見出し画像

《一. 小さな監督志願者 》

 1941年4月1日、雷次は東京市(現在の東京都)葛飾区で佐野家の次男として産まれた。父の亀太郎は金属加工の大手・佐野鋳物の社長だったが、その年に太平洋戦争が勃発したこともあって、雷次は裕福で何不自由ない暮らしを送るというわけにはいかなかった。

 雷次の誕生から3年後、佐野家は母・妙子の実家がある京都へ転居し、そこで終戦を迎えた。
 終戦後、亀太郎は東京へ戻らず、一度は閉鎖していた佐野鋳物(後に「佐野工業」と社名変更)を京都で立ち上げた。雷次は明るく活発な子として、すくすくと成長した。

 1946年は、雷次と映画界の繋がりが生まれた年になった。この年、3つ上の長男・風太が、子役として大映の映画へ出演することになったのである。
 この頃、雷次も風太も、亀太郎に連れられて映画館へ良く行っていた。父親の事業が早々と軌道に乗ったこともあって、同年代の子供たちと比較しても、兄弟は映画を見る機会に恵まれていた。

 やがて風太は、
 「僕も映画に出たい」
 と言い出した。母の妙子は
 「無理に決まっているでしょ。ワガママを言うもんじゃありません」
 と、たしなめた。だが、亀太郎は違っていた。彼は息子たちに対し、かなり甘い父親であった。彼は、何とか風太の願いを叶えてやろうと考えたのである。

 とは言っても、そんな願いは、普通なら簡単に叶えられるものではない。
 ところが亀太郎の場合、強力なコネがあった。
 彼は当時の大映の副社長・永田雅一と親交があったのだ。
 厳密に言うと、最初に親交があったのは妙子だった。彼女の実家は日蓮宗の寺であり、熱心な日蓮宗の信者である永田とは戦前から交流があった。

 亀太郎も日蓮宗の信者であり、永田とはウマが合った。彼が京都に転居したことで、その関係は、さらに親密なものとなっていた。永田は1946年の衆院選に立候補したが(結果は落選)、その時も亀太郎は協力している。
 その永田に、亀太郎は
 「ウチの息子を映画に出してやってくれないだろうか」
 と頼んだ。永田は即座に承諾し、あっさりと風太の夢は実現することになった。

 風太は片岡千恵蔵の主演作『江戸の蝙蝠』で、子役デビューを飾ることが決まった。大映の京都撮影所で撮影が始まり、雷次は父に連れられて見学に赴いた。
 すると千恵蔵が大部屋俳優たちを相手に、立ち回りの稽古をしていた。
 「お父さん、ひょっとしてアレが、お父さんが言っていたチャンバラなの?」
 雷次は東京のイントネーションで尋ねた。一家は京都で暮らし始めたが、東京出身の亀太郎が東京弁を話すので、そちらの言葉で息子たちも育ったのだ。
 「そうだ、あれが本物のチャンバラだ」
 亀太郎は、やや得意げに言った。

 当時の日本は、まだアメリカの占領下にあった。GHQは占領政策の一環で、チャンバラを「軍国主義的だ」として禁止した。
 そのため、雷次はチャンバラ映画を見たことが無かった。しかし父からチャンバラのことは聞かされており、ずっと興味を持っていた。
 チャンバラが禁じられたため、時代劇映画の製作そのものが難しい状況となっており、戦前の剣劇スターも現代劇に多く出演するようになっていた。

 『江戸の蝙蝠』は時代劇だが、捕物帳であり、もちろん禁じられているチャンバラのシーンは無かった。しかし撮影所では、腕が鈍らないようにということもあり、チャンバラの稽古をする役者も少なくなかった。
 ただし、この時に千恵蔵がチャンバラをやったのは、亀太郎が永田に
 「チャンバラを子供たちに見せてやりたい」
 と頼んでいたという裏事情があったようだ。

 生まれて初めて目にするチャンバラに、雷次はとびきりの興奮を覚えた。
 「これは稽古に過ぎないが、いずれ近い内に、映画館でチャンバラ映画が見られる日も来るはずだ」
 亀太郎は願望を込めて、そう言った。

