても楽ではなかった。これじゃ立つときもしんどいだろうなー。できればひっくり返ってしまいたかった。
いったいどうしたことか? 自分の状態に説明がほしくて考えた。
「圧」が凄い、なんか「圧」が凄いからエネルギー使ったんだな、ということに落ち着いた。
立ち上がれそうになるまでそこにいた。
立てる気がしたら難なく立てて、それからはなんでもなかった。素通りしたところにも戻れた。

「顕神の夢」ってなんだろう?

図録から鎌田東二氏のことばを拾います。
「『臣安萬侶言す。夫れ、混元既に凝りて、氣象未だ效れず、名も無く爲も無し。誰れか其の形を知らむ。然れども、乾坤初めて分れて、參神造化の首と作り、陰陽斯に開けて、二霊群品の祖と為りき。所以に、幽顕に出入りして』」
「問題の箇所は、『顕幽に出入』するという部分である。ここには、『顕』の世界と『幽』の世界に分かれていて、その両方を行き来することができるという世界観がある。」
「分かりやすく言えば、『顕』はこの世で(『古事記』の場合では『葦原中国』)、『幽』はあの世(『黄泉国』)である。」
(この世とあの世を行き来できていたので、火の神を産んで黄泉国へ行ってしまったイザナミを追いかけてイザナギも黄泉国へ行きました、そこで、)
「『見るな』のタブーを破ったイザナギは妻の体の変容に耐えきれず、穢れたものを見てしまって逃げ帰り、『黄泉比良坂』(『日本書紀』には『黄泉平坂』)を『千引石』、すなわち千人がかりで引くほどの大岩で塞いで、『顕幽出入』をできなくした。これが『顕幽出入』から『顕幽分断』への大きな変化である。」
「そこで、『顕幽出入』するようなことは特別なこととなり、巫女やシャーマンや霊能者など特殊な能力を持つ人たちだけの独占行為や経験となってしまった。」

で、わたしはこう受け取ったのです──だけれども、危機に次ぐ危機の今世紀、「顕幽出入」の力を特別な能力者たちだけのものにしておかないで、取り戻そう、と鎌田東二氏は呼びかけていらっしゃるんだな、と。

そうした「危機」を打開し、突破していくためにも、心や魂の扉を開き、霊性の奥底を覗き込み、もう一度「顕幽出入」の往来を遊びながら、世界開顕の夢と希望と可能性を望み見る必要があるのである。本展は、そのための素材と叡智をたっぷりと秘匿し、あなたを根底から賦活するだろう。

「顕神の夢──幻視の表現者」図録 「顕神の夢」という「顕幽出入」の時代 鎌田東二

佇む彫刻──「久延毘古」佐々木誠──くえびこの顔に見入った。ガラス越しではないのでかなり近くまで寄ることができた。
あ、叔父さんの──母の妹の夫が亡くなり、一週間前にその顔を見たばかりだった。
心底から楽になった人はこんな無防備な顔になるのかなと思った。頑是ない、子のような、無心な。怒りも悲しみも、もう叔父さんをとらえてはいないんだね、と思った。
その顔がここにあることが不思議で、眺めた。

広いところに出た

図録で見ると、ぱっ、と開けたあの感じがない。図録の方が魅力的な作品も数々ある中で。
あの輝く黄色の環っか、輝いてないし、こんなに小さかった?
気に入ったものは大きく見えるの?
馬場まり子「海から見た風景Ⅳ(月は東に日は西に)」(145×180cm)が目に入って──あ、好き、と思った。

⇧上から3番目、下から2番目の画像、右端の絵が「海から見た風景」


「顕神の夢」展の前日たまたま見た動画

龍と鬼の話、カウリ・ツリーという木で作った船での航海の話、とても興味深かった。南半球のニュージーランドから黒潮に乗って与那国、さらに和歌山→茨城→カリフォルニア→南米→イースター→ニュージーランドと、ぐるぐる巡って交流してしていたという。17分くらいから航海の話がはじまる。


幻視の表現者 Lewy mamiさん


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