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生むか生まないか

最近スレッドで、21トリソミーと腹壁破裂などの異常が見つかり、人工妊娠中絶を決断したという投稿をみた。様々なリプライが寄せられていた。

私も思わずリプライしようとしたけれど、結局やめた。

生んでも生まなくても、後悔する日もあればそれでよかったと思う日もあるのではないでしょうか。人の意見が聴きたくなる気持ちはわかりる。正解を知っている人を求めたい。自分が正解だと肯定してもらいたい。だれでもいいから自分を救う言葉をかけてほしい。ただただ、聴いてほしい。

私が最初に妊娠した子は腹壁破裂だった。助産師になる前の話だ。
Instagramの投稿でもそのことに触れたことがある
https://www.instagram.com/omc_ochanoma/)。
妊娠初期に気が付いたこともあり当時のエコーでは腹壁破裂らしいという情報以上に確定的なことはわからなかった。腹壁破裂単独の異常であれば、手術で元気に育つこともできる。
エコーの画像と私を囲んで、診断と予後について話し合っていた医師たちの顔ぶれは今でも覚えている。
人工妊娠中絶には期限がある。決断を迫られる中、わけもわからず中絶を選んだ。

私はこの選択を今でも後悔している。
でも、この後悔を口にすることは、その後恵まれた4人の娘の存在を否定することにもなりかねない。
なので、ただただ心の中で後悔し続けている。
今はわかる。あの時私はあのかわいい子に「ありがとう」と言えばよかった。
でも当時は「ごめんね」としか言えなかった。

snsなどなかった時代。辛く苦しい気持ちを友人でもあった職場の後輩にだけ打ち明けた。
数か月をかけて話は尾ひれを付けて広まっていた。
少し前までバリバリ働いていた私の「かわいそうな物語」は彼女たちの夜勤の時間を潰すにはちょうどいい話題だったのかもしれない。
人間不信になった。今でも人間は怖いと思っている。

この後7年間流産を繰り返した私は、ずいぶん嫌な人間になっていたと思う。
稽留流産で枯死卵を子宮に留めたまま義兄の結婚式に出席した時には日本で一番嫌な人間だった自信がある。散々行きたくないと駄々をこねた思い出しかない。

その後助産師となり、長女に恵まれ、双子の次女三女に恵まれ、高齢出産で末っ子に恵まれ。4人の子どもを産んで育てた今、特別いい人間になれたとは思っていないが、人の気持ちがわかる人間にはなれたと思う。

母のその悲しみ苦しみ絶望感は自分にしかわからないものだ。
上手く昇華できる人もいるかもしれない。
信念や、性格や、宗教や、支えてくれる人などによって、いい方向に行く人もいるかもしれない。

この自分だけの苦しみをずっと抱えて生きていくと,苦しみは自分の一部となる。
この経験が役に立つこともあるけれど、苦しみは苦しみでしかない。
ただ、いつの日かごめんねと同じくらい、ありがとうという気持ちにもなれる。

私は今50代。
宗教のない私だから、死後の世界があるかないかはわからない。
でも、時々自分の最期の日を想像してはあの子のことを思う。
会えるといいな。

スレッドのあの人に、私は何も言えない。
ただ、自分を重ねては胸を締め付けられる。
正解などない。ただ選んだ道を行くのだ。ごめんねとありがとうを繰り返しながら。
どこの誰ともわからない人に、心を寄せる。ただそれだけしかできない。

ずっと思っているんだよ。

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