 「お父さんは、チャンバラをたくさん見てきたの?」
 「ああ、たくさん見た。チャンバラ映画は、本当に面白いんだ。こうやって稽古を見ているだけでも、面白くないか?どうだ?」
 「うん、チャンバラって面白い。すごいよ」
 「そうだろう。やっぱり千恵蔵のチャンバラは素晴らしいよなあ」
 亀太郎は満足そうにうなずいた。

 だが、雷次が注目していたのは、主演の片岡千恵蔵ではなかった。
 「あの人のチャンバラ、カッコイイよね」
 彼が指差したのは、千恵蔵の相手をしていた侍の集団だった。
 「あの人って?」
 誰を指差したのか分からず、亀太郎は訊き返した。
 「あの人だよ。ほら、最後に斬り掛かった」
 「ああ、あの役者」
 誰なのかは分かったが、亀太郎には、何が良いのか理解できなかった。

 その役者の名前は、今成満治といった。当時の彼は、大物役者というわけではなく、単なる下っ端の大部屋俳優だった。
 しかし、雷次が注目したのは、先見の明があったと言っていいかもしれない。数年後、今成満治は殺陣師の宮内昌平から最も信頼される役者となる。
 ただし、あくまでも斬られ役としてのことであり、役者としてのランクが上がったわけではなかったが。

 「雷次、お前も映画に出たくなったんじゃないか」
 亀太郎が尋ねた。もし雷次が出たいと答えたら、彼は永田に頼んでみるつもりだった。
 「チャンバラは出来るの?」
 「いや、まだ子供だし、チャンバラは無理だな」
 「だったら、僕は出なくてもいいや」

 雷次がそっけなく言うので、亀太郎は少しガッカリした。すると雷次は、
 「ねえ父さん、ここで一番偉いのは、片岡千恵蔵さんなの?」
 と質問を投げ掛けた。
 「えっ?いや、撮影現場で一番偉いのは、監督だよ。ほら、あそこに座っている」
 亀太郎は、助監督に指示を出している松田定次監督を指した。
 「そうか、監督が一番なのか。だったら僕は、監督がいいな」
 純朴な表情で雷次が言うので、亀太郎は一瞬、ポカンとして、それから笑った。

 「ハハッ、そうか、監督になるのか。でも、それも子供では無理だぞ。大人にならないと、チャンバラも出来ないし、監督にもなれないんだ」
 「じゃあ、僕は早く大人になるよ。そして、チャンバラ映画を作るんだ」
 「そうか、期待してるよ」
 亀太郎は穏やかに微笑み、雷次の頭を撫でた。
 まさか、本当に息子が映画監督になろうとは、この時の彼は予想もしていなかった。

―――――――――

 風太は『江戸の蝙蝠』だけでなく、それ以降も子役としての活動を続けた。そして、雷次の撮影所通いも続くことになった。亀太郎は仕事があるので、彼が雇った運転手が幼い兄弟の送り迎えを担当した。
 普通、出演者でもない子供が現場をウロチョロしていたら、スタッフから迷惑がられ、つまみ出されても仕方が無いだろう。
 だが、雷次が追い出されることは無かった。

 最初の内は、永田副社長(1947年には社長に就任)の親友の息子ということで、スタッフは追い出したくても、それが出来ない状態だった。しかし、雷次が追い出されずに済んだ理由は、数ヶ月で変化していった。
 撮影所の面々は、彼のことを気に入るようになったのである。

 スタッフや役者たちは、雷次のことを「雷坊」と呼んで可愛がった。
 雷次が気に入られるためにゴマをすったとか、気配りをしたとか、そういうことではない。ただ、とにかく彼は社交的で、明るかった。その一方、過剰に騒いで撮影を邪魔することは決してせず、カメラが回り始めると静かに見学した。その態度を見て、次第に大人たちは、彼に愛着を覚えるようになっていったのである。
 雷次には、人を惹き付ける魅力が生まれ付いて備わっていたのかもしれない。

