原色の絵
1997年10月13日(月)
母がせかせかしていた。部屋はごたごた。母が台所に立つとわたしは子どものころのように着いていった。慕わしいからではない。母はこどもに手伝わすことをしなかった、そして働きもせずぶらぶらしている第一子が業腹でならなかった。だからこどもは母から少し離れて立って、母の背中から発している怒り見つめ、音の無い怒声を聞いていた。その再現。
子どものころと同じように流しの前の母の顔は見えなかった。
母は洗いものをしながら絵を見ていた。わたしが描いた絵。
絵の右側に赤錆色でことばを記してあった。
絵は、ふくろうが着地するところを正面から見てい原色の絵。赤──ふくろうは赤で、胸の羽は色とりどり。まんまるの目。
ことばも原色「わたしはできない」──無力感そのまま。
母が絵を生ごみの箱に捨てた。
何も感じなかった。
でも母が原色のことばを音読したときは気詰まりだった。悲しいことを「悲しい」と表すのは芸がないと母はバカにしているから。
「『できない』ってわかってるんだったら、もう『自分の生を生きる』なんて、ジタバタしないんだね」
辛かった。
諦めることができないから苦しくて、無力感なんだから。
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