「魂はおいしい」のだそうです。 4
自分に代わって誰かに排泄をしてもらうことはできないし、自分に代わって誰かに食べてもらうこともできない。だけど、自分が感じたくないものを「親密な人」に感じさせることは、可能。自分の厄介な荷物を押し付けて身軽なふりをすることは、可能。
おじさんは、姉の話もした。母親は姉を口汚く罵り、殴ったそうだ。母親が殴りすぎたせいで姉は終生治ることがない重大な障害を負ったと、吐き捨てるように語った。
まるで姉を憎んでいるようで、ぎょっとした。
弟に、母親はどうしていたのか、おじさんは話さなかった。わたしもたずねなかった。いまなら質問する。でも、おじさんは質問をしないからわたしに話したのかもしれない。
弟、男の子は、母親から日常的に罵倒され殴られることはなかったかな。
弟は見ないようにしたかも知れないが、姉が殴打されるその音は耳を打っただろう。母親が喚く醜いことばを聞いただろう。毎日、毎日。
おじさんが連れ合いに言及したとき、わたしはまたぎょっとすると共に非常に不快になった。なんて言ったかは思い出せないけど、おじさんの顔に張り付いた神経質な怯えの下から、狡い汚いものがのぞいた。
思い出した。
「君と話してるのを女房に見られたら大変だ」と言ったんだ。
呆れた。気持ち悪かった。もし妻が悋気で般若になったら、自分から話しかけたとは言わないで「この女が悪いんだ!」って言うなと思った。
話したのはこれが最後だ。
「かわいそうだ」って、息子のこと、「かわいそうだ」って言える状態でいる限る、おじさんは安泰なんだろう。
逃げ切るだろうか、死ぬまで。
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