 ずっとスタジオに通っている中で、森一生監督や木村恵吾監督らが
 「見学しているだけじゃなくて、映画に出てみないか」
 と持ち掛けることもあった。しかし、その度に雷次は、
 「僕は監督の勉強中だから。出演者になったら、その勉強が出来なくなるでしょ」
 と断った。そんなことを真面目な顔で言うものだから、ますます撮影所の人々は彼のことを気に入った。

 しかし雷次は、本気で監督修業をしているつもりだった。亀太郎に言ったことは、その場の軽い思い付きではなかった。映画監督になりたいという気持ちは、その後も全く変わることが無かったのだ。それどころか、撮影所に通い続ける中で、その思いはさらに強くなる一方だった。
 兄の風太は片岡千恵蔵の他にも、阪東妻三郎、嵐寛寿郎、市川右太衛門といったスター俳優たちの主演作で子役を演じた。雷次も、大物たちの演技を間近で見ることが出来た。

 だが、そんなトップスターたちと会っているにも関わらず、雷次が最も好きになった俳優は、前述した今成満治であった。雷次は撮影所で今成を見つけると、積極的に話し掛け、彼に懐いた。今成も、自分のような端役を応援してくれる小さなファンを可愛がった。雷次は今成に会う度に、彼に頼んで立ち回りを見せてもらった。
 雷次が今成に懐いたのは、単に好きだからというだけではなかった。もう一つ、大きな理由があった。

 ある時、雷次は今成に、チャンバラを教えてほしいと頼んだ。
 「チャンバラを教えてほしいって?いよいよ雷坊、映画に出たくなったんか?」
 河内出身の今成は、大阪弁のイントネーションで尋ねた。
 「違うよ。監督になるんだから、チャンバラも覚えておかないと困るでしょ」
 「えっ?」
 今成は驚いた。以前から雷次が
 「僕は映画監督になる」
 と言うのは何度も聞いていたが、そんな細かいことまで考えているとは予想しなかったのだ。

 「でも雷坊、基本的にチャンバラは、殺陣師が演出するんやで」
 「それは知ってる。でも、役者さんに指示を出す時に、チャンバラが何も分からなかったら、やっぱり面倒だと思う。それに、こういうチャンバラがやりたいと思った時に、それを殺陣師の人に上手く伝えられなかったら困るし」
 雷次は熱い口調で訴えた。1947年、まだ彼が6歳の時である。

 「雷坊、すごいなあ。それぐらい、ホンマに映画監督になりたいんやなあ」
 今成は感心した。
 「でも、今は難しいし、やめといた方がいいかもしれへんな」
 「どうして?」
 「雷坊は小さいやろ。だから、チャンバラで使う刀を持たれへん。子供用のオモチャの刀を使ったら、刀を振ることは出来るけど、俺とは体のサイズが違いすぎるから、ちゃんとしたチャンバラにならへん。軽い遊びみたいになってしまう」

 「どうしてもアカンの?」
 「俺はな、雷坊がそれぐらい本気で考えてるんやったら、教えてあげたいっていう気持ちはある。ただ、どうせ教えるんやったら、中途半端にやりたくないねん。だから、もっと大きくなったら教えたる」
 「本当?」
 「ああ、約束する。そうやなあ、監督になるんやったら、いずれは大映に入社するつもりなんやろ?それやったら、入社したら教えたるわ。どうせ今は、まだチャンバラ映画を作ることも出来へんのやし」

 「分かった。我慢する」
 雷次は、素直に諦めた。
 「だったら、それまでは、他のことを勉強する。カメラの動かし方とか、照明の当て方とか」
 と雷次が付け加えたので、今成は微笑した。
 雷次と今成が交わした約束は、その12年後に果たされることになる。

―――――――――

 1950年、GHQによるチャンバラ映画の禁止措置が解除された。雷次は、大好きなチャンバラを存分に見ることが出来るようになった。
 1955年、雷次は14歳になった。学校に通い始めてからは撮影所に行く時間が減ったが、それでも休みの日は必ず訪れた。もはや撮影所の面々は顔見知りばかりで、雷次は完全にスタジオの住人として溶け込んでいた。

