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《三. 人造人間と侍 》

 『弥太郎笠』と同じ年の12月、雷次は『お坊主天狗』という作品を撮っている。これも『弥太郎笠』と同じく子母沢寛の小説が原作で、1954年と1962年に、東映が片岡千恵蔵主演で映画化している。
 雷次が手掛けた大映版では、勝新太郎が主役の浪人・番匠谷吉三郎を演じた。

 デビュー作と同様、雷次はチャンバラにワイルドな味付けを加えた。それだけでなく、新しい演出も取り入れた。
 ある殺陣のシーンでは、カメラがグルリと回り込み、主役の背後から撮影するという手法を使った。今で言うと、体感アクションゲームのような視点からの映像にしたのである。
 また、あるシーンでは、立ち回りを大胆に省略した。主人公が刀を構えた後、カットが切り替わると既に敵が倒れているという描写にしたのだ。

 撮影は順調に進行していったが、そんな中で、雷次は何となく満ち足りないものを感じるようになった。
 「どうした雷次、悩み事でもあるのか?」
 雷次が撮影所で考え込んでいると、呼び掛ける声がした。同期入社の百田八郎だった。
 「ああ、ちょっとな」

 大卒の百田は年上なのだが、雷次は同期ということで、タメ口で話した。入社当時は雷次を不快に思う部分もあった百田だが、すぐに親しくなった。彼もまた、雷次のキャラクターに惹かれた一人であった。
 「何も悩むことなんか無いだろ。監督デビューして、もう二作目を撮ってる。羨ましい限りだよ」
 百田は、まだ監督デビューを果たしていなかった。

 「それはそうなんだけど、今後も、こんな風に映画作りが進んでいくのかと思うと、ちょっと嫌なんだよ」
 「おいおい、二作目にして、もう監督業が嫌になったのか」
 「そうじゃない。監督の仕事は楽しいんだ。新しいチャンバラも、周りからの評判は悪くないし」
 「そうだろ。俺の周りでも、お前のチャンバラは面白いって言ってるぞ」

 「でも、俺の監督作の見所って、それしか無いんだよな。最初は新鮮だろうけど、いずれは飽きられる。だから俺は、チャンバラだけじゃなく、お話の部分でも新しいものをやりたいんだよ」
 「前作も今回も、何度か映画になってる話の焼き直しだから、そう感じるだけじゃないのか」
 「いや、それだけじゃない。今回の話だって、面白くないとは言わないけど、今までの時代劇のパターンだ。そうじゃなくて、何か殻を破ったような、そういう話が俺はやりたいんだよ」

 「雷次、もしかして殺陣だけじゃなくて、自分で脚本もやりたいのか?」
 「いや、そこまでは。自分に文才があるとは思ってないし」
 すると百田は顎に手をやり、少し間を取った後、
 「なあ、それなら俺の本を読んでみてくれないか」
 「んっ?俺の本って?」
 「実は俺、なかなか監督させてもらえないから、脚本を書き始めたんだよ。そっちの方で、デビューする道を探れないかと思ってさ。元々、学生時代は文芸部員だったし、文章には少し自信があるんだ」
 「へえ、そうなのか」
 雷次は百田から脚本を渡され、家に帰って目を通した。

 「どうだった、俺の本は」
 次に百田と会った時、彼は期待と不安の入り混じった表情を浮かべながら尋ねた。
 「文章力も構成力も、素晴らしいよ。お前、ひょっとすると監督より、脚本家の方が向いているかもしれないな」
 雷次は言った。
 「そ、そうか。そんなに良かったか」
 百田が顔をほころばせていると、
 「だけど正直、自分が撮りたいとは思わなかった」
 と、雷次が静かに告げた。

 バッサリと切り捨てられ、途端に百田はガックリと肩を落とした。
 「そうか……面白くないのか」
 「面白くないとは言ってない。他の大映の作品と並べても、遜色は無い。映画化されても、おかしくない。ただ、今までの時代劇のパターンなんだよ。前も言ったけど、俺はそういうのを打ち破りたいんだ」
 「お前の言う、今までと違う話ってのは、どういう話なんだ?そんなの、そう簡単に作れないだろう」
 やや責めるような言い方を百田がすると、
 「だから、俺たちで作るんだよ」
 「俺たち?」

 「さっきも言ったように、お前には優れた文章力と構成力がある。俺がアイデアを出すから、それを脚本にしてくれ。二人で協力して、面白い話を作るんだよ」
 「いや、だけど」
 百田は戸惑いの表情を見せた。
 「何だよ、不満なのか」
 「不満じゃないけど、まだ、お前のアイデアが面白いかどうか分からないし。どんな内容なんだ?」
 「よし、じゃあ話そう。実を言うと、昨日の夜、思い付いたばかりなんだ」
 ここで雷次が話したアイデアは、彼の監督三作目『妖民の島』として世に出ることとなった。

