《六. 血まみれの成田三樹夫 》
『おしゃべり奇想剣』をヒットさせた数ヶ月後、雷次は永田社長に呼び出された。雷次の手腕を高く評価した永田は、
「次は仁侠映画を撮れ。企画も、そっちで考えろ」
と命じた。通常、監督に仕事の指示を出すのは撮影所長の役目であり、永田社長が直々に命じるのは珍しいことだった。
前項で触れたように、この時代、東映が仁侠映画路線で活気を取り戻していた。1963年の鶴田浩二主演作『人生劇場 飛車角』が火付け役となり、そこから仁侠映画ブームを巻き起こしていた。それに便乗しようと、大映や日活も任侠物を作るようになっていた。
既に大映でも、1965年に市川雷蔵の主演で『若親分』シリーズが開始されていた。しかし永田は、それだけでは不充分だと考え、雷次に指令を下したのである。
雷次は、永田からの指令を百田に話した。
「うーん、任侠物か。現代劇のシナリオなら考えたことがあるけど、任侠物を書くことになるとは思わなかったなあ。あれは東映の専門分野だと思っていたのに」
「そうか?俺は『若親分』が作られた時に、自分がヤクザ映画をやるかもしれないと予想してたぞ。ただ、『若親分』はヒットしてシリーズ化されたけど(最終的に第8作まで作られた)、あれは今一つだよな」
「おいおい、それは雷蔵さんに失礼だぞ」
「雷蔵さんは素晴らしい役者さ。だけど時代劇のヤクザならともかく、現代劇のヤクザ役は似合わないよ。だからこそ、元は海軍士官という設定にしてあるんだけど、南条武(『若親分』シリーズの主人公)は仁義に厚い渡世人というより、単なる正義の味方になってるんだよなあ」
「思い切ったことを言うんだな、お前」
「だけど、日活だってそうだろ。あそこが作った仁侠映画も、高橋英樹の『男の紋章』シリーズぐらいしかパッとしない。それは、裕次郎(石原裕次郎)やアキラ(小林旭)だと、役者としてのイメージが固まっていて、ヤクザ役が似合わないっていうのも大きいと思うんだ」
「ウチだと、勝さん(勝新太郎)ならヤクザ映画も似合うか。『悪名』もやってるし」
1961年に始まった『悪名』シリーズは、勝新太郎と田宮二郎がコンビを組んだヒット作である。勝新太郎は、八尾の朝吉という暴れん坊を演じた。朝吉は組織に属するヤクザではないが、敵として登場するのはヤクザばかりであり、ジャンルとしては仁侠映画に入れてもいいような作品だった。
「雷次は、今回の俺たちの映画も、勝さんを主演に考えてるのか」
「いや、あの人は他の映画でスケジュールが詰まってる。それに、俺は最初から、勝さんの主演は考えていない」
「じゃあ、誰を考えてるんだ」
「今回は、成田三樹夫さんで行く」
「えっ?」
百田の声が裏返った。全く予想していなかった答えだったからだ。
「本気か?」
「ああ、他には考えられない」
「だけど、本郷さん(本郷功次郎)や藤巻さん(藤巻潤)ならともかく、成田さんはちょっと……」
百田が困惑するのも、無理は無かった。当時、成田三樹夫は主人公の敵役ばかりを演じており、主演俳優ではなかったからだ。
「百田、お前の言いたいことは分かってる。だけど、さっきも言ったように、既に主役として、正義の味方のイメージが付いた役者ではダメなんだよ。俺が考えているヤクザ映画の主人公は、ヒーローじゃないんだ」
「だけど、成田さんの主演で、企画が通るのか」
すると雷次はニヤリと笑い、
「その点は大丈夫だ。既に永田社長から承諾は貰ってるから」
「お前、そういう仕事は早いなあ」
百田は半ば呆れながらも感心した。
雷次は成田三樹夫と会い、主演作について説明した。最初、成田は
「俺が主演を?」
と驚いた。
「これから撮る作品は、東映の仁侠映画とは全く違います。同じことをやっても、対抗できませんからね」
雷次は告げた。
「東映の仁侠映画は、根幹の部分は時代劇と大して変わりません。主人公は仁義に厚く、弱きを助けて強気を挫く。みんなが憧れるような、カッコ良くて正しくて、行儀のいい男です。でも、俺の考えている映画の主人公は、全く違います。正義の味方でも何でもありません」
「正義の味方じゃないってのは、今まで俺がやって来た役柄からすると、合っているとは思うけど。でも、それで本当に、主人公として成立するのか?」
成田は不安げに訊く。
「成立させるために、成田さんを主役に選んだんですよ。主人公は、ズタボロになります。手始めに、冒頭で片方の腕を切り落とされますから」
淡々とした口調で、雷次は告げた。
「えっ、主役なのに?」
「もちろん主役ですよ」
「まあ、丹下左膳も隻眼隻腕だけどなあ」
戸惑いながらも、成田は自分の中で納得する。しかし、すぐに雷次が
「それだけじゃありませんよ。その後も主人公は、一方的に暴行を受けたり、顔を泥に突っ込んだり、惨めで情けないことばかりが続きます」
