
【SS-1】未来の仕事
仕事内容は至って単純だ。
全世界に張り巡らされたネットワーク通信網を常に監視し、通信障害が発生すれば即座に検知、その場で保守員を手配し修理へと向かわせる――いわば中央指令部のような業務だ。
僅かに見上げた数メートル先に位置する200インチ以上はあろうかという巨大モニタには世界地図が映し出されており、都市と都市を繋ぐ数多の通信が忙しなく往来している様子を可視化している。
このモニタがあることにより全世界の通信状況が一目で分かるのだ。アメリカで遅延が、フランスで悪意のある通信が、等の異常を検知するまでに費やす反応速度と検知精度の向上に何役も買っていることは間違いないだろう。
よって、オペレータが複数人いる必要もなくなり、人件費削減の面から、いま現在この業務を担当しているのは私ひとりだけである。
上長や他の部署との打ち合わせも画面越しで行えており、なんら業務に支障はない。むしろ、即時的に資料の共有ができたり、なにより膨大なデータベースと常時接続しているために、人間が持てる表現技法のみを駆使するよりも効果的に意思伝達を行うことができ、会議もより円滑に進む。
打ち合わせが画面越しで行える利点はそれだけではない。場所に縛られる必要がなくなったことも重要である。中央指令部のような業務と言ったが、必ずしも中央にいる必要はない。それは半ば言葉の綾だが、どこにいたって端末ひとつで業務ができてしまうということである。
目の前にある大きなモニタは、実を言うとホログラムである。実体はないが、そこにあるように映し出されているのだ。
このように、全てが仮想的に作りだされた空間で、業務にのみ集中できる環境が整っている。テクノロジの発展のおかげで、私は業務以外の煩わしい何かをする必要が一切になくなったのだ。
突如、画面の一部が赤く光ると、その赤は瞬く間にモニタ全体へと広がっていった。
けたたましいブザー音が激しく鼓膜を揺らす。どうやら、インターネット網における大動脈が切れ、大規模な故障を引き起こしたらしい。
全世界の通信が集まる枢軸ともなると、なるべくこのようなことが起きないよう念には念を入れて冗長構成を組んでいるはずである。サイバーテロの可能性も考えられるが、私の任務はそういった煩雑な原因の特定ではなく、一秒でも早い復旧、ただそれのみである。
手元の端末での対応に追われていると、モニタの前面にひと際目につくピンク色のポップアップが浮かんできた。日本有数のインターネット通販事業会社の担当者から入電。受話器のアイコンを押して通話に出る。
「お待たせいたしました」
「通信が止まっちゃってるんだけど、どうしてくれるの」
「大変申し訳ございません」
「謝るのとかいいから」先方の苛立ちは声の震えや息遣い等から嫌というほど伝わってくる。「あの、これじゃあ仕事にならないんだけど」
「恐れ入りますが、ただいま作業員を手配しておりますので……」
溜息が漏れる。「もういいから、他の業者さん頼むから。申し訳ないけど、お宅とは契約解消ね。ということで、よろしくです」
電話を切られた。
昨今のインターネット通販業界といえば、たったの一秒、業務が滞っただけでも数億円の損失が生じてしまう世界だ。とにかく素早さが命であるから、先ほどの態度は快いものではなかったが無理もないだろう。
手元の端末を操り、モニタ上に別のウィンドウを立ち上げる。脂ぎった部長の顔が視界いっぱいに、毛穴まで鮮明なほど映し出された。
「タカハシ君、手配は済んでいるかね」部長は大規模故障に少し怯んだ様子だった。「クライアントから関連の問い合わせはあったか?」
「ええ、現時点ではA社さまからお問い合わせがありまして、契約見直しをご希望とのことです」
「なんだって?」あからさまに顔を顰める部長。「もうちょっと食い下がってくれよ。A社さんはウチの一番のお得意さんなんだからさ」
「そんな一方的な都合を聞いていくれるほど暇ではないでしょう。一秒の遅れが命取りになるわけですから、A社さまの判断は賢明と思われます」
「何故そんなことが言えるのかね。第一、君には帰属意識というものが足りないんだよ。……タカハシ君、君の代わりなんていくらでもいるんだぞ」
「そんなことを言いに来たのですか」私は目の前の端末から顔を上げず、淡々と続ける。「いまは故障の復旧が第一優先です」
「……ああ、頼むよ」呆れたような声がしたのち、通話は切れた。
ブザーは鳴り止まない。キーボードを打つ手が段々と加速していく。
大人の込み入った事情により、確実に踏まなくてはいけない手順や煩わしい決まりごとをウンザリするほどこなさなくてはならず、作業員を手配するまでに大幅な足止めを食らってしまう。この点は、まだまだ改善の余地があると言えるだろう。
電話も鳴り止まず、ポップアップは幾重にも重なっている。いよいよ一人では手が回らなくなってきたので、他部署から応援を呼ぶことにした。そういった部署の垣根を越える柔軟な対応はしばしば行われる。
「ムラカミさん、そちらの状況はいかがですか」
「タカハシさん、お疲れさまです。こちらはアメリカ網の増強計画の打ち合わせが終わったところなので、落ち着いています」ムラカミさんは新設工事の計画から指揮までを担当している。「故障、大変そうですね」
「ええ」私は精いっぱい笑みを浮かべたつもりだったが、頬が引き攣って変な表情になっていたかもしれない。「お疲れのところすみませんが、応援をお願いしたいです」
「かしこまりました」ムラカミさんは端的に答え、爽やかに頷いた。「まずは何からすればよいでしょうか」
「そうですね――」
すると俄かに、ブザー音が収まった。
故障が収まったのだろうか。やはり、故障ではなく、人為的なものだったのだろうか。
ただ、モニタは依然として真っ赤に染まったままである。ムラカミさんも瞬きをしておらず、完全に固まってしまった。
明らかに、おかしい。
私はゴーグルを外し、受話器を手に取った。
「お待たせいたしました」オペレータは人間ではない。「本日はどのようなご用件でしょうか」
「通信が止まっちゃってるんだけど、どうしてくれるの」
「大変申し訳ございません」
「あの、これじゃあシゴトにならないんだけど」
「申し訳ございません、ただちに作業員を手配いたしますので……」
「もういいから、他の業者さん頼むから。申し訳ないけど、お宅とは契約解消ね。ということで、よろしくです」
――折角面白くなってきたところだったのに。
すっかり興醒めしてしまったため、シゴトはやめにしてベッドに飛び込んだ。安かろう悪かろうであることが分かっただけでも収穫だと無理にでも自分に言い聞かせて納得しようとした。
ベッドの上で、しばらく考える。
そもそもなぜ、大昔の人間はこんなにも不合理なことをしていたのだろうか。すべて機械に任せればミスもしないし、ラクではないか。
なぜそこに、不完全でミスばかりを犯す”ヒト”が介入する必要があるのか、甚だ理解に苦しむ。
ものの本によると、シゴトを繰り返していた当時にもそれだけの技術は既に存在していたらしい。だが、人々はそれを頑なに拒んだという。ヘンな生き物である。
”やり甲斐”という言葉は古典で学んだが、それはお金よりも大切なものなのだろうか。私はとてもそうとは思えない。
だが、無駄なことをひたすら繰り返すのも新鮮な感覚で、不思議と嫌なものではなかった。
――これがシゴトか。
明日は別の業者で、シンマイケイジとやらにでもなってみるか。