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  『妖民の島』

  〈 あらすじ 〉

 浪人・御子柴十郎太(本郷功次郎)が乗った船は時化に見舞われ、本土から遠く離れた太平洋の孤島に漂着した。
 船客たちが島を歩いていると、農作業をしている百姓夫婦と遭遇した。船客たちが話し掛けても、夫婦は無表情のまま何も喋らず、まるで生気が感じられなかった。しばらく行くと別の島民にも出会ったが、やはり同じような様子だった。

 実は、島民は全て、島の支配者である久我能山(伊達三郎)が死体を使って生み出した人造人間であった。
 漂着者の存在を知った能山は、人造人間に抹殺するよう指令を出した。他の面々と別行動を取っていた十郎太は、百姓に襲われた。彼は相手が人造人間だと知らぬまま、刀を抜いて撃退した。

 他の船客と合流しようとした十郎太は、人造人間に追われる美女・千代(高田美和)を助けた。彼女は能山に捕らわれていたが、隙を見て逃げ出してきたのだ。千代の話で島の秘密を知った十郎太は、人造人間たちを倒しながら能山の本拠へと向かった……。

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 『妖民の島』のアイデアの発端は、『弥太郎笠』を撮影する以前まで遡る。雷次が今成と共に、格闘術を取り入れたチャンバラを作っていた頃だ。雷次は殺陣を変えるだけでなく、チャンバラに新しい武器を持ち込みたいという考えも持っていた。

 「チャンバラって、基本的に刀か槍か、その二択でしょう。もっと他の武器を敵が使ったら、変化が付けられると思うんですよね」
 「他の武器って、例えば?」
 今成が尋ねると、
 「それが難しいところなんですよね。日本が舞台だから、海外の武器を出すわけにはいかないし。思い付いた武器は幾つかあるんですけど、使う人間が限定されるんですよね。最初に思い付いたのは薙刀ですけど、女性が使う武器ですからねえ」

 「主人公を女の悪玉と戦わせるのは、現実的ではないな。そんな役が演じられる女優は、見つからへんやろ」
 「あと、鋤とか鍬というのも考えたんですけど、農具を使うからには、敵は百姓になるんですよね」
 「侍やヤクザが百姓と戦ったら、弱い者いじめにしか見えへんな」
 「そうなんですよ。それは、絵としては面白いと思うんですけどね。だから、そこで考えが止まってるんです。何か、いい案が思い付けばいいんですけどねえ」
 しかし名案は浮かばず、その時は、そこで止まっていた。

 だが、雷次は、その企画を完全に諦めたわけではなかった。他の様々なアイデアを考えながら、いつか実現したいと思い続けていた。
 雷次は勉強熱心で、面白い映画を作るために、様々なジャンルから情報を仕入れていた。彼は多くの映画を観賞し、小説を読み、新聞に目を通し、当時は大人が読むものではなかった漫画までもチェックしていた。
 そんな中、彼は一冊の小説からヒントを得たのだ。

 「百田、お前、『吸血鬼』っていう小説を知ってるか」
 思い付いたアイデアについて百田から訊かれた時、雷次はそう言った。
 「いや、知らない」
 「リチャード・マシスンっていう作家の小説だ。ウイルスが蔓延して世界中の人々が吸血鬼になり、人間として生き残った主人公がたった一人で戦う話なんだ。これを読んで、前から考えていた、主人公が農具を持った百姓と戦う話に使えそうだと思ったのさ」
 ちなみに、その『吸血鬼』を原作としたアメリカとイタリアの合作映画『地球最後の男』が1964年に製作されているが、日本では未公開だったため、雷次は見ていない。

 「つまり、百姓が吸血鬼になって襲ってくる話にするのか」
 「いや、そうじゃない。そこに、フランケンシュタインの怪物も盛り込む。こっちの方は、さすがに知ってるよな」
 「ああ、博士が死体を繋ぎ合わせて人間を作るっていう話だろ」
 「その通り。つまり、死体で作られた人造人間の百姓たちが、主人公に襲い掛かるというチャンバラ映画にするんだ」
 「なるほどなあ。ちょっと面白そうだけど……」

 百田は最初、あまり積極的な態度を見せなかった。
 「何だよ、納得いかないみたいだな」
 「だってさ、それって、他人の小説を勝手に使って、それを組み合わせて話を作るってことだろ。そういうのって、あまり気が乗らないんだよ。やっぱり、自分が一から考えた話じゃないと」
 「バカなことを言う奴だな」
 雷次は、呆れたように首を振った。

