《十二. 独立への決意 》
看板俳優である市川雷蔵の死は、大映にとって痛すぎる打撃だった。雷蔵の穴を埋められるような次世代のスターは、全く育っていなかった。業績が悪化の一歩を辿っていた大映は、もはや風前の灯という状態であった。
そんな中でも、スタッフや出演者は変わらずに映画作りを続けていた。トップスターの死という悲劇を乗り越えようと、みんなが前を向いて頑張っていた。
しかし雷次は、まるで活力が沸かなかった。雷蔵の代表作を作るという意欲に燃えていたのに、それが不可能となったことで、すっかりモチベーションが失われてしまったのだ。雷蔵の死によって、心にポッカリと穴が開いてしまった。自分が思っていた以上に、彼にとっては重大な出来事だったのだ。
仕事が全く手に付かなくなった、というわけではない。助監督としての仕事は、そつなくこなしていた。だが、アイデアを練り、自分の企画で映画を撮ろうという意欲は、一気に減退してしまった。百田や今成から新たな企画について問われても、
「いや、今は何も無いから」
と、冴えない表情で答えるだけだった。竜子が
「貴方が面白い映画を撮ることが、雷蔵さんへの餞になるんじゃないかしら」
と励ましても、雷次は気の無い相槌を返すだけだった。
そんな時期が3ヶ月ほど続いたが、秋口になると、ようやく雷次はショックから立ち直り、元気な様子が見られるようになった。しかし、新しい企画については、まるで思い浮かばなかった。
そんなある日、雷次は百田に、
「俺、そろそろ大映を辞めようかと思ってるんだ」
と漏らした。
「えっ、辞める?」
百田は驚き、
「まさか、まだ雷蔵さんが死んだことを引きずってるのか」
「いや、そのことは、もう大丈夫だよ」
「だったら、どうしてなんだ。監督を辞めて、何をやろうっていうんだ」
「早とちりするなよ。誰が監督を辞めると言った。俺は大映を辞めると言っただけだ」
「じゃあ、他の会社に移籍するのか。そう簡単に、永田社長が認めてくれるとは思えないが」
「それも違う。移籍するんじゃなくて、独立しようかと思ってな」
「独立?」
「ああ」
1960年代に入ってから、何名もの俳優や監督が独立プロダクションを設立していた。俳優では、三船敏郎の三船プロダクション、石原裕次郎の石原プロモーション、勝新太郎の勝プロダクション、中村錦之助の中村プロダクション。監督では、大島渚の創造社、吉田喜重の現代映画社、今村昌平の今村プロダクションなどがあった。
「雷蔵さんが死んだことで、もう大映でやるべき仕事は、俺には無いような気がしてさ。だったら独立して、今までとは違う役者やスタッフと組むのもいいかなあと思ったんだ」
「だけど独立って、そんなに簡単に出来るものじゃないだろう」
「それは分かってる。だから、今すぐというわけじゃない。しかし正直、大映も長くない予感がするし」
「長くないって、お前は大映が潰れると思っているのか」
「田宮さんをクビにして、今度は雷蔵さんまでいなくなったんだ。ただでさえ映画界はテレビに押されて苦しいのに、そろそろ限界だろう。松竹や東宝でさえ大変なんだぞ。お前も、身の振り方は考えておいた方がいいんじゃないか」
すると百田は、
「何を言ってるんだ。俺の身の振り方は、もう決まってるじゃないか」
と、すました顔で言う。
「んっ?何か当てがあるのか」
「お前が独立するなら、付いて行くに決まってるだろうが」
「来てくれるのか?」
「当然だ、俺がいなかったら、お前のアイデアを誰が脚本にするんだよ」
「そうか。いや、実は、もっと話が進んでから頼むつもりだったんだ。そう言ってくれて、嬉しいよ」
「それで、いつ頃には独立しようとか、もう計画はあるのか」
「色々と準備しなきゃいけないだろうし、具体的な日付までは決めてないけど、来年の今頃には、プロダクションを立ち上げたいと思ってる」
だが、実際に雷次が独立プロダクションを設立するのは、もう少し後になる。
そして独立前に、雷次は大映でもう一本、自分の企画した映画を撮ることになるのだ。