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同志少女よ、敵を撃て
私は、小説というものをあまり読みません。読めません。
オーディブルで次に何読もうかと迷っていると、
同志早坂氏が
「同志少女よ、敵を撃て」に心打たれたとの発信。
私は読む(聴く?)決心をしました。
どうせ飽きても諦めがつくのがAudibleの良いところ。
片道1時間半の道中で聴き始めました。
Audibleですべて読むと約15時間とのこと。
往復で3時間と考えると、大学へ5往復すると聴ける計算。
本だったら読まなかったのだろうが、耳からだとスルスルと入ってきます。
セラフィマ、イリーナ、アヤ、ヤーナ、シャルロッタ、オリガ、ターニャ‥‥とお人形のような名前が次々に出てきます。
舞台は、第二次世界大戦中、旧ソビエトとドイツの戦争の最中。
あるべきはずだった人生を戦争によって奪われ、イリーナに「生きて戦うか、ここで死ぬか。」と問われ、戦うことを選んだ女性狙撃小隊の個々が戦争から何を失い、何を思い、考え、変わっていったのかが描かれていました。
戦争小説と聞くだけで躊躇していましたが、一人一人の登場人物の感性が克明に描かれており、重くなりすぎない印象でした。
印象に残ったこと
・戦争によって、人間は人間としてあるべきものを失っていく。
・その人を憎む気持ちも出てくる。しかし、周りの環境(戦争)がその人の言動、思想を作り上げている。その人もただ一人の人間の生き様があったはず。
・人間は環境に適応しようとする。戦争にも適応していく。はじめは信じられなかったような人の命への価値観が戦争によって捻じ曲げられていく。
・セラフィマの本当の敵は「戦争」であり「女性を蔑む思想」だったのだろう。
・身体の傷だけではなく、心の傷も深い。戦争を終えても、その傷はなくならない。
・戦争による精神障害への補償は手薄なままであった。
セラフィマが戦争から学び取ったことは、800m向こうの敵を撃つ技術でも、戦場で露になる究極の心理でも、拷問の耐え方でも、敵との駆け引きでもない。命の意味だった。失った命は元に戻ることはなく、代わりになる命もまた存在しない。
軍の看護士ターニャの言葉が深かった。
「治療をするための技術と治療をするという意志があたしにはあり、その前には人類がいる。敵も味方もありはしない。たとえヒトラーであっても治療するさ」
「もし本当に、本当の本当にみんなが私みたいな考え方だったらさ、戦争は起きなかったんだ。だから、ヒトラーを治療したら、そのあとで殴ってやりたい。なんでこんなことをしたかって聞きたい。」
「もう戦争は終わる。そしたら平和の時代は終わらないさ。世界中が戦争の恐ろしさを嫌というほど知ったのだもの。きっと世界は今よりもよくなるよ。」
奇しくも、この本が世に出て間もなく、
ロシアによるウクライナ侵攻が始まりました。
ターニャの言葉にある種の虚しさを感じます。
ターニャとセラフィマは80年後の2023年の現代をみて何を思うのだろうかと考えました。