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短編261.『弟子 is back!』(下)〜邂逅それは配剤篇〜
それっきり会うことのなかった弟子が今、目の前にいる。
あの頃より何倍も大きくなった身体つき。黒とオレンジの特徴的な毛並み。顔つきだけはもう老年のそれであり、瞳は警戒心より優しさが勝っていたが、紛れもなく、あの弟子だった。
弟子は私の顔を見つめた。私も弟子の顔を見つめた。それで充分だった。元々、言語が違うものにとって、言葉なんて邪魔なだけだ。弟子は私の脛に頭を寄せ、私はその背を軽く撫でた。
*
十年というこの長い空白の期間を弟子がどのように生き抜いてきたのかは分からない。
首輪が付いていないことから、弟子がまだ野良としてやっていることを察した。ストリートに生きる者の誇りと矜持を背負って。
でも、太り方からすればきっと良い金主がいるんだろう。師匠であるミーちゃんからの教えは確と受け継がれていた。
十年。それは多くの物事を一変させるには充分な時間だった。
師匠であるミーちゃんはもう亡く、多くの猫にも世代交代の波が押し寄せていった。縄張りは拗れ、遊び場だった古い家々は解体され、ある猫は行方知らずとなり、またある猫は引き取られていった。(野良から足を洗うことが猫にとっての幸せなのかは分からない。安心や快適と引き換えに、自由を奪われることが幸せなのかは)
時の津波が洗い流したものと変わらないもの。それは天秤にかけるまでもなく明白だ。
ミーちゃんと会うことはもう叶わないが、こうしてまた弟子の姿を見ることが出来てとても嬉しく思う。ミーちゃんが幼き日の弟子に教え込んだ野良としての生き様がきちんと継承されていることにも。
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通勤の折、散歩の折に必ず神社の前を通る。しかし、再びの邂逅の日以来、弟子の姿を見ることはない。かつての弟子がそうであったように。
会いたい、と願っても、そう会えるものではない野良猫の現実。それは私に一つの古語を思い起こさせた。
ーーー一期一会。
人生とはそういうものだ。きっと。だからこそ、その時その瞬間を全力で感じ切らなければならない。それが出来なければ、過去ばかり振り返るつまらない中年になってしまうことだろう。
あの邂逅は、十年振りに訪れた神社からのサプライズだったのだろうか。もしかすると、天のミーちゃんによる雲の上からの粋な配剤だったのかもしれない。そう思うことで、私もこの厳しい世の中を我が身一つで生き抜いていけるように。
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野良猫を取り巻く環境は厳しい。身を隠す草むらは年々減少し、夏と冬の温度変化も著しい。愚かな人間からの虐待やウイルスの脅威だってある。(主語である猫を人に置き換えて考えてみれば、その現実が実に過酷な環境だということが理解出来ると思う)
そんな環境でも何食わぬ顔でてストリートを闊歩し、好みの場所を見つけては眠る野良猫。タフで孤独なハードボイルド。
ミーちゃんからは関係性の面白みを、そしてその弟子からは瞬間の大切さを学んだ。私にとっても野良猫こそ師匠だ。
この世界に生きる全ての野良猫に幸あれ。
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