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【SS-5】どざゑもん
この辺りで釣りをすると人間の足が釣れる、なんて笑い話が釣り人の間でよく交わされる。悪い冗談のようだが、それほど珍しい話でもないようだ。
川上に水門があり、恐らく、そこから飛び降りるのだろう。
足を取られるほどの急流ではないため、一旦水底に沈む。そして腐敗が進むとガスが発生するため、その組織の隙間に水が滲み込んでぶくぶくに膨れ上がる。浮かび上がった水死体はそのまま緩やかに流されると、比較的流れの速い川と合流し淵まで追いやられるため、水死体は漏れなくこの辺りに集まってくるという理屈らしい。
昼間は白いヒトガタのようなものが浮かんで見えているのだが、夜中は引っ掛かったものを上げてみるまでそれが何かは分からない。
そのことを知らない釣り人が引っ掛けてしまい、通報沙汰になるケースが後を絶たないのだ。
まずこの近辺で釣りをしないのが得策だが、その話を耳に入れる機会に恵まれない者にとっては、震え上がるような体験から身をもって学ぶほかないだろう。
その日も、知ってか知らずか、ひとりの釣り人が淵に勢いよくルアーを投げ込んだ。
時刻は午前二時を回ったところ。
その男以外に河川敷を歩く者などはおらず、工場群の明かりもその淵までは届かないために真っ暗闇である。
男は野球帽を深く被っており、首からはストップウォッチをぶら下げていた。そのほかは最低限の装備で、長時間居座って釣りをするような格好でもない。
全くもって何も釣れないが、その男は執拗にルアーを投げる。
そもそもそれほど魚が釣れる場所でもないのだが、男は頑なにその場を離れようとはしなかった。むしろ、何かに駆り立てられ焦りを感じているような、落ち着きのない素振りだった。
「おう、あんちゃん」
気のよさそうな老翁が男に話しかける。
彼も釣り具を担いでおり、もうしばらく川上まで歩いて、夜釣りを行うつもりなのだろう。茂みの中は目が慣れていたとしてもそうそう何も見えないはずなのだが、目がいいのか、釣り師としての鼻が利くのか、微動だにしないその男の存在に気が付いたらしい。
男は返事すらせず、黙り込んだままだった。風で植物同士が擦れる音や、鈴虫の鳴く声が、より一層際立って聴こえる。
「気ぃ付けろよ。そんなとこでやってっと、土左衛門引っ掛けんぞ」
老翁は笑いながらその場をあとにした。それでも男は一瞥も与えず、ひたすら浮きに意識を傾けていた。正確には、暗闇でよく見えていないため、浮きの存在するであろう位置をおおよその目星で睨み続けているだけだった。
それからしばらくして、男が持ってきた竿には寝込みを襲われた魚たちが数匹引っ掛かかるものの、男は不満げに釣りを続けた。
午前三時。
少し重たい感触がしたのでリールの糸を巻くと、獲物は抵抗せずにつうと男の元へ寄せられた。いままでにない反応に、これは魚ではない何かだと誰もが直感することであろう。
慎重に、その何かを手繰り寄せる。鼻を突くような悪臭がした。
岸に打ち上げた白い物体をまじまじと見つめ、それが人の身体であることが分かったとき、男は小さな悲鳴を上げた。
大声を出さぬように口元を押さえた。辺りを見回し、誰もいないことを確認した。
視線は落ち着かず右往左往していたが、すかさず死体の衣服を確認すると、男は安堵の表情を浮かべた。
首から下げていたストップウォッチを確認する。
そこからの男の行動は手慣れたように素早かった。釣った魚たちを逃がし、バックパックから畳んであった一回り大きなバックを取り出し、その中に死体を詰め込んだ。
男は足元や身なりを確認し、納得したのかそそくさとその場をあとにしようとした。
「おう、あんちゃん」先ほどの老翁の声だった。「嬉しそうな顔して。目当てのモンが釣れたみてぇだなぁ」