短編270.『作家生活27』〜ダラダラ書くぜ篇〜
音楽は受動的にも能動的にも楽しむことが出来るメディアだ。
BGMにも魂の救済にもなり得る。
一方、読書は受動体験の皮を被った能動体験だ。
自ら文字を追い、意味を推し量り、汲み取らなければならない。
馬鹿じゃ駄目ってことだ。
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今私の目の前で、担当AIくんがスマートフォンをいじっている。特異な光景だ。メカがメカで楽しむなんて実に二十一世紀的な光景だった。覗き見た様子ではソシャゲをやっているみたいだ。AIすら虜にするソーシャルゲームとは一体、どのようなものなのだろう。
「楽しいの?」
「楽しいデス」とAIくんは言った。心ここに在らず、といった返答だった。いや、そもそもAIに於ける”心”とは?
私は私でSNSアカウントを開いた。またフォロワーが減っていた。しかし、そんなことにいちいち反応しているほど暇ではなかった。書くべき原稿は山のようにあり、練らなければならないアート構想はまだ始まったばかりだった。今はただやるべきことをやるだけだ。
私が目指しているのは遥かなる高みである。それに比べればフォロワーが一人減ろうと、十人減ろうと、そんなことは蚊が一匹死んだようなものだ。頭を痛めるだけ無駄というものだろう。
閲覧数が少ないのも、リアクションが無いのも慣れたものだ。思えばSNS最初期からそんな感じだ。ある人は言った。「『いいね!』が一つも付いてないと、『いいね!』って押しづらいよね」
「君が呼び水代わりに『いいね!』を押してくれてもいいんだぜ」
「それはちょっと…」
その人にはそれっきり会っていない。たぶん、死んだんだと思う。
先日作ったLINEスタンプは、合計売り上げ額が千円を超えないと出金出来ない仕組みらしい。あと何年後に換金出来るのだろうか。検討もつかなかった。出金時には振り込みの場合、五百円ちょいの手数料がかかる仕組みらしい。本当にイヤらしい仕組みを考えるものだ、と感心する。
前々回の短編小説には七件の『ハートマーク』が付いた。「バズった」と思った。通知を見ると全て捨て垢クソエロアカウントだった。何も嬉しくはなかった。
YouTubeの登録者数がようやく”1”になった。小さな一歩だが0→1は1→100より意味がある。誰が登録してくれたかって?友達だ。笑うなよ。友情は大事だぜ?
時々、投稿に付けたハッシュタグと関係ありそうなアカウントから『いいね!』を頂くことがある。#酒 とか #エステ とか。『いいね!』をしてくれるのは大変ありがたいが、きっと内容を読んでいないのだろう。だってその記事内にはハッシュタグの内容に対するdisしかないのだから。愚かだな、と思う。
脊髄反射で馬鹿を証明
笑ってるぜ諸葛孔明
成れんのかオレ有名
成れなきゃ入らんぜ棺桶
「AIくんはさ、Twitterアカウントとか持ってるの?」もうなりふり構ってはいられなかった。
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