 「だったら、お前が見せた脚本は、一から考えたオリジナルだとでも言うのか。あれだって、今までにお前が見てきた映画から影響を受けているから、似たような内容になったんだろうが」
 「そう言われると、そうかもしれないけど」
 「誰の影響も受けていない、何の影響も受けていない創造物なんてのは、世の中に存在しないんだよ。多かれ少なかれ、作品を生み出す人間ってのは絶対に他の人、他の物から影響を受けているんだ。つまり狭義でのオリジナリティーなんてものは存在しないんだ。もしも『俺は誰の影響も受けていない。俺の映画は混じり気無しのオリジナルだ』なんて偉そうに言う奴がいたら、そいつは大嘘つきか、自分のことが分かっていない大バカ野郎か、どっちかだぞ」
 雷次は熱く語った。

 「俺は色んな人や色んな作品の影響を受けてる。それを隠すつもりは無いぜ。大事なことは、ただの模倣で終わらないように努めるってことだ。そして、いかに面白く味付けするかってことだ。それが映画人として、あるべき姿だと俺は思う」
 雷次は百田を説き伏せ、詳しいプロットを説明して、脚本の執筆に取り掛からせた。
 これにより、それ以降、次々と傑作を生み出すことになる名コンビが誕生したのである。

 やがて百田は脚本を完成させ、その出来映えに雷次は満足した。
 「やっぱり俺の見込んだ通りだ。お前の脚色の能力は、素晴らしいな」
 「誉めてもらえるのは光栄だけど、まだ大きな問題が残っているぞ」
 「何が?」
 「脚本が出来ても、企画が通らないと映画は作れないんだよ。それぐらい分かっているはずだろ」
 「当たり前だ、そんなこと」
 「分かっているなら、そんなに余裕の顔は出来ないはずだけど。企画を通すってことは、社長の許可が出ないとダメなんだぞ」

 この当時、大映ではワンマン社長の永田雅一が全ての企画を決めていた。彼が首を縦に振らなければ、どれだけ意欲的な企画でも映画化されなかった。そして、監督たちが提案した企画が通ることは、ほとんど無かったのだ。
 永田は何かと理由を付けて、提出される企画を、ことごとく却下していた。田中徳三監督が企画した市川雷蔵主演の『眠狂四郎』が映画化されたように、全く通らなかったわけではない。だが、それは稀有な例だ。百田の懸念も、当然のことだった。

 しかし、雷次は余裕のある態度で
 「大丈夫だ。俺に任せておけ」
 と百田に告げた。
 そして実際に、その企画を通してしまったのである。
 百田は驚いたが、その時は、
 「きっと社長の友人の息子ということで、特別待遇を受けたのだろう」
 と考えて納得した。しかし、そうではなかったことを、後になって彼は知った。

 亀太郎の息子ということが、永田との交渉において有利に働いた部分は、確かにあっただろう。しかし、それだけではなかった。その後も雷次が提案した企画は全て承認が出るのだが、それは永田が彼を気に入っていたからであった。
 永田に対しても、雷次の「人を惹き付ける天性の才能」は効果を発揮したのだ。
 実際、永田は自己中心的で短気な性格だったが、雷次が彼に怒鳴られる姿を見た人間は誰もいない。

―――――――――

 『妖民の島』は1965年の8月、勝新太郎主演作の併映として封切られた。オープニング・クレジットの「脚本」の欄には百田の名前だけが表記され、雷次は監督としてのクレジットのみだった。本来なら、脚本か、せめて原案としての表記があっても良さそうなものだが、雷次が遠慮したのだ。
 「そんなの、どうでもいいよ。監督が話に手を加えることだってあるけど、それは脚色として表記されないだろ。いちいち面倒だし、それにお客さんは、俺が原案だろうが監督一本だろうが、気にしない」
 そんなわけで、それ以降に百田と組んだ大映での作品も、全て雷次がアイデアを出しているのだが、原案として表記されたケースは一本も無い。

 「怪奇時代劇」と銘打たれた『妖民の島』は観客の受けも良く、すぐに永田は、続編の製作を雷次に要求した。
 しかし雷次は、続編に乗り気ではなかった。『妖民の島』は、もう彼の中では、話として完結していたのだ。
 そこで彼は巧みな交渉術によって、百田に続編の監督をさせる約束を永田から取り付けた。これにより、百田は『続・妖民の島』で、ついに念願の監督デビューを飾ることになった。
 なお、その続編には、雷次は全く関与していない。


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