《二十八. 突然の終幕 》
雷次の映画人生は、まだまだ続いていくはずだった。
しかし、終焉は突然に訪れた。
『神狩り犬』が公開された2ヶ月後の10月、雷次は新作の準備に取り掛かった。
「今度は躰道(たいどう)を取り入れたアクション映画をやるぞ」
雷次は百田に告げた。
「タイドウ?」
百田は聞き慣れない言葉に首を捻った。
「そういう武道があるんだよ。俺も勉強不足で、最近になって知ったんだが、面白い武道でな。演舞を見て、これは使えると思ったんだ」
躰道とは、沖縄出身の祝嶺正献が1965年に創始した武道である。
防御においては、空手のように相手の攻撃を受け止めるのではなく、かわす動きが基本になっているのが大きな特徴だ。攻撃では、飛び跳ねてからパンチを放ったり、相手の攻撃を避けるために倒れ込みながら蹴りを出したりと、かなりアクロバティックな動きが見られる。
また、前宙やバック宙のように器械体操の動きをしながら攻撃したり、プロレスで言う飛び付きヘッドシザース(相手の頭を自分の足で挟んで投げる技)や柔道のカニ挟み(相手の両膝を自分の両足で挟んで倒す技)のような技も使われる。躰道の試合を見ると、奇襲攻撃の応酬といった様相を呈している。
「とにかく動きが派手で、見栄えがするんだ。もちろん選手は見栄えを考えて戦ってるわけじゃないが、あれは映画的な武道だよ。是非とも取り入れてみたい」
雷次は熱っぽく語った。
「へえ、俺は見てないから分からんが、説明を聞くと、好奇心はくすぐられるな」
「そうだろう。ただし今回は、俺は主演しないぞ。さすがに、あれを今から稽古して身に付けるのは無理だ。俺も、いい歳だからな。それに、あの武道は小柄な人間がやった方が見栄えがする。小さい主人公が、アクロバティックな技を使って大柄な連中を倒すんだ。俺が出るなら、悪役だな」
「だけど、聞いている限り、やるのは簡単じゃなさそうだな。それなりにアクションの出来る奴をオーディションで選ぶとしても、そいつに技術を会得させるには、かなりの時間が掛かるんじゃないか」
「だから今回は、躰道の武道家を起用しようかと考えているんだ」
「武道家を?そりゃあ、それなら技術的には問題が無いだろうけど、芝居はどうする?セリフなんて棒読みになっちまうぞ」
「だから喋らせない。何かの理由で口が利けないか、ものすごく無口か、そういう設定にする。それと、あまり演技力が要らないような内容にするつもりだ」
「もう話の筋は考えてるのか」
「今回は、シンプルな話にしようと思ってる。とにかく躰道を使ったアクションをアピールすることを重視したいんだ。まだ詳しい内容までは考えてないけど、ハリウッドの肉体派俳優がやるような、単純明快な話をイメージしてる」
そんな会話があったのが、10月21日のことだ。
その翌日、雷次が自宅で夕食を取っていた時、竜子は彼が顔をしかめるのに気付いた。
「ねえ、どうかした?」
「いや、妙に肩が重くてさ」
雷次は左の肩を押さえながら言った。
「今頃になって、『神狩り犬』でハードな仕事をした疲れが来たのかな」
「後でお風呂に入って、揉みほぐしたら?」
「そうだな、そうしよう」
雷次は食事を終えると、書斎へ向かった。その時は、単なる肩凝りのように、竜子には見えた。
竜子が洗い物を済ませた直後、書斎からドスンという大きな音が聞こえた。急いで赴いた彼女がドアをノックしても、雷次からの返事は無かった。
ドアを開けると、雷次が床にうつ伏せで倒れていた。竜子が駆け寄ると、雷次は苦悶の表情で気を失っていた。その時点で病名は分からなかったが、彼は急性心筋梗塞を発症していたのだ。
すぐに竜子が救急車を呼び、雷次は病院へと緊急搬入された。医師が懸命の処置を行ったが、雷次は不整脈を起こし、心停止に陥った。
1986年10月23日、午前2時4分。
佐野雷次は45年の生涯を終えた。
あまりにも唐突な死であった。
それまで健康面では何の問題も無く、タバコも吸わず、酒もたしなむ程度だった。持病は無く、映画のために体も鍛えていた。
ついさっきまで元気そのものだった男が、あっけなく逝ってしまったのである。
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雷次の葬儀は、親族と少数の近親者だけが参列して行われた。それは雷次の遺志を汲んだものだった。
その年の5月、雷次の父・亀太郎が肺癌で死去していた。葬儀の後、雷次は竜子に
「俺が死んでも、葬式は身内だけでやってくれよ。ファンや映画関係者を大勢集めたりするのは勘弁してくれよな」
と告げた。
「何よ、もうすぐ死ぬみたいなことを言って。まだまだ元気じゃないの」
「そりゃあ、そうだけどさ。でも親父が死んでさ、人間なんて、いつ死んでもおかしくないんだよなあって、しみじみと思ったんだ。だから今の間に、俺の葬式のことも頼んでおこうって。もし映画関係者で葬式に来たいって奴がいたら、『俺を悼む気持ちがあるなら、面白い映画を作れ』って言ってくれよな」
「でも、いつ死ぬか分からないというのなら、私が先に死ぬかもしれないのよ」
「そうか、言われてみれば、そうだな」
そういうやり取りがあったのだ。
雷次が自分の死期を予測していたとは思えないが、その言葉を竜子は覚えており、約束を守ったのである。そして映画関係者に対しては、ちゃんと
「俺を悼む気持ちがあるなら、面白い映画を作れ」
というメッセージを発信した。
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今、あの世にいる雷次は、邦画界を眺めて、どのように感じているのだろうか。
「面白い映画をたくさん作っていて、元気があるなあ」
と思っているのだろうか。それとも
「つまらない映画ばかりだ。俺が現世に戻って面白い映画を作ってやりたい」
と歯軋りしているのだろうか。
ひょっとすると、彼は市川雷蔵や勝新太郎、田宮二郎といったスター俳優たちを起用して、映画を作っているのかもしれない。
そして、あの世にいる大勢の観客を楽しませているのかもしれない。
[完]