と口にしたので、
「おい、確認するけど、本当に主人公なんだよな」
と、いぶかしげな表情になった。
「ええ。ただし、そんな惨めな状況の中でも、常に彼は執念、情念を燃やし続けるんです。目は死なないんです。それが何よりも重要な事柄です。ドロドロとしたヤクザ社会の中で、ギラギラしてください。執念を燃やしてください」
そう説明を受けても、成田はピンと来なかった。
台本を渡されて、ようやく成田は雷次の描きたい主人公像が理解できた。
ただし、それは到底、主人公とは思えないキャラクター造形だった。それまでの仁侠映画の概念では、有り得ないような主人公だったのだ。
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『血まみれの仁義』
〈 あらすじ 〉
ヤクザの丸尾吾郎(成田三樹夫)が若頭を務める駒井組は、大沼一家に縄張りを狙われていた。ある日、組長の駒井隆三郎(内田朝雄)を、大沼一家の刺客が襲撃した。吾郎は駒井を守り、左腕を切り落とされながらも刺客を殺した。
しかし吾郎が入院している間に、駒井は大沼一家の総長・大沼治雄(水原浩一)との手打ちを決めてしまう。体を張って組を守ろうとした吾郎には、それが納得できない。しかも手打ちは五分の関係ではなく、実質的には駒井組が大沼一家の傘下に入るというものだった。
退院した吾郎は抗議するが、駒井から「組を守るための決断だ」と説き伏せられた。その上、片腕を失った吾郎は、組の重要な仕事から外された。
苛立ちを抱えながら町を歩いていた吾郎は、かつての弟分・安部彦造(千波丈太郎)に会った。大沼の盃を貰った安部は、高慢な態度で吾郎をコケにした。吾郎は安部を叩きのめすが、駒井に呼び出されて叱責された。手打ちが済むまで問題を起こさないよう、吾郎は釘を刺された。
安部は報復として、手下と共に吾郎をリンチした。駒井組の組員も大沼に懐柔されており、吾郎に冷たかった。しかし駒井への恩義と忠誠心から、吾郎は大沼一家に甚振られても、ひたすら耐え忍んだ。
大沼は吾郎を危険分子だと感じていた。さらに、自分が目を付けたホステスの恭子(三木本賀代)が吾郎に好意を持っていることもあって、邪魔だと考えるようになった。大沼は駒井に、吾郎の抹殺を命じた。駒井も、吾郎を厄介者だと感じるようになっていた。彼は組を守るため、吾郎を始末することにした……。
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映画の終盤、吾郎は数名の刺客に襲われて右脚を斬られ、深手を負う。しかし彼は刺客を殺し、血まみれになりながら、駒井組と大沼一家の手打ち式に乗り込む。吾郎は駒井と大沼を射殺し、そんな彼に向かって双方の子分たちが匕首を抜いて襲い掛かろうとする。吾郎が狂ったように吠えたところで、画面には「終」の文字が出る。
雷次の中では、吾郎は子分たちによって殺されるという話が出来上がっていた。しかし永田から
「シリーズ化も考えて作れ」
と命令されていたため、吾郎が死んだかどうかは曖昧な形で終わらせたのだ。
なお、終盤に吾郎を襲う刺客のリーダー格を演じたのは今成で、雷次は大沼一家の組員として出演している。
『血まみれの仁義』には、当時としてはかなり際立った残酷描写や暴力描写が持ち込まれた。吾郎が切り落とされた腕の断面からは血がドクドクと溢れ、リンチを受けると額がパックリと割れた。
後半の吾郎は、ずっと額に包帯を巻いたままだ。刺客に襲われた吾郎は、頬に無残な傷を作り、大量に出血している右脚を引きずり、片目を潰された姿で手打ち式の場に現われる。それまでの仁侠映画で、そこまで傷付けられ、ボロボロになった姿をさらした主人公は存在しなかった。
雷次は、仁侠映画のパターンから逸脱し、ヤクザの醜さや残酷さ、そしてドロドロとしたエグい部分を持ち込んだのだ。
しかし、まだ時代が早すぎたのか、1966年10月に公開された『血まみれの仁義』は映画評論家から酷評され、観客の受けも芳しいものではなかった。当然のことながら、シリーズ化されることも無かった(そもそも雷次は続編を作る気など無かったが)。
一方、同じ大映が11月に公開した仁侠映画『女の賭場』(監督は田中重雄、主演は江波杏子)はヒットし、「女賭博師」シリーズとして続編が作られていった。
『血まみれの仁義』が映画ファンの間で脚光を浴びるようになるのは、東映が1973年に『仁義なき戦い』シリーズを開始し、実録ヤクザ路線のブームが巻き起こって以降のことだ。
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