思考の空白時間の使い方
考える余裕があるから不安になって、余裕がないほど忙しければ不安を感じる暇もない。
よく”動いている方が気が紛れる”と言いますが、それはある程度正しいことなんだと実感します。
視線や雑音や気配などストレスだらけの職場であっても、仕事に追われたり資料作りに集中したりしていると、ほとんど気にならないのはよくある感覚です。まさに気にしている余裕がない状態ですが、これは自分の思考のリソースの限界がどれくらいかを測る目安にもなるのではないでしょうか。
例えば家にいるときや仕事の合間の休憩時間。ぽっかり空いた空白の時間にあなたは何を考えていますか。
不安症の人であれば、常に何かしらの不安を探して自分を不安に陥れています。将来の事、健康の事、お金の事、仕事の事。とかくこの社会は不確定で考えることが多すぎるので、不安要素など探し始めればキリがなくネタ切れになる心配はありません。
しかもそれらは一度味わったらそれで終わりではなく、何度も何度もお代わりが運ばれてきて。やめておけばいいのにお茶碗を舐るように隅々まで味わい尽くそうとします。
これが楽観的で幸福論者の人であれば、どんなことを考えているのでしょうか。自分には分かりませんが、どちらにせよ常に不安を思考する生活が幸せで無いことだけは分かります。
こういう話をすると、もっと楽に構えなよとか、楽しいこと考えなよなんて言われますが、それができれば苦労はしていない訳で。もちろんその人が悪いわけでは全くないのですが、少しも響かない言葉を掛けられてもただ白けるだけというのは、自分勝手とは思いつつも身に覚えのある方はいらっしゃるのではないでしょうか。
同じ目、同じ病気、同じ経験をした人の言葉でないと腹落ちしないというのはよくあることで、だからこそ世の中には色んな経験をした人が書いた色んな書籍が溢れてますし、それが救いになっている人も多いのだと思います。
少し横に逸れましたが、ここで言いたいのは思考には限りがあるということです。当たり前の話ですが誰にとっても1日は24時間であって、思考する時間も最大で24時間です。簡単に言ってしまえば、この24時間という枠のうち、どの思考をどれだけ行うかをコントロールすることが不安への対処の一つであり、大きなことを言えば幸せへの一つの切り口なのだと考えています。
常に生命の危機に晒される極限状態は別として、一般的に生活している限り、少なくとも睡眠時間分は思考が途切れると考えられます。まぁだからこそ不眠症はつらいともいえるのですが、それは一旦ここでは割愛します。
で、睡眠時間を除く起きている時間が思考の自由時間となるわけですが、ここから働いている人は仕事の時間分が差し引かれますし、家事をしている人はその分が差し引かれることになります。趣味もそうですね。つまりはそのことしか考えない時間をマイナスしていきます。
ここまで書くと気付かれるかもしれませんが、私は行動の可処分時間とは別に、思考の可処分時間を捉えるようにしています。というか、なりました。
何もないところから不安を幸福に変換できないなら、少しでも不安を感じている時間を削っていくしかない。そのために余計な思考をする時間を削っていく、という考え方です。
手っ取り早いのは、やることを増やすことです。ただし、強制されたり嫌々やるものではダメです。やってみたいな、やっていて心地いいなと思えるものをやるのが大事です。むやみに増やすだけでは、単に忙しくなるだけで余計に悪化します。
とはいえ、自分には趣味もないし、何をやったらいいか分からない、という人も多いと思います。私もそうです。だからそれを探していますし、本当はそれを知りたいのですがそれを教えてくれる人や本はなかなかありません。
何故ならそれは、人によって違うからです。
できるのは、お互いに情報共有して、ヒントを与えあうこと。こういうのもあるよ、あんなのはどうかな、と、伝えたり、聞いたり。良さそうだなと思ったら、片っ端から試していく。まさに数打ちゃ当たるです。
この世界には、やってみなければ分からないということが山のようにあります。机上でダメそうとかどうせとか考えてやらないのはとてももったいないことです。
と言いつつ、私も頭の中だけでそれはいいかなと諦めてきたことがたくさんあります。完璧主義だからでしょうか、事前にすべての条件、準備が整わないと動けないのです。
でも、そんなことってそうそうないです。そもそも、100%思い通りにいかないからこそ不安になっているのですから。
だから、小さいことから始めるんです。失敗や無駄な時間を過ごしても、まぁそれくらいならいいかと思えるくらい小さなことから。
普段食べないものを食べてみる。いつもと違う道を歩いてみる。興味がある無料のサービスを利用してみる。まぁダメ元でって思えるくらいのことでも、それが案外良かったら、それはどんなに小さくても勝ち取った戦果には違いありません。
少しずつでも、良いな、と思えることが増えたなら。それはその分、不安になる時間が少なくなるということ。そういう小さな幸せとも呼ばれることを積み重ねていくことを、人生の意味にしてしまってもいいのかもしれません。
そうやって探す作業を増やしていくと、案外無駄なことって無駄じゃないかもって気付きます。失敗したけど、知れてよかったな、とか。意味のない時間だったけど、心の栄養にはなったな、とか。損得では計れない、自分を豊かにしてくれる時間。不安というのは、そういう栄養が足りていない状態なのかもと思うときがあります。
普段と違うことをするというのは、結構な馬力が要ります。面倒ですし、それこそ不安なことです。でも、だからこそ小さなことから成功体験を重ねて、経験値を積んでいくことが大事なのだと感じます。
きっと、幸せに生きるにはそれくらいの努力は必要ということなんでしょう。なにせ、自分の人生ですから。
そうやって、不安に感じたり考える時間を、行動する時間へと置き換えていく。やることを定義すると、少し方向性が見えてくる気がしませんか。
あとはその手段を見つけていく。増やしていく。自分が心地良い、楽しいと思えることが一番大事です。どんなに小さなことでもいいから、この時間が好きだと思えるものをやりましょう。そうすると、今度はそれを待つ時間が楽しみになります。
まるで子どもが遠足を楽しみにしている時のように、今まで不安だった時間が楽しみな時間に置き換わっていればしめたものです。
今の私は、それらのことを増やそうと頑張っている段階です。こうして文字として吐き出す、というのも、その一つです。
そして、見つけた手段や実践結果を、ここに記していこうと思っています。自分への備忘録として。あわよくばどこかの誰かのヒントになれればと願って。
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