『忍びの者』:1962、日本
天正元年夏、全国制覇の野望に燃える織田信長は、朝倉義景と浅井長政の連合軍を北近江の地において撃破した。勢力を伸ばして比叡山を焼き討ちにした信長に対して、伊賀の忍者の頭領を務める百地三太夫は下忍たちに抹殺指令を下した。一方、三太夫と敵対する忍者の頭領である藤林長門守も、下忍たちに信長の抹殺指令を下した。
三太夫の配下で最も優秀な石川五右衛門は、砦に残って帳簿係をするよう命じられる。いずれは下忍頭に取り立てると三太夫に告げられ、五右衛門は喜んだ。そんな中、火薬作りを担当していた五右衛門の父が火薬小屋で爆死する。
三太夫にはイノネという妻がいたが、彼は一度として肌を重ねようとしなかった。イノネは五右衛門に欲情を向け、2人はただならぬ関係となる。だが、2人の情事を女中のハタに見られてしまう。五右衛門はハタを追うが、逃げられてしまう。しかも、すがりついてきたイノネを振り払った拍子に、彼女が井戸に落下して死んでしまう。
逃亡を図った五右衛門は三太夫に見つかり、信長を暗殺すれば罪を許すと告げられる。さらに三太夫は、軍資金を集めるために金を盗めと命じる。泥棒稼業は忍者の掟に反する行為だったが、五右衛門は三太夫の命令に従うしかなかった。
京に出た五右衛門はマキという遊女と出会い、彼女に惹かれるようになる。ある日、五右衛門はハタと再会し、井戸に落ちたイノネの首に吹き矢が刺さっていたことを聞かされる。イノネを殺したのは五右衛門ではなく、三太夫だったのだ。さらに五右衛門は、三太夫が火薬の秘法独占するために父を殺したことも知る。
五右衛門は伊賀に戻って三太夫を殺そうとするが、逃げられてしまう。忍者を捨てた五右衛門はマキと結婚し、田舎での静かな暮らしを始めた。だが、三太夫は妊娠中のマキを人質に取り、信長を暗殺するよう五右衛門を脅迫する…。
監督は山本薩夫、原作は村山知義、脚本は高岩肇、製作は永田雅一、企画は伊藤武郎&土井逸雄、撮影は竹村康和、編集は宮田味津三、録音は奥村雅弘、照明は加藤博也、美術は内藤昭、凝斗は宮内昌平、邦楽は中本敏生、音楽は渡辺宙明。
主演は市川雷蔵、共演は藤村志保、伊藤雄之助、小林勝彦、城健三朗(若山富三郎)、浦路洋子、藤原礼子、眞城千都世、岸田今日子、丹羽又三郎、西村晃、中村豊、高見国一、千葉敏郎、沢村宗之助、加藤嘉、水原浩一、南条新太郎、寺島雄作、南部彰三、伊達三郎、舟木洋一、原聖四郎、沖時男、藤川準、堀北幸夫、岩田正、菊野昌代士、小南明、木村玄、井上明子ら。
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赤旗日曜版に連載された村山知義の原作を映画化した作品。
大泥棒として有名な石川五右衛門を権力者に反逆して立ち上がる男として描き、「伊賀の忍者であり、頭領に命じられて仕方なく泥棒になった」という設定にしている。
赤旗の連載小説を映画化するというのは、当時としてはかなりの英断と言っていいだろう。
五右衛門を市川雷蔵、マキを藤村志保、三太夫と長門守の2役を伊藤雄之助、織田信雄を小林勝彦、織田信長を城健三朗、ハタを藤原礼子、イノネを岸田今日子、木下藤吉郎を丹羽又三郎が演じている。
市川雷蔵にとっては初のシリーズ映画となった。
この作品は忍者映画ではあるのだが、巻き物を口にくわえて大蛙に乗って登場するとか、「ドロンパ!」と煙と共に姿を消すとか、そういった分かりやすいフィクションの存在ではなく、奇想天外とは無縁な存在としての忍者が描かれている。
登場する忍者たちは撒き菱や手裏剣といった道具は使うが、かなり泥臭い。地面に耳をくっ付けて水の音を聞く。小屋に篭もって火薬を作る。ウソの情報を流して敵をかく乱する。天井から垂らした糸を伝わせて敵に毒を飲ませる。カニのように横向きに走る。
派手で華麗な技を連発するような魅せるヒーローとしての忍者ではなく、闇の世界に生きる諜報員としての忍者の姿がリアルに描写される。キッチリと役割分担が決まっており、下忍は百姓仕事をしながら修行を積み、上下関係や厳しい掟に縛られる。
忍者は人間としての喜びを禁じられ、目的のためには恥も捨てねばならない。
忍者は捕らえられて拷問を受けても、名前も使命も明かしてはならない。だから捕まって拷問を受けた与八は隙を見て逃げ出すが、大勢に囲まれて逃げ切れないと確信すると、手裏剣で顔を切り裂いて素性が分からないようにしてから、飛び降りて自害する。
当時としてはかなり残酷な描写が多い作品で、その残酷なシーンをほぼ一手に引き受けている感があるのが城健三朗だ(また彼には残酷な所業が似合うんだなあ)。
くの一は首から上だけ地面から出して埋められ、時間を掛けてジワジワと殺される。与八は縛り上げられて吊るされ、刀で両方の耳を削ぎ落とされる。
三太夫は下忍には偉そうなことを言って死ぬまで戦わせておきながら、自分はさっさと逃げ出してしまう。長門守との2役を使い分け、互いの部下を競わせて目的を達成させようとする。
そこからは「腐った上司と踏みにじられる部下」「醜い権力者と哀れな従者」といった、現在社会にも通じる上下関係の構図が透けて見えてくる。
忍者の掟に反することなのに、五右衛門は泥棒となって金を盗むことを命じられる。さらに、自分が首領の女とネンゴロになった末に殺害して破門になり、泥棒になったという話を実名入りで巷に流される。
屈辱に耐えていたのに、全ては最初から百地の策略だった。
まさに、「腐った上司と踏みにじられる部下」なのである。
忍者とは何のために生きているのか。命令に従い続けて、その向こうに何が待っているのか。そんな世界より、愛する女と暮らす方が幸せではないか。出世はしないし名誉を得ることも無いが、つつましくも人間らしい愛に溢れた生活がある。
権力者に虐げられ、自己犠牲を強いられ続けた労働者の五右衛門は、人間性を否定する主従関係や掟に反逆し、人間としての幸せを得ようとする。
しがらみから解放されて愛する女の元へ走る五右衛門の顔の、なんと晴れ晴れしいことよ。
(観賞日:2002年12月5日)
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