霞 ~9.異変~
「ああ、のぼせそう。」
独り言にしては大きな声に続き、湯から上がる音。こちらも記憶をたどっているうちに、すっかり茹で上がってしまった。額から汗が流れ落ちている。外に出ると、緋乃が水風呂に入るところだった。背中を丸めてしゃがみ、一段低くなっている湯船へ恐る恐る左足を伸ばす。
「うー、やっぱり冷たい。」
しかしそのまま静かに、膝から腰、胸へと体を沈めた。私は彼女の右隣に、息を吐きながらゆっくり腰を下ろした。
「動かないで、動かないでよ。」
体の周りの水を動かすな、ということだろう。言われたとおり、じっとしていた。隣の部屋の水風呂の石積の上からは、お湯が湯気をあげながら流れ落ちるのが見える。しかしこの気温では、広い水風呂の水温を上げるには湯量が足りないようだ。湯に当てられてピンク色だった足が、見る間に白くなっていく。
「だんだん冷たさを感じなくなっていく、不思議。体の回りの水が体温で温められるからだって言うけど、冷たさに慣れた…」
不意に、異様な感覚に襲われた。いや、突然感覚が鋭くなったといったほうが正確かもしれない。ピシッと音がして体を覆っていたガラスが砕け落ち、まるで生まれて始めて手袋を外して物を触ったかのように、すべてが直接五感に入って来る。丘の上のヒノキの葉ずれが、すぐ耳元で聞こえる。しかし、緋乃の声はやけに遠い。体は冷たいのに、隣で流れ落ちる湯の温かさを足の指先に感じる。鼓動が遅くなり、目の奥が痛い。喉がカラカラだ。
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恋愛感情の描写よりも、女性の強さ畏れを描いてみました。自分の失敗談も含めてこんな出会いがあってもいいかな、と。
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