 その日、いつものように雷次がスタジオ見学をしていると、出番を終えた風太が近寄ってきた。彼は学校に通いながら、役者の仕事を続けていた。
 「なあ雷次、お前にも関係がある話だから言っておくけどさ」
 風太は口を開いた。スタジオの中で彼が雷次に話し掛けるのは、珍しいことだった。
 「この仕事、もう辞めるから」

 「えっ、兄ちゃん、役者を辞めるの?」
 「ああ。もう決めたんだ。父さんには、帰ってから言うつもりだ」
 「どうして?嫌になったの?」
 「そうじゃないよ。ただ、そろそろ限界かなと思ってさ。最近は仕事の数も減ってきたし、それに、だんだん子役って年でもなくなってきた。だからって、今後、大人の俳優として活躍できるかどうかと考えると、難しいと思う。だから、キッパリと足を洗うことに決めたんだ」

 「そうか。兄ちゃんが決めたのなら、僕が言うことは何も無いよ」
 雷次は、淡々と告げた。
 「今だから言うけど、俺より雷次の方が、役者には向いてたんじゃないかと思う」
 風太がそう口にしたので、雷次はキョトンとした顔になった。
 「僕が?」

 「だって、お前はすぐに監督や役者に懐いて、ものすごく可愛がられていただろう」
 「それは役者の仕事と関係が無いよ」
 「いや、そういうのも役者には大事なんだよ。映画ってのは、一人で作るものじゃないからな。特に、スタッフに好かれるというのは重要だよ。何年もこの仕事をやって来たから、分かるんだ」
 「だけど兄ちゃんだって、監督やスタッフと仲良くやっていただろう?」

 「もちろん、俺だって嫌われていたわけじゃないけどさ。ただ、お前は特別だよ。みんなに可愛がられるようなものを、具体的には分からないけど、何か持ってるんだろうな。だから正直、お前に嫉妬した時期もあった。でも今になってみると、お前が子役で活躍する姿を見たかった気もするよ」
 風太は、サバサバとした表情で語った。
 「どうだ、今からでも、子役デビューしてみるか」
 「その気が無いことぐらい、知ってるくせに」
 「そうだな。お前は監督になるんだったな。まあ頑張れよ。お前なら、上手くやっていけるかもしれない」

 「それより、兄ちゃんは、これからどうするの?」
 「大学へ行くよ。そして普通に就職するつもりだ」
 「父さんの会社に入るの?」
 「いや、他の会社に行くつもりだ」
 「そうか……。でも、さっき、僕にも関係がある話って言ったけど、どういうこと?」

 「だって、俺が役者を辞めたら、お前が撮影所に通う理由も無くなるだろ。だからさ。お前にとっては迷惑だろうけど、それは勘弁してくれ」
 「そんなことか。それなら気にしなくてもいいよ。兄ちゃんが役者を辞めても、僕は撮影所に通い続けるから」
 雷次は、あっけらかんと言った。

 「だけど、もう俺の仕事に付いてくるってわけにはいかないんだぞ」
 「そんなの、前からそうだったじゃないか。最近は兄ちゃんの仕事が無い時も、スタジオに来ていたよ」
 「……言われてみると、そうだったかな」
 「そうでしょ?だから、今までと何も変わらないよ」

 「でも、いいのかな。俺が役者を辞めたら、お前は撮影所の関係者という肩書きが無くなって、ただの子供になるのに」
 風太が懸念を示すと、
 「大丈夫だって。僕が兄ちゃんと無関係でスタジオに行っても、誰も怒ったり追い出したりしないよ。きっと、みんな迎え入れてくれる。兄ちゃんが言った通りなら、そういう何かが僕にはあるんだからさ」
 雷次は飄々とした態度で言う。
 「お前って奴は、天晴れだよ」
 風太は、感心したように笑った。


いいなと思ったら応援しよう!