今日の生死観とストレス
本職のほうが全く進まないのでどうしようかと思っている。実際同じことで半年、いや1年半近く悩んでいる。悩んでいる、と書いていいものでもない。わからないのだ。答えを見つけられないでいる。だから悩んでいるというのは実は間違いで、わからないことをわからないまま放置するという失敗を延々続けてここまで来てしまった、というのが正解だ。自分で書いておいてなんだが、大変阿呆であることを晒してしまった。でもそろそろ見つけなければならない。見つけなければ先に進めない。もう立ち止まってもいられないのだ。人を巻き込む話だから。
柔軟な発想、とやらを私は中学生のころに忘れてきてしまったような気さえする。それくらい型にはまったことしか書けず苦しんでいる。あー苦しい。あと本当に怒られるのが嫌なんだ、ということは認識した。どうあがいたって怒られるんだから全力尽くして怒られればいいのに、と思うのだが、いざ前にすると本当に何も言えない。今を耐え忍ぶような行動・言動しかできない。なんてこった。大変に困っている。どうしてそうなの?と自分に問うてみれば、怒られたくないの…平和に過ごしたいの…心が痛いの嫌なの…というあまりにもそのまんま過ぎる理由が返ってくるので、最近は考えないようにしている。ストレスに弱い弱いと言われ(そういわれること自体がストレスである)、現在ストレスに強くなるように鍛えられている最中らしいが、その鍛錬期間で死なないかな??という疑問が湧き上がってくる。
話は変わるが、私はいつ死んでもおかしくないと心底思っているタイプである。もし自宅で死亡した場合、運よく早めに発見されても遺体は綺麗には残らないだろうなあと思う。だから自撮りもある年齢を超えたあたりから私が生きた証を残さねば(もしかしたらこれが生前最後の1枚になるかも)と思っている節があったりする。ちなみに、周りには私が死んだら秘蔵のコレクションから好きなもの持って行っていいよ、と伝えてある。ただし売らないでね、という条件付きで。ちなみに残ったものは親族に売ってもらうことになっている。多分なんだこれは…とか言いながら売る羽目になりそうでごめんって感じ。PCとかスマホの情報とかはぶっちゃけ見てくれて構わない人間なので(だって恥ずかしいと思う本人はもう死んでいる)、うわーとか言いながら処分してほしい。ただ…後々に語られる内容に影響しそうだからやっぱり嫌かもしれない。ちゃんと書置きしておこう。
死にたいと思って生きているわけではないが、死を考えることで生は輝くものだ。遺書を書いておくと妙に生きるのが楽になる。それはゴールが見えるからかもしれない。そろそろ本職に戻る。私に与えられた時間はあと半日だ。
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