![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/14695222/rectangle_large_type_2_faa472a44c5ae9fa6436f8fbecfcd25e.jpeg?width=1200)
人生につまずいたのに褒められた話
「よく戻ってきたね。」
これは、ぼくが実際に言われた言葉。
精神疾患になって、身も心もぼろぼろだった過去を打ち明けた時に
かえってきた返事だった。
人生の汚点でしかなかった過去
ぼくは大学1年生の時に、環境の変化になじめなくて病んだ。
境界性パーソナリティー障害と診断された。
毎日が生き地獄だった。
「死んでない」状態で時間が過ぎていくだけだった。
それでも、大学2年生に上がって専門に配属されたら、友だちも増え、少しずつ状況が改善されていった。
本当にラッキーだったと思う。
ただ、自分で自分に貼り付けた
「精神疾患患者」という
レッテルは重く、恥ずべき汚点だと思って、
ずっとぼくの足を引っ張っていた。
いわば黒歴史だった。
レッテルを破り捨てろ
自分に対して貼ったレッテルを捨て去るのは大変だった。
まずは自分が病むような人間であることを認めることから始めなければならなかった。これってけっこう難しかった。
そうやって「病まないためにいかに強くあるか」から「弱いなりにどう生き延びるか」にシフトチェンジできた時、ようやく少し自分に寛容になれた。
病んだことも自分の人生の一部として受け入れられるようになったら、
「精神疾患患者」はレッテルじゃなくて事実の一つになった。
事実の一つとして捉えられるようになったら、人に話せるようになった。
これは大学3年生になってから、病んでから2年経ってのことだった。
君のことばに救われた
大学3年生の夏、自分以外の人が絡むので経緯の詳細は省くが、ゼミ生に自分の病んだ経験を話す機会が訪れた。
泣きながら喋った。
喋り終わったとき、ゼミ生の一人がぼくにくれたのが冒頭の言葉だ。
「よく戻ってきたね。頑張ったんだね」
嬉しかった。
心配するんじゃなく、挫折から這い上がってきたぼくを見て、認めて、労ってくれた人は初めてだった。
レッテルを捨てたと言いつつ病んだことばかりに気を取られていた自分に、別の視点をもたらしてくれた。
そうだ、ぼくはあの状態から立ち直ったんだ。
ぼくは頑張ってたんだ。
そしてそれはすごいことなんだ。
そう思わせてくれた。
ぼくはたぶん、自分の苦しみを意味のあるものにしたかったんだと思う。
その言葉は、自分の弱さを示すものでしかなかった精神疾患の経験に、立ち直ってきた強さを証明するものという新しい価値を与えてくれた。
安心してつまずけること
同時に、「もしまたつまずいても大丈夫」という安心感も生まれた。
だってあの地獄から立ち直れたんだもの。
安心してつまずけるようになって、ようやく、
安心して歩きだせるようになった。
ああ、よかった、これでぼくはまた前に進める。
この言葉は今も、ぼくの大事な支えになっている。
この言葉を胸に、歩いて、つまずいて、立ち上がって、
また歩いて、生きていこう。